歩兵第51連隊

(通称号:祭7370部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
京都 明治38年 第15師団 バンコック西方

明治38年4月15日、第15師団隷下の部隊として編成。
大正14年の宇垣軍縮により第15師団は廃止され、隷下の連隊も廃止となった。

昭和13年4月、日中戦争の拡大と長期化により第15師団に再編成の命が下り、連隊も京都師管区において再編成され、第15師団に編合された。
昭和13年8月、第15師団の中支派遣により、江蘇省の警備に付く。
昭和13年9月、第3大隊は漢口攻略作戦に参加し各地を転戦。
昭和16年2月、蘇北作戦が開始され、各部隊から抽出された1個中隊が編成され、野田別働隊となり高郵、興化、揚州地域で活躍する。
昭和16年4月、浙東作戦に、12月には皖浙作戦に参加。
昭和17年6月、東門飛行場を占領。
昭和18年3月、鎮江に移駐して警備に当る
昭和18年6月、第15師団は第15軍に編入され、南ビルマ方面に転進したが、鉄道輸送能力の不足、チェンマイ〜トング間の道路改修工事が災いして、集結地レウに到着したのは昭和19年2月であった。
昭和19年3月15日、インパール作戦が開始され、第1大隊と第3大隊はチンドウィン河の奇襲渡河に成功。
3月17日には一気に国境を突破してインド国内に進出した。
4月1日、アラカン山脈を突破してインパール北方数十キロ地点まで到達したが、例年より早く訪れた雨季のため補給が完全に絶たれてしまい孤立。
一週間も絶食状態という部隊があるほど飢えとの戦いが続いた。
7月7日退却命令。
7月22日、インド国境を突破し8月1日にウエマテに集結。
アメーバー赤痢、悪性マラリア、飢えと疲労のため兵士を失う。
11月、ワヨンゴン、ピンレブ、ウントーを経てウントー北方アマガンに集結。
インパール作戦終結。
この作戦で戦死傷者は約1,800名。
その後、イラワジ河畔の会戦、マンダレー城の攻防などに参加。
タイ国カンチャナブリ県ワンポウに転進し、ここで終戦を迎えた。


歩兵第51連隊慰霊碑



歩兵第51連隊慰霊碑
(三重県津市 三重県護国神社




(平成16年2月7日)

碑文

聯隊は明治38年創建、樺太等に出兵、爾後神都守護の大任を以て、三重縣久居市に駐屯す。
然るに大正14年5月、軍縮により廢止せらる。
昭和13年7月、日華事變の擴大に伴ひ再建、三重、京都、奈良で編成を完結、第15師團の隷下に入り同年8月渡支、南京東南地區に分駐し、治安警備並に各作戦に参加、赫々たる武勲を収む。
大東亜戰急を告ぐるや、昭和18年8月ビルマに轉進、インパール作戦に加はり眞に特攻精神を發揮す。
昭和20年8月15日大命により終戦。
此の間軍旗の下盡忠報國祖国繁栄を祈念しつゝ國家の人柱となられた戦友は實に4千有餘柱に及ぶ。
茲に護國の神となられた英霊の名を誌し供華臺に納め鎮魂の碑となす。

昭和51年4月
歩兵第51聯隊
(祭第7370部隊)生存者一同


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歩兵第五十一連隊


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