歩兵第26連隊

(通称号:熊9203部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
旭川 明治33年 第7師団 帯広

明治32年12月、札幌郊外で第1大隊を編成。
明治33年11月、旭川に兵営を移転し、第2大隊を編成。
明治33年12月、軍旗を拝受。
明治34年、第3大隊が加わる。
徴募は函館連隊区の主管だが、同管区だけでは充足できなかった為、昭和初期までは東北、関東、甲信越地方からの徴募を行なっていた。

(日露戦争)
明治37年11月26日、旅順攻囲戦の第3回総攻撃に参加し、203高地、赤坂山の攻撃を行なう。
連隊は多大な損害を被ったが、さらに奉天会戦に転戦。
連隊長以下700余名の将兵を失いながら敵を撃退し、奉天に入城する。
明治39年、旭川に帰還。
以後、連隊は数次にわたり樺太へ守備要員を派遣する。

大正6年、第7師団に動員下令。
満洲に駐屯。
北満の満州里で治安維持と鉄道警備に当る。」

大正7年、シベリア出兵。
混成支隊の中核としてチタに進出し、チェコ軍の救援に当る。
その後、「磯林支隊」として黒龍州、沿海州地域でパルチザンと戦う。

(満洲事変)
昭和7年、第2大隊が混成第14旅団に編入され、北満で戦う。
熱河作戦、河北作戦にも参加し、山海関、通州へと転戦し、昭和9年に帰還。
同年、師団の再出動にあわせ、連隊は再び出動し、熱河省の警備に当る。
昭和10年に帰還。

(日中戦争)
昭和13年以降、北満警備のためチチハルに駐屯。
5月、徐州作戦に参加。
7月、張鼓峰事件ではソ連軍と対峙。

昭和14年5月、ノモンハン事件ではハルハ河右岸に陣地を構築しソ連軍と戦う。
大隊長をはじめ連隊の約7割を失うも、3ヶ月余りの戦闘に耐え活躍する。

(大東亜戦争)
昭和17年、穂積少佐を隊長とする北海支隊を編成。
昭和19年、峯木少将を隊長とする東支隊の中核として北千島に移駐する。
第27軍の千島作戦を援護し、帯広に帰還。
以後は北海道東部の防衛に当り、終戦を迎える。
昭和20年9月、札幌郊外の月寒に移り、月寒神社境内で軍旗を奉焼する。


歩兵第26聯隊軍旗奉焼之碑




歩兵第26聯隊軍旗奉焼之碑

札幌護国神社





(平成22年5月26日)

【碑文】

歩兵第26聯隊軍旗の沿革

明治33年12月22日 軍旗親授式 皇城正殿
 同年  12月26日 軍旗拝受式 旭川練兵場

大迫師団長より次の勅語が伝達された

勅語
歩兵第二十六聯隊ノ為ニ軍旗一?ヲ授ク 汝軍人等協力同心シテ益々威武ヲ宣揚シ 我帝国ヲ保護セヨ

太田聯隊長は次の如く奉答する
謹ンテ 明勅ヲ奉ス
臣等 死力ヲ竭シ誓ツテ国家ヲ保護セン

明治37年11月
同 39年 3月
日露戦争に従軍第3軍に属し赤坂山203高地奉天戦に参加
大正 6年 4月
同  8年 5月
満州派遣 北満に駐箚中シベリヤ事変に参加 
大正 9年 8月
同 10年 7月
満州派遣 サガレンに出兵
討伐 警備 治安維持 
昭和 9年 3月
同 10年 7月
満州派遣 満州事変に従軍
討伐 警備 治安維持
昭和13年 3月
同 15年 9月
満州派遣 支那事変に従軍
チチハルに駐屯
昭和13年5月〜6月 徐州会戦に参加
同年8月〜9月 長鼓峰事件に参加(※正しくは張鼓峰)
同14年6月〜9月 第二次ノモンハン事件に参加
同14年9月〜同15年9月 ハンダガイ附近の国境警備
昭和16年12月
同 20年 8月
大東亜戦争に従軍
昭和19年2月〜10月 北千島
幌莚島に進駐して同島の守備
同年10月 本土決戦に備えて道東地区の警備
同20年8月15日 ポツダム宣言を受諾
同年8月17日 極秘電により札幌月寒に移駐
同年9月10日 軍令により月寒神社境内において軍旗を奉焼

ここに光輝ある歩兵第二十六聯隊の終焉をつぐ

輝けるわれらが御旗のいさおしは
    平和のねがいこめてわすれじ
歴戦の強者どもが畏しこみて
    散りにし御旗ここに鎮まる

昭和61年9月14日
歩兵第26聯隊軍旗奉焼之碑建立期成会一同識



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