畑俊六 はた・しゅんろく

明治12年(1879年)7月26日〜昭和37年(1962年)5月10日


明治〜昭和期の陸軍軍人。
陸軍大将・元帥。
兄は陸軍大将・畑英太郎。
陸軍士官学校(12期)、陸軍大学校卒。
昭和3年(1928年)参謀本部第1部長、以後砲兵監・航空本部長・教育総監などを歴任。
昭和14年(1939年)侍従武官長に就任。
同年阿部内閣の陸軍大臣(陸相)となり、米内内閣でも留任したが、単独辞職して同内閣を倒した。
その後、支那派遣軍総司令官・第2総軍司令官を歴任。
戦後、A級戦犯として終身刑となる。


元帥畑俊六終焉の地碑



『元帥畑俊六終焉の地』碑

(福島県東白川郡棚倉町・棚倉城

陸軍大将 鈴木孝雄 書



(平成21年9月13日)

碑文

大地の化に参し盛衰の運に関する■幽には鬼神となり明には人となり其の正気の磅■する所風雲の時に會しては旋乾轉坤の皇謨を■賛し和順の世に在っては離合無常の人心を教導する我が元帥陸軍大将畑俊六公その人なり
公は明治12年會津藩士の子として生れ克く忠に克く孝に幼にして白虎隊の精魂を體す
■く軍人に志を立て陸軍士官學校に入り次いで陸軍大學校に■ふ
成績常に優秀群を抜き以来旭日と天を競ひ累進又累進忽ち中将より大将に昇る
補職亦随って適ひ人臣の最高峰を極む
初め清獨二國の駐在より逐次陸軍大學校教官教導聯隊長参謀本部兼海軍々令部々員に補せられ砲兵監に轉し師團長に進み航空本部長となり臺湾軍司令官に陞る
昭和12年支那事變起るや軍事参議官に任し教育総監に徙る
軈て軍司令官として■外の命を奉し中支那に事變鎮定の■を揮ふ
歳餘にして明良遭遇の機臻り侍従武官長を拝命し畏くも 至尊に咫尺して宮中に入る
聖寵を蒙ること厚く深藏を傾倒し密勿啓輔の誠を果さんとして任未た終わらさるに時局は急轉し第二次世界大戰に入り衝路人を要するの急なる■
勅命人を介するに遑あらすして直に陸軍大臣を口宣せられ府中に歸る
是に於て多年軍略に練熟したる精■は以て軍政に細密機敏の威力を發し名實倶に日本陸軍の權與を総握するに至る
然るに戰局愈々重大を告くるにすで曁ひ支那派遣軍総司令官として再度禹域に渡り轉戰すること3年
偉功を以て元帥府に列す軍人最高の榮譽何物か若かむ
かくて再ひ教育総監に返り帝國陸軍の育成に膺りしも時祖國は安危分岐の頂點に立ち第2総軍司令官に擢補せられて廣島に鎮する
恰も原爆の惨事相繼き大厦の顛覆するに至っ■■一木爭てか支ふる所にあらむ
邦家は遂にポツダム宣言受諾の悲運に陥り當路の高官と共に公亦責ありとして巣鴨に囹圄せらる
昭和29年■めて縲絏解け迎■られて偕行社の會長となる
茲に戰歿将士の慰霊遺族■■生援護と舊軍人相互親和の誘導とに孜々一身を捧けて日夜を分たさりしか偶々昭和37年5月10日棚倉町忠霊塔の除幕式に臨み祭文を捧して席に復し感激餘って忽焉星と化して昇る
噫磐城の空に
公聡敏の資を以て天に稟け人に接する寛に巳を持すること厳常に■朖を時局に開き細心國事に身を寄すその睿達強識は深謀の源その冷静公明なるは變理の泉なり
而も人に驕らす人を慢らす故に尊信を上下に受け後毘に貽す所渾て道の縄人の亀鑑に非さらむや
■者地人胥頼り頌徳の石碑を公か昇天の■に建てむと欲して偕行社に諮り轉して予に需む謂ふに予不文にして任に非す
却って公か神明を■らむことを懼ると雖も■■陸軍教授として兩度に亘り公を教育総監に戴きし所縁ありその遺徳を欽仰する殊に深し故に僭越を忘れて筆を■り後人の矜式を俟つあるに過きすと云爾
即ち銘に曰く
   廟堂仕名君   暴露率三軍
   變和天地大   百世駕星雲

昭和38年5月10日
土屋敏雄 撰文
鈴木 勇 刻


軍歴
  東京府立一中を経て  
明治29年 9月 中央幼年学校入学  
明治31年11月 中央幼年学校卒業(第12期)
(明治32年5月29日卒業?)
卒業生:141名
優等(3番)で卒業
明治31年11月 陸軍士官学校入学 校長:寺内正毅少将(扱)
(明31.2.18〜明31.12.23)
明治33年11月 陸軍士官学校卒業(第12期) 卒業生:655名
11番で卒業

校長:高木作蔵大佐
(明31.12.23〜明38.6.7)
明治34年 6月 砲兵少尉
野砲兵第1連隊付
 
明治36年11月 砲兵中尉  
明治37年 4月

明治37年 9月
出征  
明治37年10月 戦傷  
明治38年 4月 野砲兵第1連隊補充大隊中隊長  
明治38年 6月 砲兵大尉  
明治39年10月 陸軍砲工学校高等科卒(第12期) 卒業生:33名
(明治39年12月21日卒業?)
明治40年12月 陸軍大学校入学 校長:井口省吾少将
(明39.2.6〜大1.11.27)

幹事(教頭):河合 操大佐
(明40.11.13〜明41.11.10)
明治43年11月 陸軍大学校卒業(第22期) 卒業生:51名
優等(2番)で卒業

校長:井口省吾少将

幹事(教頭):山梨半造大佐
(明41.11.10〜明43.11.30)
明治43年12月 参謀本部部員(作戦班) 参謀総長:奥 保鞏大将
(明39.7.30〜明45.1.19)

参謀次長:福島安正中将
(明41.12.19〜明45.4.25)

作戦課長
鈴木荘六中佐
(明41.12.21〜明43.12.19)
高柳保太郎中佐
(明43.12.19〜大4.4.10)
明治45年 3月 ドイツ駐在 駐在武官
田村沖之甫大佐
(明43.10.1〜大2.2.25)
河村正彦大佐
(大2.2.25〜大3.8.24)

駐在武官補佐官
林 弥三吉少佐
(明45.1.9〜大2.4.16)
川島義之少佐
(大2.4.16〜大3.3.19)
古荘幹郎大尉
(大3.3.31〜大3.8.10)
大正 3年 4月 砲兵少佐  
大正 3年 8月 参謀本部付
(スウェーデン駐在)
参謀総長:長谷川好道大将
(明45.1.20〜大4.12.16)

参謀次長:明石元二郎中将
(大3.4.17〜大4.10.4)
大正 3年 9月

大正 5年 3月
欧州出張  
大正 5年 5月 参謀本部部員 参謀総長:上原勇作大将
(大4.12.17〜大12.3.17)

参謀次長:田中義一中将
(大4.10.4〜大7.9.29)
大正 7年 7月 砲兵中佐  
大正 7年 8月 参謀本部部員兼軍令部参謀 参謀総長:上原勇作大将
参謀次長:田中義一中将
大正 7年12月 欧州出張
(講和会議全権随員)
 
大正 8年 4月 陸軍大学校教官 校長:宇垣一成少将
(大8.4.1〜大10.3.11)

幹事(教頭):和田亀治少将
(大8.1.15〜大10.6.3)
大正 8年12月 参謀本部・作戦課作戦班長
(大8.12.25〜大10.7.20)
参謀総長:上原勇作大将

参謀次長:福田雅太郎中将
(大7.10.10〜大10.5.5)

後任作戦班長:清水喜重中佐
(大10.7.20〜大12.5.2)
大正10年 7月 砲兵大佐
野砲兵第16連隊連隊長
 
大正11年 8月 野砲兵学校教導連隊長  
大正12年 8月 参謀本部作戦課長兼軍令部参謀
(大12.8.6〜大15.3.2)
参謀総長:河合 操大将
(大12.3.17〜大15.3.2)

参謀次長:武藤信義中将
(大11.11.24〜大14.5.1)

前任作戦課長:坂部十寸穂大佐
(大11.8.15〜大12.8.6)
後任作戦課長:小川恒三郎大佐
(大15.3.2〜昭1.12.28)

海軍軍令部長
山下源太郎大将
(大9.12.1〜大14.4.15)
鈴木貫太郎大将
(大14.4.15〜昭4.1.22)
大正15年 3月 陸軍少将
野戦重砲兵第4旅団長
 
昭和 2年 7月 参謀本部第4部長
(昭2.7.26〜昭3.8.10)
参謀総長:鈴木荘六大将
(大15.3.2〜昭5.2.19)

参謀次長:南 次郎中将
(昭2.3.5〜昭4.8.1)

前任第4部長:多門二郎少将
(大14.5.1〜昭2.7.26)
後任第4部長:林 桂少将
(昭3.8.10〜昭4.8.1)
昭和 3年 8月 参謀本部第1部長
(昭3.8.10〜昭6.8.1)
参謀総長
鈴木荘六大将
金谷範三大将
(昭5.2.19〜昭6.12.23)

参謀次長
南 次郎中将
二宮治重中将
(昭5.12.22〜昭7.1.9)
真崎甚三郎中将
(昭7.1.9〜昭8.6.19)

前任第1部長:荒木貞夫少将
(大14.5.1〜昭3.8.10)
後任第1部長:建川美次少将
(昭6.8.1〜昭7.2.4)
昭和 6年 8月 陸軍中将
砲兵監
(昭6.8.1〜昭8.8.1)
前任:大橋顧四郎中将
(昭5.8.1〜昭6.8.1)

後任:入江仁六郎中将
(昭8.8.1〜昭9.8.1)
昭和 8年 8月 第14師団・師団長
(昭8.8.1〜昭10.12.2)
前任:松木直亮中将
(昭4.8.1〜昭8.8.1)

後任:末松茂治中将
(昭10.12.2〜昭12.3.1)
昭和10年12月 航空本部長
(昭10.12.2〜昭11.8.1)
前任:堀 丈夫中将
(昭9.8.1〜昭10.12.2)

後任:古荘幹郎中将
(昭11.8.1〜昭12.8.2)
昭和11年 8月 台湾軍司令官
(昭11.8.1〜昭12.8.2)
前任:柳川平助中将
(昭10.12.2〜昭11.8.1)

後任:古荘幹郎中将
(昭12.8.2〜昭13.9.8)

参謀長
荻洲立兵少将
(昭10.8.1〜昭12.3.1)
秦 雅尚少将
(昭12.3.1〜昭13.2.19)
昭和12年 8月 軍事参議官
(昭12.8.2〜昭13.2.14)
同時期の参議官

鳩彦王中将
(昭10.12.2〜昭12.12.2)
稔彦王中将
(昭10.12.2〜昭13.4.30)
寺内寿一大将
(昭12.2.2〜昭12.8.26)
中村孝太郎中将
(昭12.3.1〜昭13.7.15)
昭和12年 8月 教育総監
(昭12.8.26〜昭13.2.14)
前任:寺内寿一大将(兼任)
(昭12.2.9〜昭12.8.26)

後任:安藤利吉中将(扱)
(昭13.2.14〜昭13.4.30)

教育総監部本部長:安藤利吉中将
(昭12.8.2〜昭13.5.25)
昭和12年11月 陸軍大将 昭和12年11月1日発令
昭和13年 2月 中支那派遣軍司令官
(昭13.2.14〜昭13.12.15)
前任:(中支那方面軍司令官)
松井石根予備役大将
(昭12.10.30〜昭13.2.14)

後任:山田乙三中将
(昭13.12.15〜昭14.9.23)

参謀長:河辺正三少将
(昭13.2.15〜昭14.1.31)
昭和13年12月 軍事参議官
(昭13.12.15〜昭14.5.25)
同時期の参議官

鳩彦王中将
(昭13.3.14〜昭20.11.30)
寺内寿一大将
(昭13.12.9〜昭16.11.6)
稔彦王中将
(昭14.1.13〜昭20.8.17)
古荘幹郎大将
(昭14.5.19〜昭15.7.21)
昭和14年 5月 侍従武官長
(昭14.5.25〜昭14.8.30)
侍従武官(陸軍)
横山 明中佐
(昭14.3.9〜昭17.12.10)

侍従武官(海軍)
醍醐忠重大佐
(昭13.12.15〜昭16.10.20)
昭和14年 8月 陸軍大臣
(昭14.8.30〜昭15.7.22)
総理大臣
阿部信行
(昭14.8.30〜昭15.1.16)
米内光政
(昭15.1.16〜昭15.7.22)

陸軍次官
山脇正隆中将
(昭13.12.10〜昭14.10.14)
阿南惟幾中将
(昭14.10.14〜昭16.4.10)

大臣官房副官(高級副官):川原直一大佐
(昭14.8.1〜昭18.2.8)

陸軍大臣秘書官:小尾哲三中佐
(昭14.8.1〜昭16.3.1)

海軍大臣:吉田善吾中将
(昭14.8.30〜昭15.9.5)
昭和15年 7月 軍事参議官
(昭15.7.22〜昭16.3.1)
同時期の参議官

鳩彦王中将
寺内寿一大将
稔彦王中将
杉山 元大将
(昭14.9.12〜昭15.10.3)
山田乙三中将
(昭14.10.14〜昭19.7.18)
岡村寧次中将
(昭15.3.9〜昭16.7.7)
土肥原賢二中将
(昭15.9.28〜昭19.3.22)
昭和16年 3月 支那派遣軍総司令官
(昭16.3.1〜昭19.11.23)
前任:西尾寿造大将
(昭14.9.12〜昭16.3.1)

後任:岡村寧次大将
(昭19.11.23〜)

総参謀長
板垣征四郎中将
(昭14.9.4〜昭16.7.7)
後宮 淳中将
(昭16.7.7〜昭17.8.17)
河辺正三中将
(昭17.8.17〜昭18.3.18)
松井太久郎中将
(昭18.3.18〜昭20.2.1)
昭和19年 6月 元帥 昭和19年6月2日発令
昭和19年11月 教育総監
(昭19.11.23〜昭20.4.7)
前任:野田謙吾中将(代理)
(昭19.7.22〜昭和19.11.22)

後任:土肥原賢二大将
(昭20.4.7〜昭20.8.25)

教育総監部本部長:野田謙吾中将
(昭18.10.1〜昭20.4.7)
昭和20年 4月 第2総軍司令官
(昭20.4.7〜昭20.10.15)
参謀長
若松只一中将
(昭20.4.6〜昭20.7.18)
岡崎清三郎中将
(昭20.7.18〜)
昭和20年10月 廃職  
昭和20年11月 予備役  
昭和20年12月 逮捕  
昭和23年11月 A級戦犯として終身刑宣告  
昭和29年10月 仮釈放  
昭和33年 4月 刑免除  
昭和33年 7月

昭和37年 5月
偕行社会長
(昭33.7.21〜昭37.5.10)
前任:鈴木孝雄
(昭29.4.18〜昭33.7.20)

後任:山脇正隆
(昭38.2.6〜昭44.1.28)

(参考:東京大学出版会『日本陸海軍総合辞典』)




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