歩兵第60連隊

(通称号:祭7368部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
京都 明治38年年 第15師団 バンコク(タイ国)

大正14年、宇垣軍縮により、第15師団は廃止され、同時に連隊も廃止となった。
昭和13年、日中戦争拡大に伴い第15師団が再編制され、連隊も名古屋師管区において再編制されて第15師団に編合される。
華中方面に派遣され、安徽省一帯の警備、春季の皖南、宜昌、江南の作戦に参加。
昭和19年、第15師団は第15軍に編入され、ビルマ方面に転進し、インパール作戦に参加。
昭和19年3月15日、チンドウィン河の渡河では先頭部隊となり進撃。
アラカン山脈を4日で越え、3月18日にはビルマ、インド国境線を突破。
4月上旬にはインパールへ数十キロの地点まで肉薄。
しかし、例年より早い雨季のため、補給が完全に絶たれる。
アメーバ赤痢、悪性マラリア、飢えと疲労のため完全に孤立。
7月7日、撤退命令により悲惨な”白骨街道”を撤退。
12月28日、イラワジ河畔に集結したが兵員は600名にまで激減。
12月29日、イラワジ河を渡り対岸の防衛に付く。
昭和20年1月17日、追撃してくる英印軍と激戦(イラワジ河の会戦)
少ない兵力で4ヶ月に亘る攻防戦を展開するが、命令によりタイへ転進。
8月11日、タイ国バンポン・タモアン地区に集結、同地で終戦を迎えた。


千歳輝の碑



『千歳輝』の碑

(京都市東山区・霊山観音)




(平成16年4月2日)

副碑(碑文)

我が部隊は支那事変に於て中支の諸作戦に大東亜戦争に於てはビルマに轉進しインパール作戦に参加せり
諸靈はこの間勇戦敢闘一死国に殉ぜらる
その武勲は燦として千歳に輝く
茲に戦友相図り諸靈の遺勲を顕彰しその冥福を祈る為この地に慰靈の碑を建つ

昭和42年4月
元歩兵第六十聨隊戦友一同

説明板

元歩兵第60連隊(祭7368部隊)は昭和13年に編成され第15師団(祭部隊)中核部隊として中支蕪湖附近の警備にあたり武漢攻略戦・浙東・浙■両作戦を始め諸作戦に勇名を轟かせ又大東亞戰爭となるやインド・ビルマ方面に進出しかのインパール作戦に於ける英印軍の總反撃のみならず酷暑惡疫などの戰いをも続け歩兵の本領を発揮し勇猛果敢にその任務を遂行いたしました。
この輝かしい戰史の陰には生死を固く誓い合った幾多の戰友が敵彈に斃れ或は病魔に倒れて再び還らぬ尊い無言の勇士となられたのであります 
特にインド・ビルマ方面の各戰斗におきましては部隊の九割を失いその大部分の方は京都・滋賀出身の者で異境の地に祖國の為尊い御柱となられたのであります
この度諸英靈の故郷である京都とくに四季緑美しい東山山麓の靈山観音像膝下に慰靈碑の建立を見るに至ったのであります
主碑は大覚寺門跡草薙全宜大僧正の御揮毫で忠魂は永久に燦として輝という千歳輝の文字これを岡山県産の白みかげ石にて高さ1.5米横2.8米重さ3.5屯あり遥かインパール方面に向い上面の凸凹はかのアラカンの山脈をかたちどり前面の小石は海を現わしております
また副碑はインパール作戰当時の聯隊長松村弘氏が草稿されたもので福島県産黒みかげ石を使用高さ六六糎横六六糎重さ0.6屯あります
昭和42年1月インパール地区戰跡慰靈団が派遣され訪れる人なきあの瘴癩の地に安らかに眠れる亡き戰没者の靈を懇に弔い現地の石を聖石として持歸り戰友のみたまと倶に慰靈碑に安置し戰没者の冥福を祈る次第であります

昭和42年4月29日

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