歩兵第53連隊

(通称号:月7384部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
鳥取 明治38年 第17師団 ニューブリテン島

初め大阪の第17師団隷下で編成され、軍旗を拝受すると、直ちに乃木大将の指揮下に置かれるが、1ヵ月後には休戦となる。
明治41年10月、第17師団から第16師団歩兵第19旅団の管下に入る。
翌年、陣営移転で奈良に移る。
大正14年5月1日付をもって廃止される。
昭和13年7月14日に軍旗を再拝受され再編成され、改めて第17師団の隷下に置かれる。
日中戦争の第17師団の動員に伴い、中国へ渡り江蘇省無錫・常州・宜興などで警備に当たる。
昭和13年10月、第3大隊が武漢攻略戦に参加。
以後、連隊は甘木関突破作戦・慈口鎮附近の戦闘などに参加する。
昭和19年9月、師団の第1梯団として上海からラバウルへと向かう。
12月からの戦闘では死闘の連続。
シリマチ岬の守備隊と第1小隊の一支隊が玉砕。
エボシ岬守備に当たっていた第1中隊の1小隊と歩兵砲中隊主力が玉砕。
ナタモ附近で第1大隊の第1機関銃中隊主力と第1歩兵砲小隊の主力が玉砕。
やむなく連隊主力は12月31日、残存兵力をもってツルブ飛行場で持久戦に入り、ビール川で戦闘中に終戦を迎える。


平和の女神像

『平和の女神』像
(岡山県護国神社)

昭和53年5月3日
歩兵第53連隊戦友会建之
顕彰碑製作者 西村西望翁


(平成16年10月3日)


歩兵第53連隊顕彰碑
(「平和の女神」の裏側)

昭和53年5月3日
歩兵第53連隊
戦友会並びに遺族会建之

(平成16年10月3日)

戦歴(顕彰碑銘板)

明治38年 4月 歩兵第53聨隊編成
6月 軍旗拝受 奉戴式擧行(大阪城東練兵場)
日露戦役 北満守備並びに西伯利亜事変に参加
大正14年 5月 軍備縮小により廃止 軍旗奉還
昭和13年 4月 事変の拡大により聨隊再編成
7月 再び軍旗を親授せられ奉戴式擧行(信太山陸軍演習場)
中支派遣のため大阪港出帆
8月 上海港上陸 宜興周辺地区の警備
9月 宜興南方地区の戦斗
10月 武漢攻略戦に参加
昭和14年 6月 高瑞鎮作戦
10月 湟里鎮作戦
昭和15年 2月 銭塘江南岸作戦
10月 江南作戦
昭和16年 2月 准南作戦
3月 太湖西方作戦
4月 北支移駐 徐州周辺地区の警備
10月 浙南作戦
11月 魯南作戦
12月 大東亜戦争勃発
昭和17年 2月 渦河作戦
4月 浙かん作戦
昭和18年 1月 皖中作戦
4月 とう南作戦
9月 南方派遣のため上海港出帆
10月 ニューブリテン島ラバウル上陸
主力は同島西部地区ツルブ方面に
一部(第3大隊及び第6中隊)はブーゲンビル島に進出
ニューブリテン島作戦
昭和18年 12月 ツルブ作戦
昭和19年 1月 第2次乃至第五次ビスマルク作戦
2月 「カ」号作戦(ツルブ―ラバウル間轉進)
昭和20年 自4月
至8月
ラバウル防衛戦(西崎―ケラバット地区の警備)
ブーゲンビル島地区作戦
昭和18年 12月 ブーゲンビル島防衛戦
昭和19年 2月 第2次タロキナ作戦
4月 基点(タロキナ峠)防禦戦
昭和20年 8月 終戦 軍旗奉焼(ラバウル)
昭和21年 5月 内地帰還 復員

英霊芳鑑・物故者名簿・聨隊歴史・本部各中隊戦友会名簿及び寄付者芳名録並びにその他の資料は碑底に収蔵しあり


ブーゲンビル



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