(通称号:鯉5174部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
島根県浜田 | 明治19年 | 第5師団 | セラム島(バンダ海) |
独立第1大隊と第2大隊で編成され、当初、第5師団歩兵第1旅団に所属し、広島城内に設営。
明治20年11月、第3大隊が増設され編成完了。
日清戦争では朝鮮の仁川から上陸、熾烈な戦いを展開。
この時戦死した木口小平喇叭らっぱ卒は、歌に歌われたり、小学校の教科書にまで取り上げられた。
明治31年7月、島根県浜田に転営。
日露戦争に従軍。
日中戦争では長城作戦に参加。
昭和12年8月23日、万里の長城を占領。
昭和13年3月、徐州作戦、10月には広東作戦に参加。
昭和14年2月、華中海州作戦、11月には広西省南寧攻略戦に参加。
昭和15年、北部仏印進駐作戦、温州作戦に参加。
昭和17年1月、シンゴラからジョホールに向かい、2月にシンガポールを攻略。
その後10ヶ月ほどマレーの警備に当る。
昭和17年11月末、第3大隊のみがマレー警備の任を解かれ、ガダルカナル島増援のため、第5師団内の他連隊とともにガダルカナルに向かう。
12月12日、ラバウル到着。
既にガダルカナル島への増援は不可能な戦況。
よって、第3大隊は歩兵第42連隊第3大隊の指揮下に入りニューギニアのマダンに向かった。
12月18日マダンに上陸、その後は死闘の連続。
ラエ・サラモアでは敵に包囲され、サラワケット山脈を越えて撤退。
昭和20年8月、セラム島で終戦を迎える。
『献 椿壱本 浜田歩兵第21聨隊』の碑 (島根県松江・松江護国神社) 平成4年5月吉日 速射砲中隊史刊行記念樹 (平成16年11月20日) |
留守部隊=西部第3部隊
生還者の証言を中心に、歩兵第21連隊第3大隊の行動について詳しく書かれています。 |
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