2.ダブルブッキング!

(オアフ島)


現地時間:平成21年(2009年)12月5日

早朝、ハワイのホノルル空港に到着・・・・
機内ではウトウトした程度で、熟睡ができなかった。

で・・・今日は、何日?
12月5日の夜に成田を出て、着いたのは12月5日の朝である。
どうもいかん・・・ピンと来ない。(笑)
私は、数字に弱いのである。
何時間飛行機に乗っていたのか、日本とは何時間の時差があるのか、さっぱりわからぬ。
そもそも、「郷に入れば郷に従え」であるから、日本が何日で何時なのかなんて関係ない。
日本へ電話をするわけでもないので、なおさらである。
だから、全然頭に入らないのかもしれない。

とにかく、今日は5日の早朝なのだ。
今回の旅は、H.I.Sを使っての旅なので、空港から市内まではツアーバスで移動。
市内のH.I.S旅行社のあるビルで降り、そこで簡単な説明等を受けて解散。
荷物は別の車でホテルに送ってくれるという。
そりゃ、そうだ、こんな朝早くからホテルにチェックインできるわけがない。
荷物を持ってウロウロと歩かねばならないのかと心配したが助かった。
最低限必要なものはショルダーバッグに入れておいたのでスーツケースがなくても大丈夫。

あれやこれやのサービスもあって、どこそこへ行くとお土産をプレゼント・・・・等々・・・
まぁ、商魂たくましい。
だから、格安の旅費で提供してもやっていけるんだろう。
当然だな・・・
呆れたのは、ハワイのマンションの勧誘。
だれが、ここの分譲マンションを買うというのか・・・・唖然・・・である。

頭が全然働かない・・・・
睡眠不足のせいか、時差ボケか・・・・
今から25年前にアメリカに行った時に時差ボケで参ったが・・・
あの時と同じ感じである。
久々の時差ボケかな?

ハワイに到着したら、まず、何をするんだっけ?
初日の行動予定が思い出せない。(笑)

橋本さんは、日本にいた時に紹介された方々に片っ端から電話する。
で・・・いろいろと約束をしているのだが・・・・
ダブルブッキングはしないのだろうかと、少々不安である。
しかし、私が口を挟むことじゃないし・・・
頭も働いてないし・・・
寒いところから、暑い所へ来て、ボ〜ッとしちゃってるし・・・
いやはや、歳は取りたくねぇもんだ〜(笑)
キツイなぁ〜・・・これ・・・

とにかく、ホテルにチェックインするまで時間があるので、ブラブラ歩きながらホテルに向かうことにする。
ついでに、あっちこっちに立ち寄って、旅行社からもらったクーポン券の「お土産」集めをする。
何も買う気はないので、冷やかし半分・・・・
「ささやかなお土産」集めだけをする。(笑)
お土産だけをもらってさっさと帰る。
店員から冷ややかな目で見られたが・・・(笑)
そうそう君たちの策略には乗らぬのだ〜

ようやく思考回路が正常化してきた。
まず、最初にやらなくてはならないことを思い出した!
そうそう、空から真珠湾を見るための飛行機のチャーターである。
『地球の歩き方』の事務所に行って相談をかけることにしていたのだ。
が・・・その事務所が見つからない。
それもそのはず、橋本さんが持参してきたガイドブックは古いもので、そこに掲載されている事務所は移転していたのである!(笑)
私は新しいガイドブックを持ってきていたが、面倒くさいので出さなかった。
これが、そもそもの失敗である。
これに気がつくまで散々無駄な時間を費やしてしまった。

時差ボケのせいである・・・・・(笑)
自分が持参してきたガイドブックを開き・・・
ようやく、古いガイドブックと最新のガイドブックでは住所が違っていることに気が付き、移転先の事務所に辿りつき、スタッフと打ち合わせ。
こちらの要望は、ヘリコプターかセスナでハワイ上空を飛んで、武田友治が戦死したと思われる場所に空から花を1輪落として慰霊することである。
オアフ島を空から観光するツアーもあるが、他の客と一緒では、窓際に座れなければ写真も撮れないだろうし、花を落とすことも出来ないだろうということで貸切を希望。
結局、ヘリコプターがいいだろうということで、これに決め、飛行コース等の詳細は後日パイロットと打ち合わせることにして申し込む。
予想では10万円以上はかかると思っていたが、案外安く8万円ぐらいで済んだ。

とりあえずの用事は済んだので、ホテルに向けて更にテクテク歩く・・・・
途中で、昼食・・・・
橋本さんは食事についてはあまりこだわりがない。
ガイドブックに載っている店にでも行って、おいしいものを食べようなんてことは考えない方である。
安けりゃ安いに越したことはない・・・というので・・・・
お昼はハンバーガーである。(笑)

お昼のハンバーガー 昼食のハンバーガー

我々が宿泊するホテルは、町はずれという感じの場所にあるらしい。
らしい・・・というのは、ホテル選びも橋本さんがしたのである。
出発前に資料を送ってもらい、「ここに決めましたから」とご連絡をいただいてはいたが、真剣に見ていなかった。(笑)
だから、場所はもちろん、ホテルの名前すら頭の中に入っていない。
とにかくチェックインできるまで時間をつぶさねば・・・・
ここはどこだ?
ホノルルとかワイキキとか、名前だけは聞いたことがあるが・・・・どこがホノルルでどこがワイキキかなんて知らない。(笑)
だいたい、ハワイっていくつもの島で成り立っているのだということすら知らぬのだ。
ん?ハワイって「ハワイ」っていう島なんじゃないの?
ここはオアフ島?(笑)
事前に地図を頭に入れるということもしないで来たし・・・・
どこかで橋本さんが調べてきているんだろうという甘えもあるから調べないし覚えてもいない。(笑)

ワイキキの端っこまで来たらしい。
カピオラニ・パークという公園に辿りつく。
散策でもしますかぁ〜まだ時間もあるし・・・・
で・・・ここにガンジーの銅像があったので、その写真を撮る。
それにしても・・・なんでインドのガンジーの銅像がハワイにあるんだ????
よくわからん・・・(笑)

ガンジーの銅像 ガンジーの銅像

海岸のほうへ行ってみたが・・・
ここがワイキキ・ビーチって言うの?
よくわからないんだけど・・・・(笑)

ワイキキのビーチ?

この公園からダイヤモンドヘッドがよく見える。
ん?あの山がダイヤモンドヘッド?
どこがダイヤモンド?????

ダイヤモンドヘッド ダイヤモンドヘッド
ダイヤモンドヘッド
碑文
DIAMOND HEAD

HAS BEEN DESIGNATED A
REGISTERED
NATURAL LANDMARK

UNDER THE PROVISIONS OF THE
HISTORIC SITES ACT OF AUGUST 21.1935
THIS SITE POSSESSES EXCEPTIONAL VALUE
IN ILLUSTRATING THE NATURAL
HISTORY OF THE UNITED STATES

U.S. DEPARTMENT OF THE INTERIOR
NATIONAL PARK SERVICE
1968
ホテル ようやくホテルにチェックイン!

さて・・・私にとっての大問題・・・・
それは、タバコである。
室内は禁煙とのことなので、ベランダならばいいだろうと思ったら、それも駄目だという。
3階にあるプールサイドに1か所だけ喫煙場所があるので、そこで吸ってくれといわれる。
タバコを吸いにわざわざプールまで行かねばならんのか?
なんとも不便な話である。
「顧客サービス」なんてどこへやら・・・・である。
室内は別として、ベランダはいいんじゃないか?
違反すると罰金250ドルだとか・・・・
まったく異常だよなぁ〜

部屋から見た景色

今日の夜は、予科練の戦友会役員である吉田さんが紹介してくれた現地の戦史研究家のディバジリオ氏と食事会。
ホテルに迎えに来てもらい、中華レストランで3人で食事しながら歓談する。
彼は片言の日本語を話すが、難しい戦史の話は英語である。
こちらは片言の英語しか話せない。
が・・・なんとかかんとか会話は成り立った。(笑)

話は橋本さんが知りたがっている武田友治搭乗機の墜落場所について・・・・
武田友治一飛は空母『加賀』搭載の九七式艦上攻撃機の電信員として搭乗していた。
操縦員は長井泉二等飛行兵曹、偵察員は植田米太郎一等飛行兵曹である。
この3名が搭乗した九七式艦上攻撃機の墜落場所が、どうもはっきりしないのである。
日本側にも確たる資料がないようで、生還者も、この機が攻撃後どうなったのか誰も見ていないそうなのである。
米国側は、その後、撃墜した日本機の墜落場所を調査していて、私も事前にその資料を見つけて目を通しておいたが・・・
その資料によれば、ハロナ・ブロウ・ホール沖に墜落したことになっている。
空母『加賀』搭載機のうち真珠湾で撃墜された九七式艦上攻撃機は5機。
そのうちの4機は、ほぼ確実な墜落現場が示されているのだが、「長井機」だけが“あさっての方角”のハロナ・ブロウ・ホールの沖に墜落しているというのが解せない。
ディバジリオ氏の話によれば、当日のハロナ・ブロウ・ホールの周辺にはたくさんの釣り客がいたという。
当日、彼らは日本軍機が飛んでくるところも、墜落したところも見ていないというのである。
「長井機」の墜落した地点を、ここにしたのは、ある戦史研究家らしいのだが、彼にはちょっと問題があるようなことを言っていた。

当初、我々はハロナ・ブロウ・ホール沖に墜落したとの説に従って、そこへ慰霊に行こうと思っていたのだが・・・・
どうも、話によると、この場所ではないということになる。
では・・・どこかというと・・・これがまったく分からない。
「長井機」だけが“行方不明”なのだそうである。
ディバジリオ氏の推測では、雷撃後、大きく右に旋回して、延々と海岸沿いを飛行するのは不自然だという。
可能性としては、雷撃後、停泊中の戦艦の上を飛び越え、まっすぐオアフ島の山脈に向けて飛行して、途中で山中のどこかに墜落したか、それとも、雷撃と同時に被弾して体当たり自爆してしまい、その残骸は艦船の残骸と共に知らぬうちに処分されてしまったのではないかと言う。

彼は真珠湾攻撃について、かなり詳しい知識を持っているので、彼の説を聞いていると、確かにおっしゃる通り・・・と思う。
結局は「行方不明」なのだというのでは、どこで慰霊をしていいものやら・・・
初日から我々の慰霊の旅は行き詰ってしまった・・・・

食事会を終え、ホテルに戻る。
さて、明後日の真珠湾で開催される「開戦記念式典」だが・・・・
どうも、吉田さんが彼に話をしたらしい・・・・(よくは知らないけど・・・・)
そういうことで、明後日、ディマジオさんが、我々を真珠湾の記念式典に連れて行ってくれるという。

夜中の午前0時・・・・
突然、電話が入る。
“ミホ”さんという方からだ。
「なんで、ハワイに着いたら着いたで連絡を寄こさないのか」とのこと。
かなりご立腹である。
あらら・・・やっちゃった・・・・
橋本さんが、日本にいる時、あっちこっちに頼み込んだはいいが、どうも話が行き違っていたらしい。
この方も、吉田さんの紹介らしいが、高齢なので案内はできない、食事ぐらいはできる・・・・ということで話が終わってしまっていたらしい。(・・・と橋本さんは思っていた)
が・・・相手は、そうではないらしく、明日の市内観光の予約を我々のために頼んであるという。
この“ミホさん”は、日系ハワイアン。
第二次世界大戦では、日系部隊の一員としてヨーロッパでドイツ軍と戦っていたという人である。
予科練の戦友会役員の吉田さんとは“親友”だという。
その親友から頼まれたから・・・・ということらしい。

明日の市内観光は手配済み・・・って言われても・・・・
すでに、我々には明日の予定が入っている。
今年の春のグアム・硫黄島への旅行でお世話になった米国人戦史研究家のダンさんから紹介されたチャールズさんという方に、ハロナ・ブロウ・ホールへ連れて行ってもらうことになっているのだ。
やっちゃったぁ〜
恐れていた、ダブル・ブッキングである!(汗)
ほらね・・・あっちこっちに頼み込んじゃったから、それぞれが手配をしてしまったのである。
あまり、あちこちに頼まないほうがいいんじゃないですか・・・って以前、話しておいたのだが・・・やっぱり・・・やっちゃいましたか・・・

いくら説明しても相手は納得しない。
「明日は時間が空いているって言ってたから、市内観光を手配しておいたのだ」と言う。
「それは、当初の話で、すでに明日の予定は決まっています」と言っても、相手は引き下がらない。
どうも橋本さんと“ミホさん”、吉田さんとのメールのやり取りがマズかったらしい。
吉田さんという方も高齢・・・・
ご高齢者を仲介にしてご高齢者に物事を頼むんだから・・・・そりゃ行き違いが起こる可能性は大きいだろう。(笑)
アラ、アラ・・・
私は当事者じゃないから、どうしようもない・・・・

だいたい、高齢者というのは、言葉が足りない、説明が足りない、勝手に思い込む・・・というところがある。
橋本さんが、どういう話の持って行き方をしたのかは知らないが・・・・
私が恐れていたことが、やっぱり起きてしまった・・・・
「親切を無にする気か!」と言われては返す言葉がない。
こちらを立てれば、あちらが立たず・・・である。
結局、明日は二手に分かれることにした。
橋本さんは責任を取って(笑)、市内観光に行くことになり、私は、チャールズさんと一緒に出かけることとする。
もう、こうするしかないだろう・・・・


   


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