(通称号:幸3702部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
名古屋 | 明治7年 | 第3師団 | 中国安徽省・蕪湖 |
明治7年3月20日、2個大隊をもって編成。
明治9年4月に第3大隊増設。
日露戦争では南山を緒戦に大連、得利寺、大石橋、遼陽、首山堡と戦いを重ね、沙河会戦に参加。
明治38年3月からの奉天会戦にも参加する。
「シベリア出兵」では大正7年8月から大正8年10月までの1年間、シベリア方面の治安維持のため動員され、ネルチンスクを中心に警備につく。
昭和3年5月、「現地在留邦人保護」の名目で歩兵第6連隊を含む第3師団に動員下令。
連隊は翌年の5月まで済南地区の警備にあたり、5月24日名古屋に帰還した。
満洲事変後の昭和9年4月に東満地区警備のため満洲に派遣、綏芬河に駐屯。
昭和11年5月に帰営。
昭和12年、日中戦争勃発により動員下令。
8月、連隊は師団と共に上海戦線に投入。
大場鎮、蘇州河附近の激戦を戦い、12月14日の南京占領に参加。
昭和13年、丹陽から鎮江、陽州へと移動し、5月19日の徐州会戦に参加。
その後引続き、武漢作戦、宜昌作戦、漢水渡河作戦などの主要作戦に参加。
大東亜戦争突入後も、浙かん作戦(昭和17年5月)、江北作戦(昭和18年2月)、江南作戦(昭和18年4月)、常徳作戦(昭和18年11月)、1号作戦の一つである湘桂作戦(昭和19年)に参加する。
華中・華南の戦場を転々とし、昭和20年8月18日に終戦の報に接し、8月23日、湖北省大冶守金牛鎮において軍旗を奉焼する。
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「歩兵第6聯隊之跡」碑 (愛知県名古屋市・名古屋城二の丸跡) (平成20年4月16日) |
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「忠霊」碑 (愛知県名古屋市・名古屋城二の丸跡) (平成20年4月16日) |
碑文
滋ニ前聯隊長
梨本宮守正殿下
ノ題字ヲ拝シ當聯隊創立以来各戦役ニ於ケル戦病没将士ノ英霊ニ奉祀ス
諸士ハ聯隊ノ光輝アル歴史ノ精華ニシテ正ニ後進将兵ノ亀鑑タリ
忠魂■■トシテ長ヘニ照鑒ス
誰カ仰イテ盡忠報国ノ至誠ヲ誓ハサラン
嗚呼此ノ祠ヤ實ニ我カ聯隊ノ鎮護タリ
皇紀二千五百九十三年
昭和八年七月
歩兵第六聯隊
※ ■は判読不明文字です。
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馬魂碑 (愛知県名古屋市・名古屋城二の丸跡) 軍役動物の慰霊のために 昭和55年3月10日 歩六会建之 (平成20年4月16日) |
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「勅諭下賜五十周年記念」碑 昭和七年一月四日 (平成20年4月16日) |
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由来碑 (愛知県名古屋市・名古屋城二の丸跡) (平成20年4月16日) |
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歩兵第6聯隊記念碑 (平成20年4月16日) |
歩兵第6聯隊之由来
抑々明治4年8月、東京鎮台第3分営を名古屋に設置せられたのが起源で、その後明治6年第3分営を名古屋鎮台と改め、歩兵6番大隊と称した。
この年わが国に徴兵令が施行され、翌年3月壮丁を愛知、三重、岐阜の県から徴集し、歩兵第6聯隊を創設し、此の地名古屋城二の丸に兵営を新築し、12月27日軍旗を拝授し衛戌した。
以来精強な軍隊の練成に励み国威の宣揚に尽した。
健軍早々にして明治10年西南の役に初陣し、熊本城の圍を解き本営を護衛し干城の任を尽した。
その後日清戦役に出陣し、九連城海城の戦闘で勇名を挙げ、明治37、8年の日露戦争にては首山堡、沙河、于洪屯の戦闘で武勲を樹てた。
大正7、8年のシベリア派遣、昭和初期における山東派兵及び満洲に加わりて、克く護国の大任を完うせり。
昭和12年支那事変勃発するや上海方面に急派せられ、幾多の辛酸をなめ威武堂々、南京、武漢に転進、次いで応山浙河地区に進駐し警備地の治安確保に任じつつ大東亜戦争に突入し、専ら大陸にありて長沙、常徳、湘桂など累次の会戦に加わりて、東亜新秩序の建設に邁進した。
然れども大勢我に利なく終戦となり、命により武装を解除し国軍は解散するの憂き目に遭い、今や郷土の誇りを継ぐ軍隊なきは誠に遺憾に堪えない。
茲に戦友相計り由縁の地に碑を建て、由来を刻み先人の偉績を顕彰し、併せて殉国の英霊を弔慰し其の功勲を不朽に伝う。
昭和55年3月10日
元歩兵第6聯隊戦友生存者有志建之
歩6跡地改修造園奉仕者
聯隊本部・同大小行李・通信中隊・聯隊砲中隊・速射砲中隊・乗馬小隊
第1大隊本部・同大小行李・第1中隊・第2中隊・第3中隊・第4中隊・第1機関銃中隊・第1大隊砲小隊
第2大隊本部・同大小行李・第5中隊・第6中隊・第7中隊・第8中隊・第2機関銃中隊・第2大隊砲小隊
第3大隊本部・同大小行李・第9中隊・第10中隊・第11中隊・第12中隊・第3機関銃中隊・第3大隊砲小隊
二の丸会・東京歩六会
(碑文より)
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歩兵第6聯隊 第11中隊 「鎮魂」碑 (愛知県名古屋市・名古屋城二の丸跡) (平成20年4月16日) |
自昭和9年4月 至〃11年4月 |
満ソ国境東寧地区警備 |
昭和9年6月 | 廟嶺附近討伐参加 |
仝年7月 | 石門子附近討伐参加 |
仝年8月 | 泉眼河及廟嶺附近討伐参加 |
仝年10月 | 師団秋期大討伐参加 |
昭和10年4月 | 師団春期大討伐参加 |
仝年10月 | 師団秋期大討伐参加 |
昭和11年3月 | 東寧県下師団春期討伐参加 |
仝年4月 | 内地帰還の為東寧出発 |
昭和12年8月 | 日支事変動員下令 |
仝年8月20日 | 駆逐艦、天霧、朝霧、夕霧乗船名古屋出港 |
仝年8月23日 | 上海、■淞附近の大激戦参加 |
仝年9月 | 上海市政府附近各戦斗参加 |
仝年9月 | 劉家行、紀家湾附近激戦参加 |
仝年10月 | 西六方、薀■浜、壮家宅各戦斗参加 |
仝年10月 | 大場鎮、張家楼附近大激戦参加 |
仝年11月 | 蘇州河渡河作戦戦斗参加 |
仝年11月 | 上海南市附近戦斗参加 |
仝年12月 | 南京攻画作戦及入場式参加 |
仝13年1〜2月 | 揚州附近警備 |
仝年3〜4月 | 広徳附近戦斗参加 |
仝年4〜5月 | 除州大作戦参加 |
仝年6月 | 准南及寿県附近戦斗参加 |
仝年7〜8月 | 津浦沿線附近戦斗参加 |
仝年9〜10月 | 信陽大作戦参加 |
仝年10月 | 武漢大作戦参加 |
仝年11月 仝14年3月 |
浙河作戦及警備 |
仝年4月 | 广山県西北附近戦斗参加 |
仝年5月 | 随県南方地区戦斗参加及警備 |
仝年12月 仝15年2月 |
浙河地区冬期作戦参加 |
仝年3月 | 洛陽附近戦斗参加 |
仝年4〜7月 | 宣陽作戦参加 |
仝年8〜10月 | 随県馬鞍山附近戦斗参加 |
仝年12月 | 漢水作戦参加 |
昭和16年1月20日 | 建立生存者名古屋に帰還 |
昭和20年8月15日 | 終戦 |
右の戦歴は昭和8年、9年、10年、11年の現役徴集及び特別賛助者の各戦斗参加の概要を記す
昭和51年8月22日
(碑文銘板より)
趣旨
想えば我が国陸軍創設以来 明治 大正 昭和の三御代に亘り此の地は 元陸軍歩兵第6聯隊第11中隊の遺跡であります。
我々生存者は亡き戦友共々ここに現役兵として入隊し 苦楽を共に激しい演習に鍛えられ愛国の至情に燃えた往時の血と汗の匂いが今もこの地に漂って居ります
金鯱城の下に集まりて最も思い出多き兵営に結んだ夢と共に永遠に消えさる事はないと思います
戦争と云う悲惨な事実は我々にとって終生忘れようとしても決して忘れる事の出来ない大きな爪跡を今も尚胸中に残して生々しく甦って来るものであります
祖国の将来を憂い我々生存者の身代わりとして異国の各地に散華せし幾多戦友の武勲を讃え 生きとし生き残れる戦友の心を一つに結んで 悲惨な戦争を再び繰返す事なく 心から永遠平和への願いをこめて茲に鎮魂碑建立の趣旨と致します
昭和51年8月
元歩兵第6聯隊第11中隊
(副碑・碑文より)
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献納灯籠 歩兵第6聯隊第11中隊 知多郡武豊町 阿知波三善 海部郡蟹江本町 深見俊一 (平成20年4月16日) |
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献納灯籠 歩兵第6聯隊第11中隊 昭和51年8月 愛知県海部郡蟹江本町 深見俊一 長野県下伊那郡松川町 安田繁雄 (平成20年4月16日) |
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歩兵第6連隊第11中隊慰霊碑 慰霊碑から50m先が中隊跡 (平成20年4月16日) |
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