歩兵第119連隊

(通称:安10020部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
福井県敦賀 昭和12年 第53師団 シッタン

第119師団に所属して華北へ出兵し、太原攻略作戦などに参加。
作戦終了後は山西省の共産軍に対する警備・粛清に努め、幾多の討伐戦にも参加する。
昭和15年1月、内地に帰還復員。
半年後に動員下令され、10月に動員を完了し第52師団の指揮下に入って軍旗を再拝授する。
昭和16年10月、新設された京都53師団に転属。

昭和18年、滋賀県に移駐し、南方進出に備えて訓練。
昭和19年1月、大阪湾を出港し、シンガポールに進出してマラッカに駐屯。
同地の警備に任ずる。
昭和19年4月、内地の留守部隊と合流してビルマ方面作戦の参加のためマンダレーに進出。
第1大隊(長:野中正雄少佐)を第56師団の増援部隊として龍陵に派遣。
連隊主力は北進してモガウン東方のポホックを確保し、フーコンより撤退中の第18師団(菊兵団)の収容に当る。
昭和19年7月10日、インパール作戦の中止命令発令。
昭和19年8月、南下する連合軍の攻撃を撃退していたが、猛攻の前に撤退を余儀なくされ、ピンコウ付近に布陣して米中軍の進攻を支える。
敵陣深く潜入して奮戦、敵の補給路を遮断して撃退し、敵の反撃に対して持久の任を全うする。
戦闘後、約400名の補充兵が到着し、わずかながら戦力を回復する。

昭和20年1月、連合軍をイラワジ河畔で食い止める盤作戦(イラワジ会戦)が開始される。
マンダレーにあった連隊は、シング方面の状況が逼迫したため北上する。
英軍が占領するシングの要衝クレ高地の奪回を命じられるが、敵機の跳梁のため夜間の攻撃しかできなかった。
昭和20年1月23日、砲兵の援護のもと攻撃を開始し、高地中腹のパゴダの線まで進出したが、夜明けと共に英軍の集中砲火を浴び、被害続出のため後退。
1月25日再び夜襲を敢行するが、再び死傷者続出のため攻撃は頓挫する。
1月29日、京都128連隊から増援を得て三度夜襲を敢行したが被害続出のため攻撃を断念する。
この間、龍陵に派遣した第1大隊が復帰。
2月8日、クレ高地の英印軍が反撃に転じてきたので、夜襲で撃退しようとしたがかなわず、連隊長(浅野庫一大佐)と第1大隊長(野中少佐)は共に敵の戦車に体当たりして壮絶な最期を遂げたという。
昭和20年3月、マンダレーに転進、菊兵団の指揮下に入ってメイクテーラー奪回作戦に参加。
新連隊長(芳賀芳男大佐)のもとメイクテーラーの飛行場奪回を目指ざし、連日果敢に攻撃。
敵戦車に対しては肉薄攻撃を挑むが、戦局悪化のためイラワジ会戦は中止され、奪回出来ず。
メイクテーラー失陥後、マンダレー街道で追撃してくる連合軍に対する防衛に当る。
昭和4月20年、シッタン河を渡河し防御線を後退させる。
シッタン作戦発動にともない、これに参加して終戦を迎え、昭和20年8月23日に停戦した。


敦賀連隊史蹟碑



敦賀連隊史蹟碑
(福井県敦賀市・桜ヶ丘住宅団地)

岡村寧次 書



(平成20年4月12日)

世界戰史に勇名高い歩兵第十九聨隊は明治十九年名古屋に創って同三十一年この地に転営し昭和十五年歩兵第百十九聨隊亦こゝに生る
岐阜滋賀福井等の健児こゝに鍛心練武し明治以来の諸戦役に悉く出で征きて勇戰再び還らざりし殉国の士は壹萬余名を算ふ
時流れ星移るも我等先人の挺身の偉業と祖国愛の精神を永く後世に遺さんと志し国運の隆昌と世界平和を祈念してこゝにこの碑を建てる

(碑文より)

敦賀連隊史蹟碑



敦賀連隊史蹟碑
(福井県敦賀市・桜ヶ丘住宅団地)

旧連隊本部兵舎前



(平成20年4月12日)
敦賀聯隊史蹟保存会石柱




敦賀聯隊史蹟保存会石柱






(平成20年4月12日)

石柱・碑文

歩兵第19聯隊(満洲第802部隊牡丹江省穆稜武1528部隊沖縄台湾)歩兵第119聯隊(安1020部隊ビルマ)中部第36部隊並ニ之等ニヨッテ新ニ編成サレ或ハ補充サレタ部隊ハ幾多ニノボルガ史蹟碑ヲ建立スルニ当リ之等ヲ併セテ敦賀聯隊ト総称セリ
而シテ此ノ史蹟ノ位置ハ聯隊本部兵舎前ニ相当スル
昭和61年11月
敦賀聯隊史蹟保存会

歩哨舎



歩哨舎
(桜ヶ丘住宅団地入口)





(平成20年4月12日)
営門跡
連隊跡(営門に向かって左) 連隊跡(営門に向かって右)
連隊跡
井の口川沿いに残る塀
金山橋




井の口川に架かる金山橋






(平成20年4月12日)

敦賀陸軍病院跡



敦賀陸軍病院跡
(現:独立行政法人国立病院機構・福井病院)





(平成20年4月12日)
桜の木



陸軍病院と歩兵連隊兵営の境の桜の木

タクシーの運転手さんの話では、当時からここに植えられていた桜の木だという。



(平成20年4月12日)
陸軍病院跡から見た歩兵連隊跡

郵便局跡 昔の郵便局跡
(桜ヶ丘住宅団地斜め前)

タクシーの運転手さんの話だと、兵隊さんがよく利用した郵便局だとか。

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