平成23年2月7日

細川忠利 ほそかわ・ただとし

天正14年11月11日(1586年12月21日)〜嘉永18年3月17日(1641年4月26日)

熊本県熊本市・水前寺公園でお会いしました。


江戸初期の大名。
肥後国熊本藩初代藩主。
細川忠興の三男。
母は明智光秀の娘のガラシャ
関が原の戦に際して人質として江戸に赴き、徳川秀忠に属従する。
慶長9年(1604年)二人の兄がありながら嫡子となる。
元和6年(1620年)父の隠居で家督を相続し、豊前国小倉藩主となる。
寛永9年(1632年)熊本54万石に加増転封。
島原の乱では息子の光尚と共に3万余の軍勢を率いて活躍した。
常に適切な言行によって幕府の信頼を得て、肥後細川家の基盤を築いた。







細川忠利公之像
(熊本県熊本市・水前寺公園)





(平成23年2月7日)

細川忠利公銅像
(出水神社御鎮座百年記念建立)

細川家3代忠利公は加藤家の後をうけて寛永9年12月9日に小倉より熊本に入城された細川家初代の藩主であります。
肥前有馬の乱を平定されたほか文武両道に秀れた事蹟を残されています。
特に水前寺成趣園の創設者でもあります。
又剣聖宮本武蔵は英君の聞こえ高い忠利公の招きにより客分として熊本の地で余生を送られました。
兵法五輪の書等により肥後の武道は一層飛躍しました。

(説明板より)

出水神社神苑 水前寺成趣園

【桃山様式の優美な回遊式庭園】

東海道五十三次を模したといわれる趣ある風情。
阿蘇の伏流、清冽な湧水。
「水前寺成趣園」は、桃山様式を代表する優美な回遊式庭園です。
1636(寛永13)年、細川家三代忠利公は、この地に「国府の御茶屋」を設け、近侍の豊前羅漢寺前住、玄宅のために一寺を建立。
先の御茶屋も寺の所属としたため、一帯は「水前寺の御茶屋」と呼ばれるようになりました。
その後、三代、約80年をかけて完成し、陶淵明の詩に由来する「成趣園」と命名されました。

(リーフレット『出水神社神苑 水前寺成趣園』より)






五葉の松
(熊本県熊本市・出水神社)





(平成23年2月7日)

五葉の松

細川忠利公御愛用の盆栽の松で樹齢約400年を経過しております。

(説明板より)






出水いずみ神社
(熊本県熊本市水前寺公園8−1)





(平成23年2月7日)




出水神社
(熊本県熊本市水前寺公園8−1)

明治11年10月7日 創建
昭和43年12月7日 復興



(平成23年2月7日)

【御祭神】

(主座)
細川藤孝卿(初代)
細川忠興卿(2代)
細川忠利朝臣(3代)
細川重賢卿(8代)
(配座)
細川光尚朝臣(4代)
細川綱利朝臣(5代)
細川宣紀朝臣(6代)
細川宗孝朝臣(7代)
細川治年朝臣(9代)
細川斉茲朝臣(10代)
細川斉樹朝臣(11代)
細川斉護朝臣(12代)
細川韶邦朝臣(13代)
細川護久朝臣(14代)
細川玉(忠興室)通称ガラシャ

【祭祀沿革】

明治10年西南の役で、熊本の城下は焼野ヶ原となりました。
旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者相集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建し、細川藤孝公ほか3柱を祭鎮しました。
後に歴代の藩主10柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀されました。
たまたまさきの第二次世界大戦の戦禍を蒙った社殿は殆んど焼失し、辛うじて難を免れた御神庫と神楽殿を旧社地に移し仮社殿としてお祭りして参りましたが、昭和45年に至り御社殿の御再建の機運高まり「御復興奉賛会」を設立し工事を進め、越えて昭和48年の12月7日現在の社殿が見事に完成しました。

(リーフレット『出水神社略記』より抜粋)




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