(通称号:月7386部隊)
編成地 | 編成時期 | 終戦時の上級部隊 | 終戦時の所在地 |
姫路 | 昭和13年 | 独立混成第38旅団 | ブーゲンビル島 |
昭和13年、軍旗を拝受するや、連隊は第17師団のもとで華中に出動。
蘇州、さらに徐州地区の警備に当たった。
その後、宜昌作戦、魯南作戦などの戦闘に参加。
昭和19年7月、第17師団を離れて独立混成第38旅団に入り、タロキナ戦に参加して敢闘した。
副碑・碑文
歩兵第八十一聯隊ハ支那事変酣ノ昭和十三年第十七師団隷下ニ編制
八月軍旗ヲ遠ク長江山野ニ進メ宜昌・漢水・豫南・浙■他数多作戦悉ク捷チ馳騁千里武名華中ニ遍ク
戦雲南東太平洋ヲ蓋フヤ十八年秋敵雷撃ニ僚船轟沈ノ悲運ニ堪ヘ南溟ノ怒涛遥カニューブリテン島マーカス岬ニ奮迅御嘉賞ヲ賜フ
士気凛々祖国ノ興廃ヲ賭シテブーゲンビル島タロキナ攻防ノ死闘半ハ終戦ノ令下リ無念軍旗ヲ奉焼ス
征戦七年殉国ノ勇士五千有余敵弾ト飢餓瘴癘ニ遂ニ還ラス実ニ痛恨断腸ノ極
茲ニ我等碑ヲ刻ミ忠烈武勲ヲ千載ニ垂レテ英魂ヲ鎮メ邦家無窮ノ安寧ヲ希フヤ切ナリ
昭和五十七年五月三日
歩兵第八十一聯隊戦友会
第17師団長 | 陸軍中将 | 広野太吉(陸士18期) | |||
第17師団司令部 | 91名 | 馬・ 22頭 | 自動車8 台 | ||
第17師団歩兵団司令官 | 陸軍少将 | 鈴木春松(陸士20期) | |||
歩兵第53連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 坂本末雄(陸士26期) | 2,909名 | 馬・ 179頭 | |
歩兵第54連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 高橋政雄(陸士25期) | 2,909名 | 馬・ 179頭 | |
歩兵第81連隊 連隊長 | 歩兵大佐 | 松浦豊一(陸士24期) | 2,909名 | 馬・ 179頭 | |
第17師団捜索隊 隊長 | 騎兵中佐 | 川島吉蔵(陸士27期) | 319名 | 馬・ 185頭 | 軽装甲車5両 |
野砲兵第23連隊 連隊長 | 砲兵大佐 | 辻 演武(陸士25期) | 1,745名 | 馬・1,259頭 | |
工兵第17連隊 | 402名 | 馬・ 15頭 | 自動車2台 | ||
第17師団通信隊 隊長 | 歩兵中尉 | 鳥山 尚(陸士48期) | 178名 | 馬・ 30頭 | |
輜重兵第17連隊 | 370名 | 馬・ 113頭 | 自動車50台 | ||
第17師団衛生隊 | 376名 | 馬・ 47頭 | |||
師団第一野戦病院 | 239名 | 馬・ 87頭 | |||
師団第二野戦病院 | 246名 | 馬・ 81頭 | |||
第17師団病馬廠 | 48名 | 馬・ 11頭 | |||
師団兵器勤務隊 (昭和14年11月2日臨時動員) |
(参考:『騎兵第百十大隊史』 大隊史刊行委員会 昭和60年3月発行 非売品)
(令和2年5月9日 追記)
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