平田篤胤 ひらた・あつたね

安永5年8月24日(1776年10月6日)~天保14年閏9月11日(1843年11月2日)


江戸後期の国学者。
出羽国秋田郡久保田に生まれる。
秋田藩士・備中国松山藩士を経てのちに致仕。
江戸に出て独学で国学を学び、本居宣長没後の門人となる。
文化10年(1813年)に著わした『霊能真柱たまのみはしら』以後、死後の霊は大国主命の主宰する霊冥に行くとする死後安心論を展開。
その宗教化を強め、儒教・道教や洋学の知識を用いて古伝説の再編を行ない、独自の立場を打ち出した。
神官・豪農を中心に553人に及ぶ門人がいたが、晩年は幕府から譴責を受けるなど不遇だった。
幕末期の尊王攘夷運動に大きな影響を与え、近代では国家神道を支えるものとして宣揚された。

(参考:『日本史人物事典』 山川出版社 2000年5月第1版第1刷発行)



平田篤胤生誕の地

 (秋田県秋田市中通4丁目2・土手谷地街区公園)

(平成26年11月20日)

平田篤胤生誕の地

平田篤胤は、本居宣長らとともに国学四大人の一人と称される江戸後期の国学者。
安永5年(1776)に秋田藩士・大和田祚胤としたねの四男としてこの地に生まれ、幼少の頃から勉学に励み、20歳で江戸に出て苦学を重ねると、やがて備中(岡山県)松山藩士・平田篤穏あつよしの養子となった。
宣長の学風を色濃く受け継ぎながら、江戸や京都で復古神道を確立し、諸国にその名を知られたが、儒教を廃し極端な尊王思想を唱えたことで、幕府の体制を揺るがすとされ、天保12年(1841)に久保田へ帰された。
2年後、中亀ノ丁(南通亀の町)で、病により没するまで、秋田の国学界の発展に寄与した。
篤胤の墓は手形大沢にあり、国指定史跡となっている。

平成24年6月1日再設置
秋田市教育委員会

(説明板より)





 「平田篤胤先生誕生之地」碑
 (土手谷地街区公園)

 陸軍大将本郷房太郎書




(平成26年11月20日)

【碑文】

這ハ是レ平田篤胤大人誕生ノ地ナリ天地ノ正氣ヲ鼓舞シ大ニ我カ國民ヲ醒覺セシメシ伊吹迺舎大人出生ノ處ナリ余歩兵第十七聯隊長ヲ
拜シ赴任ノ際本郷大将ニ詣ル大将■事ヲ談シ余ニ告クルニ屯營秋田ニ置キシハ大人ノ出生地ヲ収メテ營庭トシ因テ以テ士氣ヲ鼓舞セント
セシ大将ノ深慮ニ出テシ事ヲ以テス今ヤ果然本聯隊ハ天下ノ精鋭ヲ以テ目セラル豈テ欣快ナラスヤ曩ニ高草木大佐通路ニ面シ一碑ヲ建テ
シモ掩ハレテ營庭ヨリ望ム能ハス余當初ノ精神ヲ營庭ニモ之ヲ闡揚スル要アルヲ想ヒ■テ此ノ碑ヲ建ツ而シテ此ノ地點タル毎テ營庭ニ於テ
軍旗ヲ迎ヘ奉ル絶好ノ個處ナリ噫何タル神契リ余本日■■■■長タルノ官命ニ接シ不日任ニ赴ウントス而シテ秋田聯隊當初ノ精神ヲ高詞ス
■■期■無カラントス仍ニ倉皇此ノ由ヲ記シ併セテ大将ニ碑表ノ字ヲ請ヒ之ヲ石ニ刻シテ以テ永遠ニ観者ノ心ヲ新ニセントスル也

昭和三年陸軍記念日

陸軍少将正五位勲三等功五級石丸志都磨記
      従七位高橋政和書
         根田金太郎鐫



平田篤胤の墓
(秋田県秋田市手形大沢21-1)

(平成26年11月20日)

国指定史跡
平田篤胤の墓

平田篤胤は、安永5年(1776)に久保田城下中谷地町(現在の中通4丁目2)に久保田藩大番組頭大和田清兵衛祚胤としたねの四男として生まれ、小さい頃から漢学や医術を学んだ。
20歳の時に郷里を離れて江戸へ出て、苦学をしながら多くの学問をおさめた。
25歳の時に備中松山藩士平田藤兵衛篤穏あつやすの養嗣子となり、平田姓を名乗って平田半兵衛篤胤となる。
そして28歳の時、最初の著書「呵妄書」を著わして国学に強い感心を持つようになり、以来、生涯を学問に打込んだ。
国学とは純粋な我国古来の精神や道徳を探求し、それを学ぶことの大切さを説いたものである。
篤胤のこの神道・国学の考え方は、江戸のみならず各地の武士・神官・商人・農民など多くの人々に受け入れられた。
天保12年(1841)66歳の時、その思想が幕府の体制をゆるがすとされ、幕命によって国元へ帰藩させられた。
晩年を郷里で過し、天保14年(1843)久保田城下中亀ノ丁(現在の南通亀の町)にて68歳で病没した。
墓所は遺言に従って衣冠束帯の姿でこの地に葬られ、師である本居宣長のいた伊勢の方角に向けられているといわれている。
篤胤の思想は幕末の尊王思想の根本となるなど、歴史を動かす原動力としても多大な影響力を及ぼした。
著述は「古史伝こしでん」「霊能真柱たまのまはしら」など百部千巻を超すといわれ、荷田春満かだのあずままろ賀茂真淵、本居宣長とともに国学の四大人と称されている。

昭和9年5月1日指定
秋田市教育委員会

(説明板より)





       室  石橋氏
 平田大人        招魂■
       後室 山崎氏





(平成26年11月20日)







 平田大人略碑






(平成26年11月20日)



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