歩兵第45連隊

(通称号:明9020部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
鹿児島 明治31年 第6師団 ブーゲンビル島

明治29年、熊本城内に創設され、第6師団に所属。
明治31年、鹿児島に移駐。
日露戦争では第2軍に属し、明治37年6月、塩大澳に上陸。
遼東半島の北部蓋平、大石橋、営口、海州を占領。
遼陽会戦に参加後、沙河会戦、浪子街の戦闘では連隊が前衛の役割を演じた。
明治38年、奉天会戦では第4軍に属して参加し、韓城堡、魚鱗堡等で奮戦。
大正11年から約2年間は遼陽に駐屯。
昭和8年、熱河作戦、長城作戦に参加後、帰還。
昭和12年盧溝橋事件勃発により動員。
保定、正定(石家荘)の戦い、杭州湾上陸作戦、南京攻略戦に参加。
昭和13年、連隊は蕪湖に集結し、徐州会戦に参加。
その後、漢口作戦に参加し、安慶、潜山、黄海、広済、田家鎮等を攻略。
その後、武漢地区の警備に任ず。
昭和14年に南昌作戦、昭和15年に宜昌作戦、昭和16年に陸水作戦、長沙作戦、などに参加。
昭和17年、ガダルカナル島を中心とする南方戦線救援のため、第6師団が派遣されることになり上海を出発。
11隻の輸送船がトラック島附近に達した頃、ガダルカナル島撤退が決まり、師団は急遽ブーゲンビル島に派遣されることとなる。
昭和18年1月、ブーゲンビル島エレベンタに上陸。
途中、連隊本部が乗船している明宇丸が撃沈されたが、大部分は救出された。
連隊はブーゲンビル島中部のキエタに駐屯。
昭和18年11月、米軍が西海岸中部のタロキナ岬に上陸。
連隊が駐屯していたキエタとは島の反対側だったため上陸迎撃戦には不参加。
昭和19年3月8日から米軍が建設した飛行場を破壊する第二次タロキナ作戦の主力として参加。
戦闘は約20日間続き、攻撃は4次にわたって敢行されたが、連隊の80%が戦死傷するという結果で終る。
以後、守勢に転じ、最後は第17軍司令部所在地のマイカで終戦を迎えた。


献木



献木 歩兵第45連隊補充隊第6中隊戦友会

(鹿児島市・鹿児島県護国神社

昭和59年2月6日建之



(平成19年3月30日)

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