比島観音

岡山県岡山市北区高松稲荷712・最上稲荷山妙教寺境内


 平成21年5月3日




比島観音
(妙教寺)




(平成21年5月3日)

【比島観音例大祭】

平成21年度・例大祭




平成21年度・例大祭





(平成21年5月3日)
妙教寺

移転前の比島観音

岡山県岡山市高松稲荷712・最上稲荷境内

比島観音 平成16年10月2日

比島観音

此の聖観世音菩薩像は太平洋戦争フィリピン激戦で殉國せられし軍人軍属在留邦人等50万精霊供養のため最上尊信仰の戦友が発起人となり建立されたものである
本聖像の瓔珞は比島の主な島々を現し台座中央に戦歿者遺品を納め永代に冥福を祈る
更に戦友遺族協賛者の芳名連署簿をも納め聖観世音菩薩の妙智の誓願を乞い奉り世界恒久平和を祈願し建立の記とする

(碑文より)

比島観音建立記録抄

発起人会発足 昭和51年5月3日
銅像建立浄地決定 昭和51年5月23日
聖観音像制作着手 昭和51年9月15日
浄地地鎮祭執行 昭和52年2月6日
台座造営工事着手 昭和52年2月25日
聖観音像完成 昭和52年4月26日
聖観音像浄地搬入 昭和52年4月29日
聖観音像開眼式執行 昭和52年5月3日

(碑文より)

比島観音 比島観音
(最上稲荷境内)
最上稲荷




最上さいじょう稲荷





(平成16年10月2日)

最上稲荷 略縁起

最上稲荷の歴史は、天平勝宝4年(752)に報恩大師が八畳岩でご本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まります。
爾来、「竜王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、中世の戦乱時、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇焼失の憂き目にあいました。
ただし、ご本尊の最上さまだけは八畳岩の下の元宮と呼ばれる場所に安置され難を免れたのです。
新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招かれ、最上さまの霊跡を復興されたのが慶長6年(1601)のことです。
寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎が築かれました。
以来「不思議なご利益をお授け下さる最上さま」として多くの人々の信仰を集めます。
伏見・豊川と並ぶ三大稲荷・最上稲荷は、1200余年の歴史を通じて仏教の流れを汲んで発展を遂げてきた稲荷です。

(リーフレットより)



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