歩兵第138連隊

(通称号:烈10353部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
奈良 昭和13年 第31師団 モールメン北方

創設時に第116師団に編合となり、大陸に出動。
漢口と南京を結ぶ揚子江畔の警備に従事。
昭和17年12月、編成改正により、歩兵第26旅団に編合となる。
昭和18年2月10日、南方進出の命を受け、シンガポールに上陸し、マレー半島の警備についた。
3月22日、第31師団臨時編成の命令を受け、5月25日編成地ビルマ・ペグーに集結。
10月、チンドウィン河畔の警備につき、インパール作戦の準備に従事。
インパール作戦では、連隊はインパール北の要地コヒマ攻略の命を受ける。
昭和19年3月、チンドウィン河を渡河し、アラカン山脈を進み、3月27日にインド国境を越えた。
4月6日、第1大隊がコヒマに突入し、敵の倉庫群を占領。
そこへ、先にコヒマ突入を終えていた歩兵第58連隊から、今回占領したのは旧コヒマであり新コヒマは別にある、との報告を受ける。
旧コヒマには、これといった軍事施設はないが、新コヒマには蜂の巣状に隆起する高地に頑強な陣地があり、第31師団隷下の各部隊は、この一連の攻略を急ぐこととなる。
4月8日、第1大隊はイヌ高地に対する攻撃を開始したが、英印軍の攻撃は凄まじく、2日間の攻撃で死傷者が続出し後退。
第2大隊はコヒマ病院陣地を攻撃したが、激しい抵抗を受け奪取に失敗。
4月23日、第1大隊は再度イヌ高地を攻撃し、激しい白兵戦を展開したが全滅に近い損害を受ける。
以後、挽回する兵力は残っておらず、敵に対しても防戦一方となり、食糧補給も途絶え飢えに苦しむこととなる。
5月14日、圧倒的な火力を誇る英印軍の前に、三叉路高地を放棄。
5月19日、日本軍の拠点である5120高地が英印軍の総攻撃を受けるが、死守するが、第2次攻撃の砲撃で高地は禿山と化した。
6月1日、第31師団長佐藤幸徳中将は遂にコヒマを放棄し、撤退命令を下した。
翌2日から豪雨の中の撤退が始まったが、飢えと病気と疲労、加えて敵からの攻撃を受けての悲惨な撤退となる。
7月9日、インド国境を突破し、9月12日、サガインに集結。
その後、盤作戦、イラワジ会戦、メイクテーラー会戦と戦闘を続け、サルウィン河防衛戦の最中に終戦を迎えた。


献納燈籠


献納燈籠
奈良県護国神社・戦歿者慰霊塔)

歩兵第138聯隊生存者有志一同
昭和53年5月14日建立



(平成19年4月10日)

インパール作戦

【歩兵第138連隊第2大隊情報収集班と光機関】

ホマリンには、軍直轄の特殊工作機関である泉谷中尉以下少数人員の、西機関員が「ウ号」作戦(インパール作戦の日本側呼称)準備のための情報収集と、住民宣撫のために派遣されていたので、これとこれと密に連絡をとりつつ行動。

光機関(インド国民軍を支援する特務機関)のホマリン出張所正面の国境には、少数民族が数多い。
それぞれの宗教、言語、性格も異なっているので、工作にもそれぞれ特別の方法がいる。
さらに各民族居住地帯への潜入路も極度に制限され、わずかに2、3の狭い道があるのみであるが、また作戦や軍の意図を秘匿する必要もある。
したがって工作の進展はきわめて困難であるが、方面軍や西工作班と密接に協力し、次々と少数民族の懐柔に努めたため着々と成果があがった。

インド人無住地帯であるホマリン正面の潜入路開拓のため、チャン人、チン人の獲得、懐柔に努めていたところ、チン人の連絡者が次々と増加し、(昭和18年)10月中旬には総数約60名、30ヶ村を数えた。
ウラルー正面の敵警戒部隊第一線中隊駐在以東の地区に住むクキ族は土侯をはじめすべてが日本軍に連絡し、軍進攻時の各種の協力はもちろん、その一部が日本側工作員の潜入・潜在に献身的な協力をしてくれている。

昭和19年のインパール作戦開始直前には、光機関は積極的工作(敵文書盗取、英人将校の暗殺、無線通信器材の破壊など)を実施すべく密約し、工作員の拠点を前進させ、チン人の懐柔工作を強化し、情報収集、宣伝工作に専念する一方、対インド内潜入工作員を次々と派遣している。
昭和18年11月中、インド内に往復した工作員は延べ27名である。

インパール作戦開始直前、インド人の工作がインド国民軍(英印軍の捕虜の転向者を中心としたインド人部隊)の投入とともに活発になった。
光機関ではとくにアラカン西方のディマプール、コヒマ地区への侵入路を彼らに開拓させようと努めているが、なかなか敵の工作も活発であり、自然条件も厳しいため困難である。
しかしインド兵の度重なる国境越えの短距離スパイ工作が、その帰還率は低かったものの、かなり重要な兵要地誌を伝え、第31師団の比較的迅速なコヒマ占領の道を開いたことは確かである。
もちろん金子班(光機関ホマリン出張所)や西機関、さらには第31師団各連隊情報収集班の地道な少数民族への懐柔工作が寄与するところも大きかった。

(参考:山本武利 著 『特務機関の謀略〜諜報とインパール作戦〜』 吉川弘文館 1998年12月第一刷発行)

(平成28年3月8日 追記)


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