歩兵第19連隊

(通称:武1528部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
福井県敦賀 明治19年 第9師団 台湾(新竹州)

明治19年、名古屋城内で編成。
日清戦争では歩兵第7連隊(金沢)と共に第3師団に所属して仁川に上陸、海城・牛荘などの激戦に参加。
明治31年3月、敦賀に転営。
日露戦争では、旅順要塞攻略に先立つ凹字形山の攻撃で連隊長が負傷、300名の死傷者を出す。
3次にわたる旅順総攻撃に参加し、明治38年1月、旅順に入城、そのまま奉天会戦に参加。
その後第16師団に転属。
大正8年から約2年間満州に駐留。
大正14年の宇垣軍縮で廃止となった歩兵第69連隊の後任として、再び第9師団の指揮下に入る。

昭和7年、第一次上海事変に出動。
2年余の満州駐留後帰還したが、日中戦争の勃発で動員。
上海の呉淞に上陸、激戦の末、南梅宅、北梅宅を占領。
第2大隊長以下死傷者が続出したが、陳家行を攻めて占領。
その後、上海で消耗した戦力を補充・増強して師団本隊となり、蘇州の警備に当る。
その後、無錫、常州を占領。
南京攻略戦では雨花台を攻撃し占領したが、300名近い死傷者を出した。
光華門では残敵掃討と警備に当る。
その後、徐州作戦、武漢作戦等に参加。
昭和14年7月、内地に帰還。
昭和15年、満州駐留のため動員。
牡丹江省穆稜に駐屯して同地の警備と対ソ戦に備えて訓練に励む。

昭和19年7月、沖縄の那覇に移駐。
本島南部に防御陣地を構築していたが、突然、台湾へ抽出される。
台湾新竹州で警備と陣地構築中に終戦を迎える。
昭和20年9月3日、軍旗を奉焼。


敦賀連隊史蹟碑



敦賀連隊史蹟碑
(福井県敦賀市・桜ヶ丘住宅団地)

岡村寧次 書



(平成20年4月12日)

世界戰史に勇名高い歩兵第十九聨隊は明治十九年名古屋に創って同三十一年この地に転営し昭和十五年歩兵第百十九聨隊亦こゝに生る
岐阜滋賀福井等の健児こゝに鍛心練武し明治以来の諸戦役に悉く出で征きて勇戰再び還らざりし殉国の士は壹萬余名を算ふ
時流れ星移るも我等先人の挺身の偉業と祖国愛の精神を永く後世に遺さんと志し国運の隆昌と世界平和を祈念してこゝにこの碑を建てる

(碑文より)

敦賀連隊史蹟碑



敦賀連隊史蹟碑
(福井県敦賀市・桜ヶ丘住宅団地)

旧連隊本部兵舎前



(平成20年4月12日)
敦賀聯隊史蹟保存会石柱




敦賀聯隊史蹟保存会石柱






(平成20年4月12日)

石柱・碑文

歩兵第19聯隊(満洲第802部隊牡丹江省穆稜武1528部隊沖縄台湾)歩兵第119聯隊(安1020部隊ビルマ)中部第36部隊並ニ之等ニヨッテ新ニ編成サレ或ハ補充サレタ部隊ハ幾多ニノボルガ史蹟碑ヲ建立スルニ当リ之等ヲ併セテ敦賀聯隊ト総称セリ
而シテ此ノ史蹟ノ位置ハ聯隊本部兵舎前ニ相当スル
昭和61年11月
敦賀聯隊史蹟保存会

歩哨舎



歩哨舎
(桜ヶ丘住宅団地入口)





(平成20年4月12日)
営門跡
連隊跡(営門に向かって左) 連隊跡(営門に向かって右)
連隊跡
井の口川沿いに残る塀
金山橋




井の口川に架かる金山橋






(平成20年4月12日)

敦賀陸軍病院跡



敦賀陸軍病院跡
(現:独立行政法人国立病院機構・福井病院)





(平成20年4月12日)
桜の木



陸軍病院と歩兵連隊兵営の境の桜の木

タクシーの運転手さんの話では、当時からここに植えられていた桜の木だという。



(平成20年4月12日)
陸軍病院跡から見た歩兵連隊跡

郵便局跡 昔の郵便局跡
(桜ヶ丘住宅団地斜め前)

タクシーの運転手さんの話だと、兵隊さんがよく利用した郵便局だとか。

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歩兵連隊



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