歩兵第231連隊

(通称号:藤6864部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
広島 昭和14年 第39師団 満洲・新京

軍旗を拝受してすぐに、武漢に派遣され、漢水、白河の戦闘に参加。
敵司令部を全滅させるなど勇敢な戦歴を持つ。

昭和17年末から四川省の関門である宜昌の警備にあたる。
翌昭和18年1月早々、敵18師が攻撃をかけてきたが、これを撃滅する。
昭和20年5月、ソ連軍の進撃に備えて北上し、満洲の新京で終戦を迎えた。


慰霊碑




慰霊碑
(広島市・比治山陸軍墓地





(平成22年5月1日)

【碑文】
故国を離れ数千里 諸霊は身を鴻毛の軽きにおき 若き命を国の為に捧げられました
時は滔々として流れ 50年
この節目を期し 我々関係部隊相集い
合同慰霊碑を建立し ご冥福を祈ります
希わくは安らかに眠り給わんことを

第39師団(藤)  歩兵団  歩兵第231聯隊
第70師団(槍)  歩兵第61旅団  独立歩兵第102大隊
 歩兵第62旅団  独立歩兵第121大隊
第64師団(開)  歩兵第69旅団  独立歩兵第131大隊
独立歩兵第5旅団(悟)    独立歩兵第207大隊
   独立歩兵第209大隊
第132師団(振起)  歩兵第97旅団  独立歩兵第599大隊
   独立歩兵第600大隊
独立混成第89旅団(至純)    独立歩兵第524大隊

戦友有志

平成7年3月 吉日

長江会鎮魂譜

1.潮しおの香 ただよう 宇品湾
  遥かに かすむ 安芸小富士
  征きて 還らぬ 戦友の
  面影 しのんで 今ぞ建つ
  ああ 鎮魂の いしぶみぞ

2.祖国を 遠く 大陸の
  果てなき 流れ 大長江だいちょうこう
  湖南 湖北の 幾山河
  命 ささげし 強者つわもの
  ああ 鎮魂の いしぶみぞ

3.風さえ 凍る 地の果てに
  ふるさと 夢みて 空しくも
  地底に 仆たおれし はらからの
  無念の 叫び 忘れまじ
  ああ 鎮魂の いしぶみぞ

4.春秋しゅんじゅう ここに 五十年
  平和に 栄ゆる ひろしまの
  比治山 たかく 日の丸はた映えて
  いさお 讃たたえん 永久とこしえ
  ああ 鎮魂の いしぶみぞ

長江会


【由来碑・碑文】

この合同慰霊碑は 昭和14年末から終戦に至る間に 中国揚子江流域に駐留していた碑文に記される9つの部隊が 揚子江流域やシベリアではたまた原爆によって戦傷病死した戦友の霊を慰めるために 平成6年大同団結して長江会を結成し 戦友有志の醵金と協賛者の寄付金をもって建立したものである

【案内板】

合同慰霊碑参拝ご案内

慰霊碑のあらましは由来碑に記していますが、関係部隊等の経緯について、ご案内いたします。
昭和14年秋、歩兵231聯隊は編成間もなく、ここ聖地比治山々頂から望見出来る宇品港から、万里波濤を越え中国大陸に出征、精強部隊としてその功績は高く評価されていました。
爾来戦火の拡大につれ、新編成の独立大隊(碑の裏面)が誕生し、兄弟部隊として大河・長江流域の各地に布陣し、戦闘、警備に当りました。
昭和20年6月師団の関東軍転用に伴い、聯隊は警備地宜昌を振起部隊に託し緒戦以来多くの戦友の血潮で染めた湖北の山野に決別し北上を開始しました。
然し戦況我に利あらず、満州国到着後、首都新京で終戦、将兵の殆どはシベリアの各地に抑留を余儀なくされました。
20代半ばの兵士が酷寒凍土の果てで、祖国帰還を夢見ながら仆れたのは無念の極みです。
数百余名に及ぶ犠牲者は、その殆どが、栄養失調と、これに起因する地底の炭鉱作業によるもので痛恨至極です。
一方、長江沿いの各地で任務を遂行していた各独立大隊も、悪化する戦況に耐えつつ勇戦奮闘、武運拙く「草むす屍」と散華された数も少なくありません。
また従軍半ばで帰国、本土防衛任務遂行中、原爆で亡くなった戦友等、慰霊碑には2千2百余名の霊をお祀りしています。
慰霊碑は平成7年3月に竣工したもので、関係各部隊(長江会)の有志の醵金と、これに協賛された各位の寄付金によるものです。
恒久平和を願う長江会は英霊の『不朽の功』を永久に伝え、戦友の真心が悠久長江の流れのよう、いつ迄も語り伝えられんことを祈念しています。

ご参拝を感謝いたします。

『慰霊』の文字は山口県禅昌寺のご住職の揮毫によるものです。
また裏面の銅板に刻んだ「長江会鎮魂譜」は出征からシベリア抑留まで行を共にした231聯隊の一兵士より慰霊の功を偲ぶよすがにと寄せられたものです。





比治山陸軍墓地
(広島県広島市南区・比治山公園)





(平成22年5月1日)


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