畠山重忠 はたけやま・しげただ

長寛2年(1164年)〜元久2年6月22日(1205年7月10日)


秩父平氏の一族。
父は重能、母は三浦義明の娘。
治承4年(1180年)石橋山の戦では源頼朝に敵対したが、その後帰服。
源義仲や平氏の追討では源義経に従って戦功をあげた。
奥州合戦でも活躍し所領を得る。
伊勢国の所領・沼田御厨の代官に濫妨によって罪を負ったが一言の弁解もせず、剛毅にして誠実な人物として「吾妻鏡」に記される。
秩父氏の家督として武蔵国の御家人を統制したが、武蔵国務を握る北条氏との対立を深めた。
元久2年(1205年)武蔵二俣川で北条義時軍と戦い敗死。42歳。


畠山重忠



畠山重忠邸跡
(神奈川県鎌倉市雪ノ下3−2)





(平成18年9月23日)

畠山重忠邸址

正治元年5月頼朝の女三幡姫疾ミ之ヲ治センガ為當世ノ名醫丹波時長京都ヨリ来レル事アリ
東鑑ニ曰ク七日時長掃部頭親能ガ龜ケ谷ノ家ヨリ畠山次郎重忠ガ南御門ノ宅ニ移住ス
是近々ニ侯ゼシメ姫君ノ御病悩ヲ療治シ奉ランガ為ナリト此ノ地即チ其ノ南御門ノ宅ノ蹟ナリ

大正12年3月
鎌倉町青年團建




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