比治山陸軍墓地

(広島県広島市・比治山公園)


比治山陸軍墓地入口 平成22年5月1日

この墓地は、1872年(明治5年)、広島鎮台(後の旧陸軍第5師団)が設置される前年に、この地比治山に設置されました。
その後、1877年(明治10年)の西南戦争から1941〜1945年(昭和16年〜20年)の太平洋戦争まで、日本国内や海外において戦争により亡くなった多くの人々が葬られています。
墓地は、1944年(昭和19年)に墓石の整理統合のため、その大部分が移設等集約されましたが、原子爆弾の投下により多大な被害を受けました。
その後、終戦後の混乱期を経て、多くの人々の奉仕活動により今日の姿に再建されました。
この墓地には、約3,500基の墓石とともに、全国から多くの人々の遺骨が合葬されています。
また、当地の南側には多くの慰霊碑が設置されています。
さらに、日清戦争、北清事変(義和団事件)及び第一次世界大戦により広島で亡くなった中国、フランス及びドイツの人々も葬られています。

1995年(平成7年)1月
広島市

(説明板より)

 

歩兵第11連隊・慰霊碑
広島ノモンハン会・慰霊碑(歩兵第71連隊 野砲兵第13連隊 輜重兵第23連隊
長江会・慰霊碑(歩兵第231連隊 他)
渦潮会・陸軍船舶工兵部隊慰霊碑(船舶工兵第1連隊 他)
広島少飛会・慰霊碑(陸軍少年飛行兵
電信兵・慰霊碑(電信第2連隊 他)

供養碑





不明墓碑 五百余柱
 供養碑





(平成22年5月1日)

数奇の運命に弄ばれた陸軍墓地の現存墓数は戦前に五百余柱が不足して所在不明になりました。
22、3才の若い尊命を国難に捧げて散った五百余の英魂いまいずこを彷徨しておられるか思うだに悲涙を禁じえないのであります。
参拝の皆様過去帳に眠る英魂に暖かい慰めのお言葉を賜わるようにお願い申し上げます。
昭和54年4月
比治山陸軍墓地保存協賛会

(説明板より)

慰霊碑





慰霊碑
電運会





(平成22年5月1日)

趣意書

本会は元陸軍運輸部通称暁部隊金輪島工場電気部員を以て構成する。
思うに私共は大東亜戦末期兵員に編入されましたが、長きは20有余年 雇員以下の陸軍最低階級とも言うべき準軍属たるに拘わらず作戦遂行の原動力とも言うべき輸送船の艤装と上陸用舟艇の研究整備等に一般軍人に勝るとも劣らぬ心魂をその任務に捧げたのであります。
が準軍属なるため一般徴兵戦没者と同一の恩典に浴し得ない大部の殉職者は最低の処遇を寧ろ誇りとし、これを烈々燃ゆるが如き祖国愛に替え喜んで一命を国家に捧げた崇高な霊光に打たされるとき私共生存者は一体何を以て之に報いるべきでありましょうか。
或時は百度を越す船艙に流汗淋漓五尺の身体を三尺に屈して徹夜強行の艤装を完成した延べ数百万隻に上る輸送船が万歳歓呼の声に送られての出航を見送る莞爾として笑を湛えて見送る亡友の温顔が或時は又炎熱鉄をもとかす南海に或いは氷雪骨氷る朔風の怒号する北海に丈余の大波浪試験に九死に一生を得た僚友の雄姿等が眼前に彷彿する私共には亡友の身を犠牲にして顧みなかった功績を万生に残すと共に英霊安住の霊所として祖国の繁栄を象徴する慰霊碑の建設こそ貴い殉職英霊に報いる生存者に残された唯一の途と信ずるものであります。
私共の慰霊碑の建設は少なりといえども古今東西に通ずる民族的偉業の一であり我国現時の時弊を正すものであるとの信念を一層堅くし之の碑を建立しました。


昭和44年3月
電運会

(碑文より)

台湾出身戦没者供養碑




大東亜戦争

台湾出身戦没者供養碑





(平成22年5月1日)
船舶砲兵部隊慰霊碑





慰霊碑・船舶砲兵部隊







(平成22年5月1日)

碑文

かつて日本陸軍に船舶砲兵部隊ありき
太平洋戦争下輸送船に乗組み船員と一心同体となり南溟北斗への劇烈なる輸送作戦に挺進せしも襲い来る敵潜敵機の猛攻に斃れ輸送船と共にわだつみ深く消えたる者数万を算う
又作戦準備のため比島に在りたる一部はその後ルソン攻防戦に突入し草むす屍となりて散華せり
今茲に當時を偲び亡き戦友船員の忠誠に敬意を捧げ不滅の勲功を讃えると共に墓標なき千尋の海に名も知らぬ山河のほとりに眠るみたまの安らぎを祈り之を建立せり

昭和52年11月6日
船舶砲兵部隊慰霊碑建立会

鎮魂の碑




鎮魂之碑
若潮千通会
(船舶特別幹部候補生)





(平成22年5月1日)

(碑文)

友よ 安らかに眠れ

兄等 修羅の巷に逝きて三十年
祖国存亡の秋に 少年学徒の身をもって馳せ参じ 人類史上例を見ない被爆によってこの地に眠る
瀕死の身をいとわず友の安否を訪ねし兄等
混迷のまにまに痛恨の思いをのこして散華せし友よ
生きのびた吾等の心に今なおうずく
ここに同期の友等相集い 兄等在りし日の至純を追慕し いまわの声を継承してとわの平和を誓う
安らかに眠れ 若き日の友よ

由来記

船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で 若潮部隊と稱されていた
主力は海上挺進戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃 千有余名の者が散華していった
船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 “丸ユ”と稱した輸送船舶の通信要員として 千田町国民学校を宿舎にして教育を受けていた
8月6日 朝の点呼中校庭で被爆 帰営中の3期生を含め 全員が重軽傷を負い 特幹隊は壊滅の状態に陥ちた
各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに数十名の者が散華していった
昭和45年以来生存者有志相集いこれら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈り あわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである

昭和50年8月吉日
元船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊
若潮千通会有志一同 建之

(碑文より)




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