橋本進吉 はしもと・しんきち

明治15年(1882年)12月24日〜昭和20年(1945年)1月30日


福井県出身。
東大卒。
昭和4年(1929年)東京帝国大学教授。
国語学の諸方面にわたり、綿密な実証的研究を展開。
上代特殊仮名遣いの発見や、キリシタン資料に基づく中世の音韻体系の解明など多くの成果をあげた。
また、外形面に注目する文法論は文部省の教科書に採用され、学校文法として広く受容された。


橋本進吉博士顕彰碑



橋本進吉博士顕彰碑
(福井県敦賀市・敦賀西小学校)





(平成20年4月12日)

文学博士橋本進吉先生は、医家謙吉氏の長男として敦賀晴明で誕生された。
5歳の時父君を失い、爾来、母堂の慈みのうちに成長された。
就将小学校卒業の後、京都の中学校から第三高等学校に進み、東京帝国大学文科大学で言語学を修められ、卒業に際しては恩賜の銀時計を拝受する名誉を担われた。
その後、同大学の国語研究室に助手として勤務、さらに、助教授、教授として国語国文学第一講座を担任され、国語学の研究と後進の育成とに努められること30余年、退官後まもない昭和20年1月30日に62歳で没せられた。
墓所は市内来迎寺にある。
先生は国語学会に不滅の偉大な足跡を残された。
まず、上代の文献に特別の仮名の用法のあること、すなわち特殊仮名遣を発見されて、それが音韻上の特質に基づくものであることを立証され、日本語の歴史、起源、また古典の解読に新紀元を開かれた。
先生はまた、文法論にすぐれた体系を樹立し、かつ、文法の史的展開を実証的にあとづけられ、一方、明快で懇切な中等教科書新文典を編せられた。
そのほか、国語学の諸分野にわたってすぐれた業績を示され、わが国の近代的な実証的国語研究の祖と仰がれる。
ここに先生の学恩を受け学徳を景慕するものが相はかって、先生の母校就将小学校、現西小学校の校庭にこの顕彰の碑を建てるのは、郷土の先輩の偉業によって後進の志を励まし、かつ先生の開かれた学問の道をいよいよ発展させることを期するためである。
碑面の題字は、日本学士院会員文学博士久松潜一先生の筆による。

昭和46年3月12日
岩淵 悦太郎

(碑文より)

敦賀西小学校



敦賀市立敦賀西小学校

(福井県敦賀市結城町8−6)





(平成20年4月12日)



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