鳩山和夫像平成15年5月25日

鳩山和夫 はとやま・かずお

安政3年4月3日(1856年5月6日)〜明治44年(1911年)10月3日

東京都文京区音羽の鳩山会館でお会いしました。


鳩山和夫は美作国勝山藩士の子として江戸で生れました。
開成学校卒業後アメリカに留学、エール大学で学位を取得しました。(法学博士)
代言人、東京府議を経て、明治18年(1885年)に外務省に入ります。
明治19年(29歳)で取調局長・翻訳局長、更に法科大学教授などを歴任しました。
明治23年(34歳)、東京専門学校(現・早稲田大学)学長となります。
明治27年(37歳)に衆議院議員に当選、明治29年(1896年)には衆議院議長になりました。
立憲改進党に籍を置き、第一次大隈内閣の外務次官などを務めましたが民権家としての活動歴に乏しいため非主流派で、のちに立憲政友会に転身しました。明治41年(52歳)で東京市会議員に当選、2年後には東京弁護士会長に当選しますが、1年後の明治44年(1911年)10月3日午前7時半に55歳で永眠しました。


鳩山会館 鳩山会館
鳩山会館の庭に奥さんの春子さんと一緒に建っています。
鳩山和夫・春子の像

※衆議院議員の鳩山由紀夫氏、鳩山邦夫氏は曾孫にあたります。


【鳩山和夫】

明治の初期、開成所法律科(のちの東大法学部)からコロンビア大学、エール大学を卒業し、日本で第一号の法学博士になった人である。
いわば法曹界の先駆者として弁護士となり、東大法学部で教授を務めたばかりか、東京法律学校長も務めている。
政治家としても、明治30年、36歳の若さで衆議院議長となった一流の人物である。

この和夫と二人三脚で鳩山家の繁栄を築いたのが、その妻・春子である。
春子は、女子高等師範(現在のお茶の水女子大)の前身「竹橋」を出た才媛で、結婚前は同校の教師だった。
昔の修身の教科書に出てくるような良妻賢母の人だったようで、女子教育に力をいれ、共立女子職業学校(現在の共立女子大)を創立した教育者でもあった。

この“エリート夫婦”の間に生まれたのが後に総理大臣となる一郎と秀夫(元東大教授)である。

(参考:神一行 著 『閨閥 新特権階級の系譜』 1993年第1刷発行 講談社文庫)

(平成26年7月16日 追記)




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