(通称号:杉4711部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
岩手県・弘前 | 明治31年 | 第8師団 | ルソン島南部 |
日清戦争後の軍備拡張の勅令により6個師団が増設されることになり、連隊は3年がかりで編成。
明治29年5月、弘前市に連隊本部を設置。
明治30年、弘前に創設された第8師団の隷下に入る。
連隊の将兵は岩手県出身者。
連隊の初陣は日露戦争。
明治37年6月7日、第8師団に動員下令。
第8師団は黒溝台争奪の死闘を繰り広げ、更に奉天会戦へと進んで第2軍の中心的戦闘集団として活躍。
日露戦争後、一時、朝鮮の京城(ソウル)、龍山などの警備にあたる。
大正7年のシベリア出兵では、師団は尼港事件解決までサハリンを補償占領するということで、他国の軍隊は大正9年に撤退したが、大正11年まで延期駐留した。
昭和6年9月、満州事変勃発により動員下令。
第8師団は山海関を攻略、更に熱河省に攻め込み承徳城を占領した。
昭和12年7月の日中全面戦争勃発時には、連隊は満洲東部のソ満国境で警備に専念していた。
昭和19年7月25日、第8師団がフィリピン戦線への転進命令を受け、部隊は朝鮮半島の釜山(プサン)から船団を組んで出港。
台湾の近くで、船団の一隻『玉津丸』が米潜水艦により撃沈され、更にバシー海峡に入って『永治丸』が機雷に触れて沈没する。
加えて、米軍の熾烈な魚雷攻撃、砲撃、更に豪雨と荒波に揉まれ最悪の状態となり、目的地に到着する前に死傷者は900名近くにもなった。
やむなく横山師団長ら数名は九州から空路で先行、連隊の軍旗も台湾の基隆(キールン)から空路でマニラに送るという処置を取る。
連隊はマニラ上陸を諦め、ルソン島ボヘカドル岬に上陸、陸路、任地のバタンガスに難行軍を強いられる。
昭和20年、振武集団は第8師団を中核部隊として第105師団がマニラ東方拠点に布陣。
米軍は空挺第11師団と米比混成軍1個師団がルソン島ナスグズ湾に上陸。
連隊はこの圧倒的な敵を迎え撃ち、戦闘は熾烈を極める。
振武集団は当初の8万の兵力から6千に激減。
弾薬も食料も尽きて、兵は散り散りに後退。
ルソン島マヤビス山中で将兵は終戦を知る。
昭和20年9月16日、連隊は連隊旗をマヤビス山麓のリテナン川を下り、タナイ川との合流地点の川岸で奉焼した。
奉焼に立ち会ったのは、小林連隊長ほか、兵士9名。
連隊の総員は2,997名、戦死者は2,516名、生還者は481名だった。
鎮魂 (愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音霊場) 振武集団 歩兵第三十一聯隊 (平成20年4月16日) |
碑文
純粋な祖国愛に燃え南冥の果てルソン島に散華した 連隊出身将兵各位の英霊を永遠に供養するため弔魂の誠をこめてこの碑を建立す
昭和52年4月
歩三一 岩手会
鎮魂 (岩手県盛岡市・岩手護国神社) 南部ルソン島マニラ東・西地区 昭和20年1月〜9月 振武集団第8師団 歩兵第三十一連隊戦歿者将兵一同之霊 歩兵第三十一連隊岩手会 (平成21年11月4日) |
建立趣旨
日本民族の繁栄と郷土の幸福を一途に遠くは日露戦争より太平洋戦争に至るまで散華された数多くの郷土出身戦死者の事蹟を永久に忘却してはならない。
終戦50周年にあたり御霊の奉安と恒久平和を祈念し関係諸団体と相諮り多くの御賛同と尊い御芳志により鎮魂の碑を護国の社に建立した次第であります。
平成7年9月吉日
歩三一岩手会
(碑文より)
歩兵第31連隊軍旗の一片 (岩手県盛岡市・岩手護国神社) 昭和20年9月8日朝 比島ルソン島タナイ川上流で奉焼す 元聯隊副官 小野寺辰雄 所蔵(岩手県千厩町) (平成21年11月4日) |
歩兵第31連隊歴代連隊長 (岩手県盛岡市・岩手護国神社) (平成21年11月4日) |
初代 中佐 児玉軍太 明治29.9.25〜37.9.1 2代 大佐 小沢季治 明治37.9.2〜38.3.17 3代 中佐 長谷川達海 明治38.3.18〜39.3.23 4代 大佐 丹羽 剛 明治39.3.30〜42.1.9 |
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5代 大佐 酒井春蔵 明治42.1.10〜大正3.9.10 6代 大佐 西原為五郎 大正3.9.11〜5.11.20 7代 大佐 黒沢圭一郎 大正5.11.21〜7.7.23 8代 大佐 南保貞治 大正7.7.24〜7.11.20 |
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9代 大佐 金沢末作 大正7.11.21〜9.5.11 10代 大佐 小倉英季 大正9.5.12〜10.7.20 11代 大佐 丸山 豊 大正10.7.21〜11.3.14 12代 大佐 小野五郎 大正11.3.15〜13.2.3 |
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13代 大佐 長嶺俊之助 大正13.2.4〜昭和2.7.26 14代 大佐 宮沢 浩 昭和2.7.27〜3.8.10 15代 大佐 小林角太郎 昭和3.8.11〜4.8.1 16代 大佐 上野良亟 昭和4.8.2〜6.8.1 |
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17代 大佐 安川三郎 昭和6.8.2〜7.8.7 18代 大佐 早川 止 昭和7.8.8〜9.8.1 19代 大佐 倉茂周蔵 昭和9.8.2〜11.8.1 20代 大佐 西原貫治 昭和11.8.2〜12.10.7 |
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21代 大佐 楠山秀吉 昭和12.10.8〜14.3.2 22代 大佐 白銀義方 昭和14.3.3〜15.3.27 23代 大佐 大本四郎 昭和15.3.28〜16.3.7 24代 大佐 小林島司 昭和16.3.8〜終戦 |
【歩兵第31連隊】
昭和19年9月22日 サルマゲ上陸、バタンガス上陸
昭和19年12月30日 イポ(主力)、ナスブク、バタンガス(第3大隊)
昭和20年1月28日 サンタマリア、ポカウエ交戦
昭和20年2月12日 第一次反撃
ノバリチェス、カロカン攻撃
昭和20年2月22日〜3月20日 主力、ワワ転進
第二次反撃
振武山・烈火山攻撃、悠久山後退、万丈山反撃
昭和20年5月13日 第三次反撃
神徳山、無窮山攻撃
昭和20年6月中旬 為朝山、報国山
昭和20年8月15日 タナイ、テレサ東方山地〜終戦
高橋大隊(第3大隊)は藤兵団配属
昭和20年1月31日 アガ高地(大隊主力)
昭和20年3月下旬 バツラオ山よりマレプヨン山撤退
昭和20年4月下旬〜5月下旬 バナハオ山移動〜終戦
(参考:村田三郎平著 『最前線爆雷製造部隊』 風媒社 1977年第1刷)
(平成23年10月23日追記)
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