駆逐艦 初月 はつづき


駆逐艦初月慰霊之碑



第61駆逐隊
駆逐艦初月慰霊之碑

(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地




(平成20年11月23日)

鎮魂歌

 魂きはる
生命をかけて
     國鎮る
わが初月の
  御霊安かれ

初月乗組員生存者代表
有澤貞彦謹書

(碑文より)

碑文

駆逐艦 初月 は防空駆逐艦として昭和17年12月29日舞鶴海軍工廠にて竣工、直ちに第61駆逐隊に配属され以来「い号作戦」に行動し「マリアナ沖海戦」では旗艦「大鳳」を護衛して奮戦した。
戦局急を告げる昭和19年10月25日「レイテ沖海戦」に於ては旗艦「瑞鶴」を直衛し4次に亙る延べ5百余機の米艦載機と交戦、多大の戦果を挙げるも「瑞鶴」の沈没を見るや身を挺してその乗員の救助作業中突如襲い来つた15隻の米艦隊の重囲に陥るも孤艦奮斗2時間有余、為に我が艦隊は遠く北方に戦場から離脱するを得た。
而し我が初月は遂に力盡き同日午後8時57分エンガノ岬の沖深く無念を胸に愛する者への萬感の思いをこめて最後の水中爆発と共にその英姿を没した。
全員戦死の為その凄絶なる最後を語る者無きも戦後米国の戦史が発表されるに及びその勇戦奮斗が明白となった。
米海軍にさえ高く称賛されるその奮戦は永く子子孫孫に語り継がれよう。
茲に駆逐艦 初月 の栄誉を顕彰し英霊の冥福を祈らんと遺族及び元乗組員 生存者の有志相寄り謹んで此の碑を建立する。

昭和59年10月20日
委員長 阪口雄三 謹書

第61駆逐隊駆逐艦初月慰霊之碑

一等駆逐艦
秋月」型の4番艦として昭和17年12月15日舞鶴工廠で竣工。
佐世保本籍指定は同年4月3日。
第61駆逐隊に編入されたのは昭和18年1月15日。

マリアナ沖海戦においては、空母直衛艦として活躍。
昭和19年10月25日の比島沖海戦においては小沢艦隊に属し、「秋月」と同様に「瑞鶴」の直衛艦として、その正横1.5kmにおおむね占位していた。
「瑞鶴」は第3次空襲で沈没。
「初月」は「若月」「桑」とともに「瑞鶴」「瑞鳳」の乗員救助に従事。
午後5時30分以降は「初月」単艦で現場に留まり救助作業を続行。
午後6時53分、13隻(重巡2、軽巡2、駆逐艦9)の米艦隊が現れ、「初月」に対し砲撃を開始。
「初月」は「ワレ敵水上艦艇ト交戦中」と無電を打つと共に、煙幕を張り、速力を26ノットに上げ、ジグザグ運動を行なって米艦隊からの斉射弾をかわしていた。
双方の距離が6カイリに迫った時、「初月」が反撃態勢をとったため、追跡中の米艦隊は魚雷の命中を恐れて、2回にわたり急角度の回避運動をとった。
午後7時15分、米駆逐艦は距離をつめ、「初月」の前方に進出して魚雷を発射。
その回避のため「初月」の速力が落ちる。
8時頃には米艦は「初月」の約5000m近くに迫り、照明弾射撃を開始。
「初月」は命中弾多数を受けて8時15分頃には航行不能となった。
その15分後の午後8時30分、瞬時にして艦首から沈没。
この戦闘で、先に救助していた「瑞鶴」の乗組員もろとも本艦の乗組員全員が戦死した。
したがって前記の戦闘の模様は、米軍の記録によるものである。
碑は昭和59年10月20日建立。
司令天野重大佐、艦長橋本円松中佐以下乗組員355名の霊を祀る。

(参考:社団法人 佐世保東山海軍墓地保存会発行 『佐世保東山海軍墓地 墓碑誌』 平成20年第3刷)


【秋月型】

脆弱な空母を敵の空襲から護る為には、対空用の防空艦が必要という考えから生まれたのが本型である。
最初は駆逐艦にせず、「直衛艦」という新艦種にすることも考えられたが、魚雷戦に偏重していた海軍はこの艦にも魚雷を搭載し、結局、駆逐艦として完成させた。
魚雷戦用の駆逐艦を駆逐艦甲と呼び、本艦は駆逐艦乙とされた。
ちなみに、丙が「島風」型であり、丁が「松」型である。
船体は3000トンを超え、軽巡洋艦の「夕張」に匹敵する大きさとなったのは、空母に随伴して遠距離作戦をこなすためである。
新開発の長10センチ連装高角砲は、従来の12センチや12.7センチ高角砲よりも砲弾の初速が速く、半自動式装填で、砲身の旋回俯仰速度も速いという高性能砲であった。
連装2基づつを前後に分け、2基の高角測距儀により、それぞれ別の目標を狙うことが可能だった。
「冬月」以降は高角測距儀を1基にするなどの装備や船体の簡素化が行われたため、「冬月」型として別型扱いすることもある。
空母増勢計画と共に大量生産が計画されたが、12隻の完成で終わった。

【要目】
公試排水量:3470トン
機関出力:5万2000馬力
速力:33ノット
航続力:18ノットで8000海里
乗員数:263名
兵装:10cm連装高角砲×4
    25mm連装機銃×2
    61cm4連装魚雷発射管×1

【同型艦】
秋月(昭和17年6月13日竣工〜昭和19年10月25日戦没)
照月(昭和17年8月31日竣工〜昭和17年12月11日戦没)
涼月(昭和17年12月29日竣工〜終戦時残存・解体)
初月(昭和17年12月29日竣工〜昭和19年10月25日戦没)
新月(昭和18年3月31日竣工〜昭和18年7月5日戦没)
若月(昭和18年5月31日竣工〜昭和19年11月11日戦没)
霜月(昭和19年3月31日竣工〜昭和19年11月25日戦没)
冬月(昭和19年5月25日竣工〜終戦時残存・解体)
春月(昭和19年12月28日竣工〜終戦時残存・ソ連へ引渡し)
宵月(昭和20年1月31日竣工〜終戦時残存・中華民国へ引渡し)
夏月(昭和20年4月8日竣工〜終戦時残存・英国へ引渡し)
花月(昭和19年12月26日竣工〜終戦時残存・米国へ引渡し)

(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


【秋月型搭載高角砲】

他のクラスの駆逐艦に搭載されている12.7センチ砲は、対空射撃の場合、仰角60度で射高は8000メートル、発射速度は毎分10発程度。
「秋月型」の10センチ連装高角砲は仰角90度、射高1万2000メートル以上、水平射程約2万メートル、発射速度は毎分19発。

(参考:遠藤昭・原進 著 朝日ソノラマ発行 『駆逐艦戦隊』)

(平成22年8月25日追記)


防空駆逐艦 初月 模型

防空駆逐艦 初月



防空駆逐艦初月の模型

(長崎県佐世保市・佐世保東山海軍墓地休憩所)





(平成20年11月23日)

初月の模型 初月の模型

防空駆逐艦初月の模型




防空駆逐艦 初月の模型
(東京・靖国神社遊就館)




(平成18年11月22日)

防空駆逐艦「初月はつづき

「初月」は防空駆逐艦「月型つきがた」の4番艦で、防空駆逐艦として昭和17年竣工しゅんこう後、空母直衛部隊に編入され常に空母部隊の直衛にあたった。
マリアナ沖海戦では空母「瑞鶴ずいかく」を直衛して戦ったが、「瑞鶴」の沈没後、周囲の海面で漂流者を救助しつつ、近づいてきた米艦隊に只ただ一隻で反撃にでた。
16対1の奮戦の後、壮烈なる沈没を遂げた。

(説明板より)


防空駆逐艦初月乗組員之霊碑



防空駆逐艦
初月 乗組員之霊
(フィリピン共和国ルソン島バグサンハン・比島寺)




(平成18年11月2日)
比島寺



比島寺

(フィリピン共和国ルソン島・バグサンハン)


旅日記参照)


(平成18年11月2日)

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