細井平洲 ほそい・へいしゅう

享保13年6月28日(1728年8月3日)〜享和元年6月29日(1801年8月8日)


名は徳民、字は世馨せいけい、通称は甚三郎。
尾張国知多郡の富農の子。
京都に遊学後、名古屋で折衷学の中西淡淵に学ぶ。
長崎遊学ののち、江戸で私塾・嚶鳴おうめい館を営む。
西条・米沢・人吉・郡山・延岡などの諸藩に賓師として招かれた。
特に米沢藩主・上杉治憲の教育にあたり、藩校興譲館の整備と民衆教化を行った。
安永9年(1780年)名古屋藩に仕え、藩校明倫堂督学。
藩士教育と領民教化に尽した。


明倫堂跡



明倫堂跡
(愛知県名古屋市中区丸の内2−3)





(平成20年4月16日)

明倫堂跡

明倫堂は尾張第9代藩主徳川宗睦むねちかが、藩士の子弟の教育のために建てた学問所(藩校)である。
天明3年(1783)4月、細井平洲を初代総裁に迎えて開講した。
平洲は在職9年の間、明倫堂を中心に広く各地で教えを説き、武士をはじめ農民・町民の別なく彼の講義に列することを許した。
明倫堂は明治4年(1871)廃藩置県により廃校となるまで、名古屋をはじめ尾張全域にわたって政治的にも社会的にも大きな影響を与えた。

名古屋市教育委員会

(説明板より)




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