歩兵第230連隊

(通称号:当初=沼8926部隊 後=隆8926部隊))

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
主力:静岡
第3大隊:岐阜
昭和14年 独立混成第40旅団 ニューアイルランド島

連隊主力は静岡県内で、第3大隊は岐阜で編成され、編成後第38師団隷下となり広東に派遣され、昭和16年末まで同地の警備に当たる。
太平洋戦争勃発により香港攻略戦に参加。
香港占領後、兵力を整備して昭和17年1月19日に香港を出港。
仏印のカムラン湾に入港し、シンガポール陥落後の第16軍(司令官:今村均中将)の指揮下に入り蘭印(インドネシア)攻略に参加。
連隊主力はジャワ、第3大隊はスマトラ島パレンバンに上陸し、予想以上の速さで蘭印攻略作戦を完了する。
昭和17年10月、ラバウルに進出した連隊は、一木支隊、川口支隊に続くガダルカナル奪回部隊の第3陣として、第2師團の指揮下に入る。
昭和17年10月15日夜、ガ島西海岸のタサファロングに上陸。
上陸地点から東海岸のルンガ飛行場までの86キロを工兵隊が切り開き、川口支隊(第35旅団司令部および歩兵第124連隊基幹)長・川口清健少将指揮の下、“血染めの丘”正面の米軍攻撃を企図。
しかし、連隊もルンガ飛行場への進出が遅れ、川口少将は大本営派遣作戦参謀・辻政信中佐により罷免。
以後、連隊長・東海林俊成大佐が指揮をした。
昭和17年10月24日、予定より5日遅れてルンガ飛行場への総攻撃が開始された。
連隊は右翼に位置していたが、この日に米軍陣地に突入できず、更に第2師団の攻撃も振るわず後退。
翌25日、再び夜襲を敢行したが、米軍の猛烈な集中砲火を浴びて死傷者が続出し、攻撃は失敗。
連夜の攻撃頓挫により連隊は撤退を余儀なくされた。
第38師団と共にラバウルに残っていた第2大隊が昭和17年11月、ガ島を目指したが途中で輸送船の多くが撃沈され、師団主力は海没。
奇跡的に第2大隊は上陸に成功し、独立混成第40旅団に編入される。
しかし、将兵は飢えと病気で戦死するより病死・餓死するほうが多かった。
昭和18年1月、ガ島からブーゲンビル島へ撤退。
その後、ラバウル、ニューアイルランド島と転戦し、同地で終戦を迎えた。


魂の碑



『魂』の碑

(和歌山県和歌山市・和歌山県護国神社





(平成19年4月13日)

碑文

戦後33周年を迎えるに當たって 遠く南瞑瘴癘の地に斃れた戰友 我等と共に戰って異郷に骨を埋めた幾多の英霊を偲び 碑を建て 英魂録を収め 我が部隊の戰史を刻記して この地に永久に留めるものである

昭和52年10月
關西歩二三〇の会
戰友一同

部隊戦史

昭和14年8月7日歩兵第230聨隊は(通稱沼8926部隊)第38師団(名古屋)隷下として編成完了
同年10月から南支派遣軍として広東省附近に駐屯諸作戰に参加
昭和16年12月8日大東亜戰争緒戰に香港島攻略に偉功を樹てたが損耗甚大とのため昭和17年1月3日広東駐留の歩兵第161聨隊より兵員補充
その要員は和歌山大阪兵庫健児総勢1千余名
昭和17年3月ジャワ島Xマトラ島作戰に参加
昭和17年10月14日ガダルカナル島に上陸
ルンガ飛行場総攻撃に参加したが遂にならず補給絶え弾薬糧秣なきまゝ尚敢闘したが部隊の被害90%を越える
昭和18年7月ニュージョージア島作戰に参加
昭和21年5月復員完了

(碑文より)


歩兵第230聯隊戦史概要

昭和14年8月7日 歩兵第230聯隊(沼第8926部隊)は第38師團隷下として静岡で編成完了
同年10月南支那廣東省佛山、中山附近に派遣され諸作戰に参加
昭和16年12月8日大東亞戰争諸戰に香港島攻略に偉功を樹てたが損耗甚大、此の為め昭和17年1月3日歩兵第161聯隊より1千6拾名の将兵を補充
昭和17年3月1日「ジャワ」島「エレタン」海岸に敵前上陸し同3月7日降伏の軍使来たりオランダ軍の無條件降伏の因となる
依って感状を授與さる
第3大隊は第38師團主力と共に落下傘部隊の降下に呼應し「スマトラ」島「パレンバン」を攻略す
昭和17年10月14日「ソロモン」群島「ガダルカナル」島「タサハロング」に上陸
同月24日から26日の間 第17軍主力「ガ」島攻撃に参加したが遂に成らず補給絶え弾薬、糧秣なきまゝ敢闘したが部隊の被害90%を越える
昭和18年7月「ニュージョージア」島撤収作戦に参加
昭和18年9月「ニューアイルランド」島に移動 同地にて終戰を迎え軍旗を奉焼す
昭和21年5月復員完了

昭和56年8月
歩兵第230聯隊戰友會

(和歌山県平和祈念資料館・展示パネルより)

感状



感状

(和歌山市・和歌山県平和祈念資料館





(平成19年4月13日)

感状

歩兵第二百三十聯隊(第三大隊欠)
同配属部隊
同區處部隊

右ハ昭和十七年三月一日「エレタン」附近ニ 敵前上陸シ数次ニ亘リ空陸ヨリスル敵ノ執拗ナル攻撃ヲ破催シ長驅シテ同日正午既ニ「カリヂヤティ」飛行場一帶ヲ占領シ以テ我カ制空權ノ獲得ヲ可能ナラシムルト共ニ「バタビヤ」「バンドン」間ノ連絡ヲ遮断シ次テ五日午後第三飛行團と協同ノ下ニ「バンドン」要塞ノ一角ヲ突破シ以テ敵軍ノ全面的降伏ニ重大ナル素因ヲ與ヘタリ
右ノ行動ハ作戰膽略 最モ機宜ニ適セルモノニシテ其ノ武功ハ抜群ナリ
茲ニ感状ヲ附與シテ全軍ニ布告ス

昭和十七年三月二十二日
第十六軍司令官 今村 均 (花押)


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