(通称号:熊9207部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
札幌? | 明治33年 | 第7師団 | 北見市 |
明治7年に制度化された北海道の開拓と治安維持に任ずる屯田兵が草創。
日清戦争後の軍制改革により本土部隊に準ずる編成となる。
歩兵第25連隊、歩兵第26連隊、歩兵第27連隊とは兄弟連隊。
明治33年、歩兵第25連隊のみを札幌に残し、師団司令部と共に旭川に移転。
日露戦争では乃木希典の第3軍に編入され、203高地の奪取攻撃に参加。
旅順陥落後、奉天会戦に参加。
シベリアにも出兵する。
日中戦争勃発後の昭和13年に第7師団は再び満州に駐箚し、関東軍の総予備兵団となる。
ノモンハン事件では第2大隊(長:梶川富治少佐)が先陣部隊となり連隊主力がこれに続いて参戦。
戦闘参加兵員は1,770名、そのうち戦死者568名、戦傷者675名。
昭和17年8月、大本営直轄の一木支隊(支隊長は、歩28連隊長の一木清直大佐)としてガダルカナル島奪還命令を受ける。
一木支隊は歩兵第28連隊を主力に工兵第7連隊第1中隊、独立速射砲第8中隊が配属され、総員2,507名。
一木支隊第1梯団(916名)は、現役の2年兵を中心にノモンハン帰りが加わった将兵だったが、飛行場奪還のため前進中に米軍陣地に遭遇し、わずか半日足らずの戦闘で玉砕。
軍旗を奉焼し、一木連隊長は拳銃自決をしたと言われている。
一木支隊第2梯団(通称:熊部隊・水野鋭士少佐指揮)は川口支隊の右翼隊としてヘンダーソン飛行場に突撃を敢行するが惨敗。
戦線を離脱し、飢えと戦いながら後方の友軍陣地を求めて引き返し、部隊は第17軍最後方部隊としてガダルカナル島を撤退する。
ブーゲンビル島を経由し旭川に帰還した将兵は、わずかに140余名。
昭和19年9月3日、軍旗を再親授される。
終戦時には北海道東部に部隊を展開し、オホーツク海の海岸に上陸する連合軍に備えた。
昭和20年9月3日、北見市に移動した連隊本部にて軍旗を奉焼。
ソロモン諸島・ガダルカナル島 |
【テナル教会】
一木支隊 鎮魂碑 平成4年9月 一木会 建之 施工 北野建設 1992年9月28日 (平成22年11月21日) |
碑文 |
一木支隊は大東亜戦争中(太平洋戦争)旭川第7師団歩兵第28連隊を基幹に編成され、 昭和17年8月この島に上陸、半年の間勇戦奮闘し2千余名の将兵が非業の最後を遂げた。 ここに鎮魂碑を建立し、支隊勇士の霊に奉慰の誠を捧げ、その尊い勲を顕彰すると共に、 この地に散華した日米をはじめ、参戦各国全勇士の霊の安鎮を祈るものである。 |
建立者 一木支隊戦友と遺族の会 一木会 協賛 一木支隊鎮魂碑建立協賛会 |
【イル川河口】
一木支隊奮戦之地 (平成22年11月21日) |
碑文 |
一木支隊は大東亜戦争の昭和17年旭川で編成され 同年8月約2千3百人が上陸し数次の戦闘でその大半がこの地に散華した |
平成4年9月 一木会建之 |
イル川河口(平成22年11月21日) |
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