ハラタマ像 平成20年6月17日

ハラタマ Koenraad Woulter Gratama

1831年4月25日〜1888年1月19日

大阪市・舎密局跡でお会いしました。


日本で初めて専門的な理化学教育を行った化学者。
ユトレヒトの陸軍軍医学校を出て、長崎養生所に新設の分析究理所の教師として、慶応2年(1866年)に来日。
翌年、開成所の理化学校のため江戸に移り、幕府崩壊後は明治新政府の大阪舎密せいみ局教頭として教育にあたった。
明治4年(1871年)帰国。


ハラタマ博士像



ハラタマ博士像
(大阪市・舎密局跡)





(平成20年6月17日)

K.W.ハラタマ博士像

制作 川合敏久
揮毫 芝 哲夫
建立 ハラタマ胸像建立委員会
協力 大阪大学
管理 適塾記念会
2000年5月吉日

碑文

明治2年(1869)5月大阪府によりオランダ人化学者クーンラート・ウォルテル・ハラタマを教頭とする舎密局(せいみきょく)がここから2百メートル北の大手前通一帯に開設された。
舎密とは化学の意である。
舎密局は明治時代のわが国で最初に開かれた理化学校でハラタマによりこの国の近代化に必須の自然科学の教育が行われた。
日本の初期の科学研究の多くはこの舎密局に端を発している。
舎密局はその後、理学校と改称され、明治5年に閉校されてその任を終えたが、その流れから京都舎密局、大阪司薬場、第三高等学校が生まれた。
日蘭交流4百年を記念して、ここに日本の化学の父ハラタマ博士の像を遺し、その功を永世に伝えたい。

舎密局跡



舎密局跡
(大阪市中央区大手前3丁目・府警本部別館前)





(平成20年6月17日)

大阪衛生試験所発祥の地

大阪衛生試験所は官営の医薬品試験機関大阪司薬場として明治8年3月、この舎密局跡に発足し、明治20年5月の官制公布により大阪衛生試験所となった。
昭和20年6月の大空襲で焼失し、業務停止に至る70年余、わが国における保健衛生行政の拠点として多大な貢献をなした。
昭和24年4月、国立衛生試験所大阪支所として業務を再開し、現在は国立医薬品食品衛生研究所大阪支所として、中央区法円坂において引続き試験研究業務を行っている。
本年、業務再開から50周年を迎え、ここに記念碑を設置するものである。

平成11年12月建立
国立医薬品食品衛生研究所大阪支所

(碑文より)




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