歩兵第120連隊

(通称号:嵐6212部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
福知山 昭和13年 第116師団 湖南省宝慶

昭和13年5月に編成。
まもなく大陸に渡り、大湖の南方、湖州方面の警備に付く。
その後、武漢作戦に参加。
順安・青陽の戦闘の後、安慶を中心に周辺地区の警備に付く。
昭和18年7月、編成改編。
上級部隊の第116師団は警備師団から重装備の作戦用師団となる。
昭和18年10月18日、常徳殲滅作戦に参加。
日中戦争中最後の城門攻撃であった大西門の激戦は無数の地雷により多大な犠牲を伴った勝利であった。
昭和19年6月27日から始まった衡陽攻略作戦は、昭和の”203高地”と呼ばれるほどの激戦。
この戦闘で、755名の戦死者と2,000名以上の負傷者を出し、連隊の戦闘力は皆無となる。
その後、戦力の立て直し、昭和20年4月、湘西作戦に参加。
昭和20年8月18日、湖南省宝慶拓木田にて軍旗を奉焼。


鎮魂の碑



『鎮魂』の碑
(京都市・京都霊山護国神社)




(平成16年4月2日)

碑文

歩兵第120聯隊は昭和13年5月福知山に於いて編成
中支戦線に出陣、武漢を攻略の後、安慶周辺の作戦警備に任じ、17年長躯浙■に戦ひ、健脚勇猛の名を挙ぐ。
18年秋武漢より進撃、常徳を攻略、翌19年長沙より衡陽、宝慶、■江に転戦、曠野を馳せ峻嶮を攀ぢ、苛烈なる苦闘の末、20年8月15日の終戦を迎ふ。
此の間遠き異境の荒野に、銃火に斃れ、瘴癘に死したる戦友、実に4千有余柱の多きを数ふ。
爾来40年、亡き戦友への追慕の情、切々としてやまず、生存者有志に浄財を募り、この聖域に一碑を建立し、祖国の平和と繁栄の礎になられし遺勲を顕彰し、その霊を慰めんとす。
在天の英霊安らかに眠らせ給へ。

昭和60年4月吉辰
嵐歩兵第120聯隊生存者有志

※■はパソコンで表示不可能な文字です。


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