歩兵第232連隊

(通称号:藤6865部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
浜田?福山? 昭和14年 第39師団 満洲・四平

軍旗拝受後、華中に出動し、黄波地区の掃蕩および警備にあたる。
昭和15年、新州・黄安・河口鎮付近の戦闘、宜昌作戦などに参加。
昭和20年5月、対ソ作戦準備の為に華中から満洲へ転進。
転進行軍は3ヶ月に及び7月末に満洲に到着。
終戦後、ソ連の収容所に収容され、2年から5年の強制労働をさせられた。


慰霊碑


慰霊碑
(広島県福山市・備後護国神社




(平成22年5月2日)

慰霊

歩兵第二三二連隊(藤六八六五部隊)
戦没者慰霊祭記念昭和四十三年八月

部隊略歴昭和十四年八月一日福山歩兵第四十一連隊内ニ於テ編成同九月十三日軍旗拝受
中支ニ於テ赫々タル武勲ヲ樹テ終戦直前満州ニ転戦終戦ヲ迎ヘシベリヤニ悲憤ヲ呑ム

(碑文より)

慰霊碑


慰霊碑

(広島県福山市・備後護国神社)




(平成22年5月2日)

碑文

昭和14年8月福山歩兵第41連隊と第3大隊を浜田歩兵第21連隊にて編成
同年9月13日軍旗を拝受
同10月中支派遣武漢北方地区警備
翌15年5月宜昌作戦に参加し各地で敢斗その後荊門並に当陽の最先端にありて優勢なる敵と対峙しながら冬季山嶽戦湖南湖北襄焚等あまたの作戦に参加、勇戦奮斗赫々たる武勲をたて屈指の精鋭部隊の名声は全軍に轟くも数多の戦友を失う。
同20年5月急遽夜行軍にて泥濘の悪路を満州に転進四平街北方にて終戦の詔勅に接し、翌16日揚木林にて慟哭のうち軍旗を奉焼
シベリヤに抑留極寒と重労働の斗いに遂に力尽き多くの戦友を失う。
祖国のために散華されし幾多の戦友の御魂をこの地に迎え、永遠の眠り安かれと念じ、もって世界平和の灯たらんことを願いこの碑を建立す

昭和59年5月13日 歩兵第232連隊戦友会

(碑文より)



奉納石灯籠

(広島県福山市・備後護国神社)

歩兵第232連隊 藤6865部隊
大澤 寅一 書
昭和59年5月 建之

(平成22年5月2日)


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