(通称号:安10021部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在 |
京都 | 昭和16年 | 第53師団 | シッタン(ビルマ) |
昭和18年12月、南方転進の命令が下り、12月29日、門司港を出発。
昭和19年2月10日、サイゴンに上陸し、ビンホア周辺の警備につく。
4月、ビルマ方面に進出し、ビルマ方面軍の指揮下に入る。
モールの敵陣地攻撃から始まり、ビルマ中部の様々な戦闘に参加。
昭和20年1月、イラワジ河畔の会戦に参加。
7月、シッタンの戦闘に参加。
昭和20年8月15日、シッタン河谷クンセイクにおいて終戦を迎えた。
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歩兵第128聯隊顕彰之碑 (京都市・京都霊山護国神社) (平成16年4月2日) |
ビルマに散華した戦友よ安らかに(碑文)
ここに生存せる戦友が不滅の遺勲を偲び私たちのビルマ戦記を綴り2953柱の英霊名簿と共に碑に鎮めて永遠にその戦歴を留む
安第53師団歩兵第128連隊
昭和55年4月
ビルマ会
碑文
第53師団歩兵第128聯隊は 昭和16年11月京都にて編成され 同18年12月大東亜戰ビルマ作戦に出動
英印軍 悪疫瘴癘と激闘1年有半 精鋭4641名の内2720名相次ぎ護國の神と化し 残存者も生ける屍の如き悲劇を以つて終戰に至る
茲に有志相寄り此の霊域に聯隊顕彰の碑を建立し ビルマの山野に散華せし友の霊を安め 且つ我等の思出の資とし 併せて永久の平和を祈願するものである
以つて護國の神よ瞑せよ
昭和44年3月9日建之
元ビルマ派遣軍歩兵第百二十八聯隊有志
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重機関銃と鉄兜 (京都市・京都霊山護国神社) 『昭和50年2月24日 ビルマ国戦跡ヨリ帰還ス』 (平成16年4月3日) |
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