本多庸一 ほんだ・よういつ

嘉永元年12月13日(1849年1月7日)〜明治45年(1912年)3月26日


弘前藩士で廃藩置県前後に2度横浜に留学。
明治5年(1872年)改革派のJ・H・バラから洗礼を受ける。
明治7年(1874年)弘前の東奥義塾塾頭に就任し、弘前公会を設立。
一時期民権運動に従事したが、明治19年(1886年)仙台教会に牧師として赴任。
のちにメソジストの東京英和学校(のち青山学院)校長に就任。
明治40年(1907年)メソジスト三派合同を実現し、日本メソジスト教会の初代監督に就任。


本多庸一先生記念之碑


本多庸一先生記念之碑

(青森県弘前市・弘前教会)

大正3年3月26日 弘前教会建之




(平成21年11月1日)
弘前教会




弘前教会

(青森県弘前市元寺町48)




(平成21年11月1日)

「弘前教会」のあらまし

弘前教会は、明治8年(1875)10月、「弘前公会」の名で創設された東北最古のプロテスタント教会です。
同年6月、東奥義塾の英語教師ジョン・イングの感化によって14名の学生が洗礼を受けたことがきっかけとなり、塾長の本多庸一が初代牧師となって出発しました。
以来聖書を唯一の基準とする福音主義の立場に立ちつつ、メソジスト派の果敢な伝道精神を受けついで、津軽一円にキリストの愛の教えを広めて来ました。
また、弘前学院(聖愛高校)もこの教会から誕生しました。
現在の礼拝堂は明治39年(1906)に建てられたもので、弘前教会の長老桜庭駒五郎の設計、名工堀江佐吉の子斉藤伊三郎の施工によるものです。
明治の洋風ゴシック式木造建築として極めて貴重な建物です。

弘前市

(説明板より)


東奥義塾跡地


東奥義塾跡地
(青森県弘前市大字下白銀町2−1・追手門広場)

開学 明治5年11月
移転 昭和62年12月


(平成21年11月2日)



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