比島観音

(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)


比島観音 平成17年4月3日

比島観音(建立の記)

この聖観世音菩薩像は、太平洋戦争の際フィリピン方面に戦没された50万同胞の霊を供養するために、遺族と戦友の手により建立し、像躯にはルソン島サラクサク峠戦闘の戦没者の鉄かぶとを鋳込め、瓔珞には比島11の島々を彫り比島観音と名付けました。
そもそも、今回比島観音建立の母体となった撃友会はルソン島の平地戦から引き続き山岳戦に兵員の8割強を失った戦車第2師団(撃兵団)の戦友と遺族の会で、昭和31年以来毎春慰霊祭を行い、兵団の慰霊碑の建立を宿願といたしてまいりました。
たまたま、昭和44年12月初旬比島戦跡巡拝の折同行した陸海各部隊の遺族が切々として慰霊碑の建立を懇願される姿に促され、翌昭和45年12月当太山寺小笠原芳戒師からこの聖地を慰霊碑建立の敷地に提供されたことを機に、全国の遺族と戦友にとの有志に呼びかけ、この三ヶ根山頂に相会し相はかり全員の賛同を得て、比島観音建立に踏みきりました。
比島観音建立会は、昭和46年4月172名の発起人を得て発足し、爾来全国6地区に総勢百余名の世話人の献身的奉仕により、各地の遺族戦友をもとめて連絡し、6千名を超える大勢の賛同者により比島観音建立の見ることができました。
ちなみに台座及び造園はすべて戦友の手によって造成され、また納骨堂には戦没者の英霊簿と遺品が納められました。
比島観音建立の事蹟を永く後世に伝え、世界の平和と日比両国の親善との礎になることを祈念し、ここに比島観音建立の記といたします。

昭和47年4月吉日
比島観音建立会

零戦のエンジン 零戦のエンジン

ゼロ戦について

(気筒数 14 馬力 1,000 製造 三菱重工業名古屋製作所)

このプロペラとエンジンは第二次大戦中に勇名を轟かせた海軍の零式艦上戦闘機のものです。
昭和52年春豊橋市高塚町沖約800mの遠州灘で底引き網の漁中に蒲郡市西浦町鈴木勝氏が見つけ比島観音奉賛会に奉納された貴重な資料であります。

昭和53年4月2日
比島観音奉賛会

慰霊碑




一七四会 慰霊碑






(平成20年4月16日)

碑文

昭和20年終戦直後モンテンルパのニュービリビッド刑務所内に特設された米軍病院の惨状は言語に絶し 帰国を前にして不幸病没した日本将兵は数千にのぼった
病院長医学博士テオドル・エル・ブリス中佐は神の如き人格者で 米軍の貴重な薬品を十分に使用し栄養を著しく改善した
日本軍の衛生部員も診療看護に日夜奮闘したため死亡率は次第に減少し11月病院はカンルバンに移転した
われわれ同病院(米軍第174兵站病院)に勤務したものは帰国後「一七四会」を結成し昭和41年ブリス博士夫妻を日本に招き政府は勲三等旭日中綬章を贈った
われわれは英霊のご供養と昭和44年他界された故ブリス博士への謝恩とともに物故会員をしのんで碑を建立する

昭和54年6月
一七四会一同

比島方面海軍戦歿者之碑


比島方面
海軍戦歿者之碑


昭和47年4月吉日
戦友遺族建之



(平成20年4月16日)
慰霊碑
ミンダナオ島
ラサン地区守備隊慰霊碑


昭和47年秋日
第13航空地区司令部
第26飛行場大隊
第8飛行場大隊
第126飛行場設定隊
他展開諸部隊 生存者一同

(平成20年4月16日)
慰霊之碑


フィリピン 台湾 沖縄海域
洋上戦没者
慰霊之碑

さくら、にっぽん丸会




(平成20年4月16日)

碑文

国運を賭けて戦った大東亜戦争も遂に利あらず返す返すも残念な事でありました
わけて民族の安泰と日本の勝利を念じつつ再び祖国の土を踏む事もなく異境の地で散華された戦没者の事を思ふと断腸の思が致します
最大の激戦地であり戦没者の最も多い沖縄台湾フィリピン海域を船で廻り海底に眠る英霊や島々のジャングルの奥に埋った御霊の供養を計画 海上で10回陸上で3回の大慰霊祭を行って参りました
2回に亘る南方海域洋上慰霊祭に参加した有志の浄財により三河湾を望むこの景勝の地に碑を建立して沖縄台湾フィリピン海域洋上慰霊祭の壮擧を記念すると共に世界恒久の平和を希い南方海域に眠る御霊の安らかならん事を祈念するものであります

昭和60年4月5日
沖縄台湾フィリピン海域洋上慰霊祭
団長 渡辺 守

沖縄台湾フィリピン海域洋上慰霊祭
第1回さくら丸1万3千トン(大島海運所属)慰霊団員530名
  昭和55年10月9日博多出港同10月23日博多帰港
第2回にっぽん丸9745トン(三井客船所属)慰霊団員460名
  昭和58年11月26日博多出港同12月8日博多帰港


例大祭 第34回 比島観音例大祭
(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)

平成17年4月3日(日)午後1時
比島観音奉賛会主催で開催されました。

この例大祭は毎年4月の第1日曜日に開催されています。
どなたでも自由に参列できるそうです。

比島観音


第35回 比島観音例大祭
(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)

平成18年4月2日(日)に開催。
今年は雨と霧の中での例大祭となってしまいました。



(平成18年4月2日)

例大祭



第37回 比島観音例大祭

(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)





(平成20年4月6日)




第38回 比島観音例大祭
(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)

奉納の踊り


(平成21年4月5日)
第38回 比島観音例大祭式次第
(主催:比島観音奉賛会)

平成21年4月5日(日) 午後1時 より

(受付は午前10時より致します)
奉納行事
11時10分 キングレコード専属歌手 橋本絵美 様
『戦友よ』『未帰還兵の妻』他
11時30分 踊り 竹内舞踏研究会 様
12時00分 大正琴・尺八演奏 幡豆郡ときわ会 様
12時30分 ラッパ吹鳴 水谷義一 様
        陸上自衛隊豊川駐屯地隊員 様
式典
導師入場  
開会の辞 事務局長 杉浦行宏
一同合掌・礼拝  
黙祷 ラッパ吹鳴 陸上自衛隊豊川駐屯地隊員
献花 独立歩兵第11連隊 加藤忠男、橋本義満
献供 第1独立整備隊
導師洒水  
導師ふじ文 納骨・合掌
追悼のことば 比島観音奉賛会会長代行 石川富雄
遺族代表 飛行第65戦隊 多久和敏夫
比島観音建立世話人代表 稲垣平兵衛
読経  
焼香 比島観音奉賛会会長代行 石川富雄
奉賛会役員
来賓各位様
各部隊碑戦友
遺族代表
一般焼香
お礼のことば 比島観音奉賛会会長代行 石川富雄
一同合掌・礼拝  
閉会の辞 比島観音奉賛会副会長 前田恒
導師退場 (午後2時30分ごろの予定)





第40回 比島観音例大祭
(愛知県幡豆郡・三ヶ根山)




(平成23年4月3日)





 第43回 比島観音例大祭 
 (愛知県幡豆郡・三ヶ根山)




 (平成26年4月6日)

お知らせ

比島観音例大祭は、平成30年(2018年)4月1日(日曜日)の開催を最後とし、以後、例大祭は開催しないそうです。

(平成29年4月3日・追記)


記念誌発刊のご案内
平成18年は比島観音建立35年にあたります。
これを記念して『比島観音三十五年のあゆみ』として、全国の戦友、遺族の方々から原稿を募集し発刊いたしました。
戦友や遺族など関係者だけではなく一般の方々にも是非読んでいただきたい記念誌ですので、一般向けにも頒布いたします。

※ 比島観音例大祭は平成30年に終止符が打たれますが、記念誌は在庫があるうちは頒布をするとのことです。

(※ 平成29年4月3日・改訂・追記)
記念誌の内容
形態:B5版 総頁数:124ページ+資料

1)写真・・・・比島観音像・例大祭風景・その他
2)比島観音建立三十五年によせて
  • 「比島観音三十五年のあゆみ」 比島観音奉賛会会長
  • 「比島観音三十五周年への祈念」 別当太山寺住職
  • 「比島観音記念誌発刊によせて」 比島観音奉賛会参与・戦車第2師団の会会長(戦友)
  • 「思い出」 比島観音製作者
  • 「比島観音建立三十五周年に思う」 元県議会議員
  • 「比島観音建立三十五年の回想」 戦車第2師団早川部隊(戦友)
  • 「歴代比島観音奉賛会会長の紹介」 比島観音奉賛会顧問・戦車第2師団整備隊(戦友)
3)比島観音の思い出
  • 「こうして比島観音は建立された」 比島観音奉賛会会長・第1独立整備隊(戦友)
  • 「戦後生まれの私」 戦車第7連隊(戦没者孫)
  • 「父の消息を求めて開眼・除幕式に出席」 遺族と生還者の会武田会会長(遺児)
  • 「三ヶ根山に想う」 第14方面軍野戦兵器廠(戦友)
  • 「鎮魂碑」 マニラ陸軍航空廠(軍属)
  • 「一七四会について」 一七四会世話人代表(戦友)
  • 「父の比島沖海戦」 空母瑞鶴(戦友子息)
  • 「比島観音様へ祈念申し上げます」 北菲海軍航空隊通信科(戦友)
  • 「フィリピン憲友慰霊の集い」 第14方面軍憲兵隊(戦友)
  • 「鎮魂の譜・除幕式に参加して」 レイテ島・歓喜峰の会(遺族)
  • 「比島観音に参拝して思うこと」 石井隊(遺児)
  • 「わたしのお父さん」 独立野砲兵第13大隊(遺児)
  • 「奉納舞踊の碑・故竹内喜代二氏を偲ぶ」 マニラ陸軍航空廠(戦友)
  • 「比島観音の護持活動について」 第86飛行場大隊(遺族)
4)戦火を顧みて
  • 「慰霊事業の奉仕者・戦跡案内人」 第16師団(遺児)
  • 「戦場における死」 歩兵第75連隊(戦友)
  • 「追想」 戦車第6連隊(戦友)
  • 「ルソンにおける私の終戦」 野戦重砲兵12連隊(戦友)
  • 「荒漠する日本人の心」 歩兵第31連隊速射砲隊(遺族)
  • 「かくして我が分隊は生き残りたり」 捜索第16連隊(戦友)
  • 「日本軍人だった朝鮮の方々の一端」 歩兵第75連隊(戦友)
5)遺骨収集にかける想い
  • 「遺骨収集に想う」 慰霊事業協力団体連合会会長(戦友)
  • 「私の遺骨収集日誌より」 捜索第16連隊(戦友)
  • 「父に会えた」 山砲兵第25連隊(遺児)
  • 「厚生省派遣遺骨収集団参加の記録」 独立自動車第36大隊(遺児)
  • 「遺骨収集今昔」 北菲空(戦友)
  • 「残留元日本兵の慰霊の旅」 第25野航会(戦友)
6)慰霊巡拝の旅
  • 「第68旅団将兵遺族を訪ねる巡礼の旅」 星兵団(遺児)
  • 「兄は 飛んできた 私の所へ」 第139兵站病院(遺族)
  • 「父 鎮魂への一人旅」 野戦重砲兵第12連隊(遺児)
  • 「孫として・・・甥として・・・」 捜索第10連隊(物故者孫)
  • 「ついに両親の死亡地を確認」 マニラ会(遺児)
  • 「ルソン島を偲んで」 独立自動車第63大隊(遺族)
  • 「灯火に導かれて」 独立重砲兵第20大隊(遺児)
  • 「一枚の地図」 泉5314部隊(遺族)
  • 「父の戦死の地を訪ねる」 野戦重砲兵第12連隊(遺児)
  • 「思い出すことども」 洋上慰霊の会(遺族)
  • 「ルソン北部 巡礼記」 マニラ会(遺族)
  • 「巡拝の道」 独立自動車第62大隊(戦没者孫)
  • 「レイテ戦50回忌追悼慰霊 歓喜峰の岩頭に立ちて」 歓喜峰の会会長(戦友)
  • 「遺骨収集と慰霊巡拝の思い出」 泉第5314部隊合木隊(戦友)
  • 「慰霊墓参と父の足跡」 野砲兵第30連隊(遺児)
  • 「南冥の島 ミンダナオ島慰霊親善紀行」 志鶴部隊(戦友)
  • 「ルソン巡拝と不思議な話」 賛助者
  • 「比島慰霊の旅の思い出」 バギオ戦友会(戦友)
  • 「トノカン山」 南方第12陸軍病院高山大隊(戦友)
  • 「戦友の慰霊こそ生還者の任務」 虎兵団歩兵第75連隊第1中隊(戦友)
  • 「比島戦没者慰霊の記」 第13飛行場中隊戦友会(戦友)
  • 「地上部隊となって」 ラサン地区守備隊(戦友)
  • 「ふと 振り返ると」 PIC(比島戦跡訪問)
7)戦没者への想い
  • 「比島観音建立35周年を祝して」 戦車第6連隊(戦友)
  • 「私の思い出」 比島観音奉賛会事務局長・独立機関銃第25大隊(遺児)
  • 「ルソン島戦線に参戦して」 北菲空・カラバオ会会長(戦友)
  • 「比島敗戦下の病院で」 第12陸軍病院(戦友)
  • 「三ヶ根山と主人のこと」 洋上慰霊の会(物故者妻)
  • 「河合様・荻野様のご冥福を」 マニラ陸軍航空廠(遺族)
  • 「一緒に逝けなかった許してくれ」 野砲高射砲第76大隊第3中隊(戦友)
  • 「比島観音との縁(えにし)」 マニラ陸軍航空廠(遺児)
  • 「軍隊時代の朝鮮兵との思い出」 歩兵第75連隊(戦友)
  • 「三ヶ根比島観音様への慰霊は続く」 第14方面軍電政隊(戦友)
  • 「電光石火の絆」 独立自動車第62大隊(遺児)
  • 「私の見たモロ族の思い出」 志鶴部隊(戦友)
  • 「垣6554部隊一垣会慰霊碑」 京都歩兵第9連隊1中隊(戦友)
  • 「荻野忠八前会長を偲ぶ」 泉5314部隊(戦友)
  • 「トコベイ島」 近衛連隊(遺族)
  • 「第18飛行場大隊」 一八飛大(戦友)
  • 「終戦後60年を迎えて」 第25対空無線隊戦友会・元代表(戦友)
  • 「三ヶ根山比島観音に寄せて」 マニラ航空廠(戦友)
  • 「比島観音開眼式の思い出」 海軍第235設営隊(戦友)
  • 「死線を越えて」 第1独立整備隊(戦友)
8)奉賛会から
9)添付資料・・・・・比島観音年表・慰霊碑配置図・遺骨収集等実施状況表・地図等

頒布価格:1冊 1,500円(送料込み)

申し込み方法
下記宛に、お名前、住所、電話番号及び購入部数をご連絡ください。
受付後に振込み用紙を送付いたしますので、最寄の郵便局に振込みをお願いいたします。
(振込み手数料は無料です)
連絡先

比島観音奉賛会 事務局長 宮永 喜章

〒441−8117
愛知県豊橋市浜道町字管石44−11
TEL及びFAX:0532−45−4256 (出来るだけFAXでお願いいたします)

(※ 平成29年4月3日・役員改選により改訂)


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