平成23年2月7日

細川護久 ほそかわ・もりひさ

天保10年3月1日(1839年4月14日)〜明治26年(1893年)9月1日

熊本県熊本市・高橋公園でお会いしました。


肥後熊本藩の第12代藩主(最後の藩主)。
肥後細川家第14代当主。
熊本藩二代目藩知事。
進歩的な実学派を抜擢して「肥後の維新」を推進、開明的な藩政改革を行った。

(小冊子『くまもと維新の群像』・他より)






横井小楠と維新群像
(熊本県熊本市・熊本城前・高橋公園)

右端が細川護久像



(平成23年2月7日)

横井小楠をめぐる維新群像

横井小楠 諱いみなは時存ときあり 通称平四郎、幕末維新期の大思想家。
横井家は細川藩士家禄150石の家で、小楠は文化6年(1809)熊本城下の内坪井で生れた。
藩校時習館に学び居寮長に推されて数年、江戸遊学を命ぜられて天下の俊秀と交わり活眼を開く。
帰国後実学を主唱し、中級武士と惣庄屋層の支持を得る。
越前侯松平春嶽しゅんがくに聘せられて福井藩にその経綸を実現し、後春嶽の幕府総裁職就任に当ってはその顧問として幕政改革に貢献、その間に勝海舟と相識り、坂本龍馬にも影響を与えた。
文久3年帰国を命ぜられ士席を除かれて隠栖すること5年、明治元年経世の才を買われて新政府の参与に出仕、抱負の実現を図ったが、翌2年正月京の町で志半ばで凶刃に倒れた。
明治3年熊本藩は実学派の改革を実現し、藩知事細川護久もりひさ 大参事同護美もりよしの下に、藩士山田・嘉悦・内藤等及び惣庄屋層の徳富、竹崎・長野等による肥後の維新の到来を見た。

この群像は横井小楠の生誕190年、没後130年(1999年)を記念して翌2000年3月建立された

(碑文より)








第14代護久の墓
(熊本県熊本市中央区・立田自然公園)




(平成23年2月7日)

第14代護久の墓

天保10年(1839)3月1日熊本の花畑邸に生まれました。
一時喜延よしのぶと称したが明治元年に朝廷の議定職となり護久の名にもどしました。
明治3年(1870)熊本藩2代目藩知事となり、実学派の人材を登用して藩政改革を行いました。
同4年の廃藩置県、政府の指示により東京に移り住み、17年に侯爵を授けられました。
明治26年(1893)9月1日没。

(説明標柱より)






立田自然公園(泰勝寺跡)入り口
(熊本県熊本市中央区黒髪4−610)




(平成23年2月7日)

立田自然公園(泰勝寺跡)

この公園は、細川家の菩提寺として建立された泰勝寺跡です。
寛永14年(1637)細川三代藩主忠利が泰勝院(泰勝院とは初代藩主藤孝の法名)として建立。
四代藩主光尚の時、京都より大淵和尚を住職として招き泰勝寺と改めました。
ここには、細川初代藩主藤孝夫妻と二代忠興、その妻ガラシャの墓である「四つの御廟」をはじめ、藩主や住職の墓、細川家にゆかりのある宮本武蔵の供養塔などがあります。
その他、苔園、国指定天然記念物の立田山八重クチナシ、茶室「仰松軒こうしょうけん」などがあり、昭和38年(1963)には県の名勝及び史跡に指定されています。

熊本県

(説明板より)




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