歩兵第225連隊

(通称号:冬3543部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
小倉 昭和14年 第37師団 タイ・バンコク

軍旗拝受後、中国・山西省運城地区を警備し、治安粛正に任ずる。
春季晋南作戦、郷寧作戦、晋中作戦などに参加。
昭和19年に京漢、湘桂作戦に参加し、中国大陸を縦断。
更に仏印、タイを経てマレーに向かい転進し終戦を迎える。






歩兵第二二五聯隊慰霊碑
熊本県護国神社

昭和52年3月23日
歩兵第二二五聯隊戦友会一同 建立


(平成23年2月8日)

【側碑・碑文】

歩兵第二二五聯隊略歴

第37師団歩兵第225聯隊は昭和14年3月23日小倉にて編成され、栄ある軍旗を拝授、5月、博多港発北支山西省運城附近に進駐、警備に任ずるとともに晋南郷寧作戦、15軍撃滅作戦、中原会戦、汾南、汾西などで輝かしい戦績をあげ、萬門口の攻略戦では感状を授与され上聞に達する栄を担う。
その間、熊本歩兵13聯隊より補強され最も郷土色の強い部隊であった。
昭和19年4月より大陸打通作戦に参加、中牟より黄河を敵前渡河、密県では上聞に達する殊勲をたて、次いで許昌を攻略、南下しては宝慶、桂林攻略に赫々たる武勲をあぐ。
昭和20年1月国境鎮南関を通過佛印処理明号作戦では果敢にドンダン、ランソンなどを制覇したが、遂に8月15日終戦の詔勅を拝し無念にも矛を収む。
泰国ナコンナヨークにて軍旗を奉焼、10ヶ月の収容生活を経て21年6月浦賀上陸復員す、その間北支、中支、南支、佛印シャムと約8千粁を走破したが1629名もの尊い犠牲者を出した。
こゝに聯隊の栄光の歴史を後世に傳え、今は亡き戦友の英霊を心より弔うため慰霊碑を建立するものである。
又生死を共にした愛馬の霊を慰めるため愛馬の碑を併せ建立する。

昭和52年3月23日
歩兵第二二五聯隊戦友会


献木





献木 北支派遣歩兵第225連隊

(鹿児島市・鹿児島県護国神社

昭和49年3月植樹





(平成19年3月30日)

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