那珂郡大宮町大宮字古城116
部垂城址は、承久の乱以降常陸大掾[だいじょう]馬場資幹[すけもと]の子孫河崎頼幹[よりもと]がこの地に館を構えたことに始まる。
1437年佐竹一族の争いで、城は佐竹十四代義俊の弟実定方の所有となったが、山方町小貫を本拠にしていた小貫頼定が城を攻略し三代70年間居城としている。
佐竹十七代義篤の弟義元は、宇留野名跡を相続していたが、戦国時代のころ1529年城を攻略して、部垂城に居住し部垂氏を称したのである。
兄の義篤とは新旧両勢力の中で、家督相続争いとなり、「部垂十二年の乱」に発展し1540年部垂落城となる。
義元は討死し、部垂城は廃城となるが、その家中は佐竹本家給人となり部垂衆と称され、出羽国替えでは大館城下に移されたのである。
(大宮町教育委員会)
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部垂城跡。
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