羽田武嗣郎 平成20年10月29日

羽田武嗣郎 はた・ぶしろう

明治36年(1903年)4月28日〜昭和54年(1979年)8月8日

長野県上田市・上田城でお会いしました。


昭和4年(1929年)、東北帝国大学卒。
大学卒業後、朝日新聞社に入社。
政治部記者から鉄道大臣秘書官となる。
昭和12年(1937年)立憲政友会公認で、第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。
同年、岩波書店の岩波茂雄の勧めで羽田書店を開業し、出版業を始める。
昭和14年(1939年)の政友会分裂では政友会革新同盟(総裁:中島知久平)に所属。
昭和17年(1942年)の大成翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。
戦後、翼賛議員であったことから公職追放となる。
昭和27年(1952年)追放解除となり、農林政務次官、自由党政調副会長を歴任。
昭和30年(1955年)自由民主党に参加し、党副幹事長、衆議院建設委員長を歴任。
昭和38年(1963年)脳出血の発作に襲われ、病魔に苦しむが、昭和42年(1967年)の第32回総選挙に当選。
しかし、病魔のため満足な政治活動が困難なため、昭和44年(1969年)政界を引退する。
昭和54年(1979年)76歳にて死去する。
後継者である長男の羽田孜は後に内閣総理大臣となる。


羽田武嗣郎先生の像


羽田武嗣郎先生之像
(長野県上田市・上田城

内閣総理大臣 佐藤榮作 書




(平成20年10月29日)

碑文

長野県第二区市町村長主唱の下に 有志相つどい 郷土出身 彫塑家竹内不志先生により本寿像制作さる
昭和47年4月28日
羽田武嗣郎先生顕彰会

碑文

天皇御誕生の佳日に当り畏くも
勲一等
を賜わる

昭和48年4月29日

碑文

羽田武嗣郎先生の略歴

明治36年4月28日 小県郡和田村に生る
東北帝大法文学部法律学科卒業 東京朝日新聞社政治部記者となる
昭和12年4月 衆議院選初出馬 当選
昭和14年鉄道大臣秘書官 昭和17年運輸逓信大臣秘書官 運輸通信参与官を歴任し 戦後公職追放となる
昭和27年8月 追放解除後の選挙に出馬 当選
爾来当選8回
昭和44年12月 健康を害し政界引退まで在職23年余の長きに亘り 憲政に尽瘁
昭和45年議会制度80周年記念の年 永年功労議員として衆議院議長より表彰さる
この間農林政務次官 衆議院建設常任委員長 畑地農業改良促進対策審議会委員 検察官適格審査会委員 党総務 党副幹事長 党紀委員 財務委員 代議士会長を勤む
一方文化人として 故岩波茂雄先生の薫陶を受け 昭和12年羽田書店を創立 学術図書 児童図書の出版に心血をそそぎ その刊行物は千余冊を数え 多くの人々に精神的糧を供された
先生は人格高潔 清貧に甘んじて国民に奉仕する政治家としての道を垂範され 常に人を愛し 郷土に思いを致し そして国を愛する事を政治信条とされ 戦前戦後を一貫された

碑文

親しい友人羽田武嗣郎君が、三十餘年の政治生活に別れを告げて早や三歳、このたび郷里の人々の手で君の壽像が建てられた。
専心國のために東奔■走、一身の成敗を顧みない君の人柄を、皆忘れられない為めだという。
特に過ぎし昭和34年の大■水害の際、君が國會の建設委員長として、自ら陣頭に立って復旧に盡くした功績は、萬人の認めるところであり「愛の人」羽田君の面目躍如たるものであったと、今も尚■■されてある。
君を敬慕する人びとのこの擧は、君とこれら多くの人々との間の温かい友情の、しみじみとした交流をみるようであり、同時に、君が政治の■に残した大いなる足跡を顧み、ただ頭の下がる思いである。

昭和47年 春
元衆議院議長 石井光次郎 撰並記



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