歩兵第217連隊

(通称号:椿6843部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
大阪 昭和14年 第34師団 中国・浦口

編成後ただちに大陸へ出兵し、昭和14年4月、漢口に上陸。
翌年の10月まで同地の警備に当たる。
江西省新建県に移駐後まもなく、中国軍の冬季攻勢が始まり、連隊は中国軍を撃退し、更に反撃。
翌15年の中国の夏季攻勢でも反撃に成功する。
昭和16年の第二次錦江作戦では、3日はかかるだろうという中国軍陣地を1日で占領し、感状を授与された。
連隊は更に浙かん作戦、江北・江南作戦、湘桂作戦などに参加。
昭和20年4月からの湘西作戦では米中軍の猛攻で前進を阻止され後退、田部隊の撤退の支援をする。
更に南昌方面に向けて敵中を突破し、まもなく終戦を迎えた。


歩兵第217連隊の碑



歩兵第二百十七連隊之碑
大阪護国神社





(平成20年6月15日)

碑文

昭和十四年三月廿三日連隊長落合大佐宮中ニ於テ優渥ナル勅語ト共ニ軍旗ヲ拝受ス
即チ菊水ノ流レ汲ミテ編成セラレタル吾カ郷土部隊ハ勇躍大陸ニ渡リ先ズ湖北省河口鎮ニ警備ノ事ニ従フ
此ノ間大別山系ニ七里坪ヲ目サス遊仙山大尖崗ノ初陣ハ殊ニ厳シク信陽付近掃討将校斥候ノ健闘ヲ陣中日誌ニ留ム
矛ヲ轉シテ江西省萬寿宮ニ駐シ南昌西地区ノ鎮メニ當ルヤ師走冬季攻勢アリ
執拗ナル侵入モ能ク是ヲ挫ク
十五年六號七號作戦ニ續キ省都奪還ヲ圖ル強力ナル夏季攻勢ヲ撃退シ雷王殿石子■鶏公山桐山頂南城閔ノ陣地成リ
堅クハ房ヲ要トスル警衛ノ責ヲ全ウス
十六季三月一次錦江作戦ニ長野連隊長ヲ迎ヘテ上高城略取ノ力闘西山嶺覆滅ノ持久戦アリ
歳末再ヒ錦江ヲ渡リ白兵戦ニ自ラ練磨ヲ積ム
十七年初夏浙■打通ノ大進撃ハ行軍亦行軍豪雨炎暑ト戦ヒ貴渓一番乗リト盛源洞黄家ノ夜襲ニ勇名ヲ馳ス
十八年江北殲滅作戦ノ騎ュ攻略ハ寒苦欠乏ニ耐ヘ江南殲滅作戦ノ血闘ハ岩壁屹立ノ堅陣ヲ屠ル
八月木佐木連隊長ノ下常徳作戦ニ参加シ三國志ノ古戦場ヲ駈ケテ馬鞍嶺ニ闘ヒ或ハ石崗市ニ圍ミヲ破ル
他方安義ノ若渓ノ護リ二年餘練武ヲ重ヌルノ事アリ
十九年ノ春湖南ノ山河ニ駒ヲ進メテ八ヶ月汨水ニ緒戦シ達磨ノ砦ノ抵抗ヲ除キ長沙ノ要害岳麓桃花ノ縦深陣地ヲ攻メテハ凄絶血ヲ流シ骨ヲ晒ス激闘ニ終ニ凱歌ヲ擧ク
次テ蓮花ニ轉シ茶陵安仁ニ奮戦シ常寧城ヲ陥シ長駆広西省全縣湘洙同■ノ境ニ布陣ス
廿年春酣重慶ヲ指シテ■入セル■江作戦ハ■寧ヲ衝キ珠玉山武陽萬福橋ヲ抜イテ■屋塘ニ突進茶山ノ■ヲ制シテ血戦■合反轉ニ移ルヤ雪峯ノ峻ヲ擧テ■当頭高沙市連■魚關家橋ニ倍■スル衆ノ肉薄ヲカハシ追尾ヲ断チ芙蓉ノ堅塁ヲ抑ヘテ友軍ヲ援ケ■シテ出師ノ目的ヲ達ス
遷リテ宝慶湘潭ヲ東進奉新ヲ経テ将ニ九江ニ到ラントシテ途ニ緒戦ノ 詔ヲ承ル
嗟呼 南京北岸ニ屯シ浦口ニ於テ 軍旗ト永訣ス
憶フニ 御旗ヲ捧シタル部隊将士ノ盡忠ノ誠ハ凝シテ■次ノ感状賞詞トナリ使命達成ニ粉骨砕身シテ七載ニ及ヒタリキ
爾来廿八星霜夫〃家郷ニ在リテ只管復興ニ励ミ漸ク祖國ノ顕栄ヲ視ルモ飛弾ニ斃レ瘴癘ニ臥シテ骨ヲ異郷ニ埋メタル英霊ニ千三百餘柱ノ貴キ生命ニ依リテコソ今日ノ日本ノ創ラレタルヲ惟ヒ先ニ大阪護國神社ニ慎ンテ報祀シ戦史ヲ編シテ魂魄安カレト念ス
更ニ連隊團結フ赤心ハ碑ヲ樹テ靖國ノ神■ヲ鎮メマツリ邦家ノ安泰ト世界ノ和平ヲ祈ランコトヲ發心シ歩兵第二百十七連隊之碑茲ニ工成ル
希クハ諸霊倶ニ来鑒シテ嘉シ給ハシコトヲ

昭和48年3月
歩兵第二百十七聨隊會 謹誌

副碑・碑文

第二次世界大戦に際し身命を祖國に捧げて大陸に奮闘した浪速健児ら郷土部隊勇士の英魂ここに集まり安らぎ給う



 トップページに戻る   陸海軍部隊に戻る

SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO