駆逐艦 蓮 はす


駆逐艦蓮戦没者の碑



駆逐艦蓮 戦没者之碑
(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地





(平成20年11月23日)

鎮魂

駆逐艦蓮は、二等駆逐艦樅型の一艦として、大正11年7月31日浦賀船渠において竣工、聯合艦隊水雷戦隊、舞鶴及び鎮海要港部警備駆逐艦として活躍した後、昭和9年から南支方面の警備に当たった。
昭和12年支那事変勃発するや、第3艦隊第11戦隊に属し、揚子江流域における海陸軍部隊の輸送・揚陸支援、水路啓開・交通保護等に任じ、15年以降は中支沿岸の海上封鎖作戦に従事し、赫々たる武勲を立てたが、この間戦友3名が尊い犠牲となった。
昭和16年12月大東亜戦争起こるや、支那方面艦隊上海方面部隊の一艦として開戦劈頭8日未明、黄浦江上において英国砲艦「ペテレル」を撃沈、以後18年6月までの約1年半は、中支沿岸の海上封鎖、対潜哨戒掃討、船団護衛等に従事した。
同年7月以降終戦までの約2年間は、専ら南支中支次いで北支方面の船団護衛に奮闘した。
この間、護衛回数はおよそ百回、護衛した船舶は優に2百隻を越え、作戦の多くは任を全うした。
しかしながら、護衛作戦中及び香港における対空戦闘において、19名の戦友が勇戦敢闘、惜しくも散華した。
また無念にも、輸送船数隻を敵の雷撃及び爆撃で失った。
今なお痛恨の極みである。
我ら生き残った戦友は、常々卿ら護国の英霊を追慕し、感謝報恩の念切なるものがあったが、このたび相計り、卿らの御霊を慰め功績を称え、これを後世に伝え残すため、謹んでここにこの碑を建てる。
御霊よ、願わくば永遠に安らかに。

平成8年10月
駆逐艦蓮戦友会会員一同

(碑文より)


【樅型】

八八艦隊計画中の中型駆逐艦として最初に計画されたのが、大正4年度計画で造られた「桃」型(4隻)である。
大正6年度計画の「楢」型(6隻)は、駆逐艦の多くを地中海に派遣したため、その穴を埋めるため「桃」型の改正型として建造されたものである。
同じ大正6年度計画以降建造された「樅」型は、大型の「峯風」型と同じく艦橋位置を後ろに下げ、ウェル・デッキを設けたもので、ギアード・タービンの採用もあって、速力は36ノットまで向上した。
魚雷発射管は53.3cmとしたものの連装2基で我慢せざるを得なかった。
3000海里の航続力は「峯風」型に近く、外洋での戦力として期待された。
同型艦は21隻におよび、八八艦隊の駆逐艦所要量の半分がまかなえる目処が付いた。
この時期に建造された駆逐艦の多くは一部は哨戒艦に改造され、また遣支艦隊などの小型艦隊や鎮守府所属艦として太平洋戦争に参加し、殆どの艦が沈没している。

【要目】
完成時期:大正8年〜12年
常備排水量:850トン
主機:タービン機関×2・2軸
主缶:ロ号艦本式重油専焼缶×3
出力:2万1500馬力
最大速力:36ノット
航続距離:14ノットで3000海里
砲兵装:12cm45口径単装×3
      6.5mm機銃×2
魚雷発射管:53.3cm連装×2

同型艦:21隻

(参考:『歴史群像2007年10月号別冊付録 帝国海軍艦艇総覧 明治・大正編』)




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