(通称号:国4904部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
大阪のち鳥取 | 明治31年 | 第25師団 | 都城 |
明治29年11月、大阪の歩兵第20連隊兵舎を仮兵舎として連隊本部と第1大隊のみで創設。
明治30年4月、鳥取に移り常駐。第2大隊を編成。
同年12月、第3大隊を編成。
第10師団隷下部隊として日露戦争に出征。
范家屯の戦いが初陣。
遼陽会戦、沙河会戦、三塊石山の作戦に参加。
満洲事変では松花江作戦、熱河作戦、東寧作戦、虎林作戦などに参加後一時日本に帰還。
日中戦争勃発するや再び大陸へ出発。
昭和12年8月18日、大沽に上陸。
周庄子、流河鎮の戦闘を経て、9月24日には滄州県城の占領に一番乗りを果たす。
昭和13年、徐州作戦、武漢作戦に参加。
昭和14年、魯西作戦、晋東作戦に参加。
昭和15年になって第10師団から第25師団に転属し、関東軍隷下となって国境警備などにつく。
昭和19年、第3大隊が南方抽出転用となり、サイパン島タナパク港へ上陸。
ラウラウ付近に陣地を構築するが、米軍上陸・攻撃のために全員玉砕。
連隊主力は、第25師団の本土決戦準備のための九州転進に伴い、都城地方に集結し終戦を迎えた。
慰霊碑 (鳥取県護国神社) 碑文 満洲第960部隊 歩兵第40連隊 サイパン島派遣部隊 有志 (平成16年11月18日) |
慰霊碑 (大阪護国神社) 満州第960部隊 歩兵第40連隊 サイパン島派遣部隊有志 (平成20年6月15日) |
歩兵第40連隊(岩倉兵営)跡
(鳥取市立川7丁目・鳥取三洋電機株式会社)
※ (2008年4月1日より「三洋電機コンシューマエレクトロニクス(株)」に社名変更)
旧建物(その2) 連隊本部の建物か? |
旧建物(その3) 機関銃中隊の建物か? (平成16年11月20日) |
訪問記 |
タクシーに乗って突然訪問しました。 私:「多分、中には入れないと思うよ〜」 運転手さん:「とにかく私が話してきますから待っててください。」 と、正門の中に乗り入れました。 ここからは運転手さんが交渉係、私は車内で待機。 運転手さん:「見学はなかなか難しいようです。」と車に戻ってきて報告してくれました。 私:「じゃぁ、諦めましょう。」 運転手さん:「いや、いや、もう少し待っていて下さい。」と更に粘って交渉。 何度も守衛室と車とを往復して中間報告をしてくれました。 運転手さん:「今、総務部と交渉してますから・・・もうちょっと待っててください。」 しかし・・・上司が不在との事で許可が出ません。 結局、「タクシーでゆっくり構内を走って見るだけなら良いことにしましょう。」と妥協案をいただきました。 かなりの特別待遇でしょう。 しかし、迷惑をかけては申し訳ないので、守衛さんから見える範囲内を移動して撮った写真が上の3枚です。 これらの建物は現役で使用されているようです。 守衛さんの話では、ここにはよく兵舎を見に来る人が多いとの事。 しかし、そういう方々は皆さん事前に見学許可を得て来るそうで、私のように突然の訪問では許可は出せないということです。 見学希望者はご注意ください。 (平成16年11月20日訪問) |
岩倉小学校の横に建っています。 ここは兵営の東側の跡地に位置します。 残念ながらフェンスで囲まれており、碑の裏に碑文があるのかどうか確認できませんでした。 (平成16年11月20日) |
旧陸軍墓地
(鳥取市国府町奥谷・無量光寺)
陸軍墓地改修記念碑 聨隊長 篠原大佐書 (平成16年11月20日) |
旧陸軍墓地由緒
鳥取市岩倉に歩兵第40連隊が創立されたのは、明治29年12月1日で、これに伴い、明治維新以降祖国のため散華された将兵の殉国の至誠をたたえ、これを永く顕彰する霊場として現在地が選ばれ、近隣の正雲寺、無量光寺ほか関係者数名が陸軍省に土地を提供し、明治30年2月に「陸軍墓地」が創設された。
終戦直後は陸軍省から大蔵省へ移管されていたが、昭和29年11月1日大蔵省から鳥取県へ移管され現在に至る。
墓石の建立:昭和8年春 面積は9,626平方メートル(2,912坪)
埋葬状況:個人墓129柱 合葬墓4,845柱 合計4,974柱
鳥取県
(説明板より)
戦没者慰霊塔 |
遺骨合葬碑 (戦没者慰霊塔の後ろ) (平成16年11月20日) |
合葬碑
左から
『明治三十七八年陣亡将校遺骨合葬碑』
『明治三十七八年陣亡准士官遺骨合葬碑』
『明治三十七八年陣亡下士遺骨合葬碑』
『明治三十七八年陣亡兵卒遺骨合葬碑』
全て明治39年10月12日第10師団によって建立されたものです。
個人墓碑 これらの方々は殆ど昭和7,8年頃に戦死された方々です。 前列手前:山野平三郎少佐 (平成16年11月20日) |
鳥取県立博物館 (鳥取市東町2丁目124番地・鳥取城のすぐそば) ここに、ほんの少しですが歩兵第40連隊関係の資料が展示されています。 (平成16年11月19日) |
歩兵第40連隊と日露戦争
歩兵第40連隊(通称、鳥取連隊)は、明治29(1896)年に創設され、約2,000人の将兵によって編成されていました。
兵士は、鳥取県と兵庫、岡山県の一部から徴兵されたため、郷土部隊として親しまれました。
明治37(1904)年に起った日露戦争では戦死者419名、負傷者1,452名を出しました。
(展示パネル説明文より)
展示品 |
陸軍礼服(明治末〜大正期に使用) 日露戦争従軍記章 日露戦役記念の盃(八頭郡尚武会作製) 満洲記念写真帖 40連隊全景写真 |
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