豊平館(ほうへいかん)

(北海道札幌市中央区中島公園1−20)


豊平館 (平成22年5月26日)

国指定重要文化財 豊平館

明治文化の薫りが漂う豊平館は、明治13年に現在の中央区北1条西1丁目に北海道開拓使直属の洋風ホテルとして、開拓使工業局営繕課の直営工事によって建築されました。
明治14年8月30日から4日間、明治天皇北海道行幸の行在所にあてられ、この日をもって開館日とし、同年11月に民間人に貸付られ「ホテルと西洋料理店」が営まれることになりました。
明治44年の皇太子殿下(大正天皇)、大正11年の摂政宮殿下(昭和天皇)の行啓の宿泊所ともなった豊平館は、明治43年に宮内省から札幌区が貸下げを受け、公会堂としての公共的機能を持つようになり、大正11年には札幌市の所有になります。
そして、昭和2年には新公会堂があ豊平館の後方に接続して完成し、文化活動の拠点になりました。
昭和33年には市民会館建設のため、現在地の中島公園に移築され、市営総合結婚式場として新しい人生の門出を祝う施設となりました。
昭和39年、国の重要文化財に指定され、その後、老朽化と移築などで創建時の姿が損なわれたこともあり、昭和57年から5年計画で、修復事業に着手し、同61年に展示などの館内整備も併せて完成しました。
この修復された豊平館の見どころのひとつは、白い外壁を縁どるウルトラマリン・ブルーで、創建当初の状態に復元したものです。

(Ultramarine blue、昔は宝石として尊ばれたラビスラズリ(瑠璃)から造られていた高貴な色です)

(リーフレットより)

豊平館 豊平館
ロビー




ロビー






(平成22年5月26日)

ロビィ廻り

ロビィに入ると正面に扉口があります。
創建当初の平面図には、ここから渡り廊下で、厨房・浴室・便所のある附属棟へとつづいていました。
昭和2年、公会堂新築に伴い附属棟を撤去したことにより改修され、また昭和33年結婚式場としての活用から休憩室を増設するなど大きく改変されておりました。
本修復事業では、ロビィ廻りを重点復原部分に設定し、後補である休憩所を撤去するとともに、背面出入口を復原しました。
(当初の渡り廊下、附属棟は復元しない)
また、天井には荷揚口があり、その位置、仕様等が調査により判明したため、合わせて復元しました。
次に、ロビィの前後にふたつの階段があります。
一つは2階広間へ通ずる階段、他方は2階小部屋へ通ずる階段です。
この洋式階段は上下が直角に向きを替える屈折階段で、その意匠、技法はもちろん高度の技術を要し、当時の大工技術の優秀さがうかがわれます。
また階段の細みの幅のじゅうたん敷は当初の姿です。

(説明板より)

階内 館内
広間




広間






(平成22年5月26日)

廣間(ひろま)

豊平館のメインルームで、前室を含め約172uあります。
舞踏室として使う計画が当初あったため、床構造は堅牢で特殊な作りになっていました。
シャンデリアは25灯付きが二基あり、一方の釣り元の中心飾り(メダイオン)には紅葉、もう一方には大菊があしらわれています。
1881(明治14)年の明治天皇行幸の時には、道民の代表者とお会いになる「謁見所えっけんじょ」として使われました。

(説明板より)

扁額




扁額






(平成22年5月26日)

扁額へんがく「豊平館」

設計当初の図面には「洋造旅館」としか記載がありませんでしたが、工事中に時の開拓長官黒田清隆が、北の都札幌が豊かに平和に発展することを願って「豊平館」と命名したと言われています。
上の扁額は当時の太政大臣三条実美さねとみの肉筆による揮毫きごうですが、書かれた時期については、不明です。

(説明板より)

マントルピース




マントルピース






(平成22年5月26日)

暖炉の前飾(マントルピース)

豊平館の暖炉の前飾は、修理前、2階廣間前室東西北寄りの壁付に1基だけ残っていました。
この暖炉は、昭和33年の移築時に作られたものです。
移築前の暖炉は、1階に3基、2階に3基の計6基ありましたが、移築にあたり、そのなかから破損の少ないものを選び、異なる意匠で1基作り替えたものでありました。
創建時の暖炉の仕様は、火床外側及び袴石の材質が札幌郊外の硬石山で採れる札幌硬石(安山岩系)であり、焚口金物は鉄鋳物でありました。
また、暖炉の焚口周囲は、大理石模様の漆喰彫刻でできており、その天板(mantel shelf)のみが本物の大理石でつくられていました。
調査の結果、当初の位置・規模・意匠・仕様等が詳しくわかったことにより、6基の全てを忠実に復原しました。
特に、漆喰細工については、彫刻・蛇腹・ねずみ漆喰大理石模様・磨きなど左官技術の粋が凝らしてあるところであり、修復にあたっては、資料として遣っていた漆喰細工柄振板えぶりいたを参考に何度となくこの模型を作ったり、実験を繰り返し、当初品にかなり近いものが出来る自信をつけてから、実際の施工にあたりました。
また、2階廣間西の2基の暖炉には、シャンデリァを写し出す大鏡があったことも資料により確認できたことから、これを新規に復原しました。

(説明板より)

シャンデリア




シャンデリア






(平成22年5月26日)

中心飾り

17基(内1基は明治44年に補加)あるシャンデリァの上部にある天井中心飾は、1階ロビィの「波に千鳥」下の廣間・曾喰所の「蝦夷菊・牡丹」2階ホールの「鳳凰」廣間の「紅葉と大菊」のほか、各室名ごとの意匠の違ったレリーフをもちいています。
この漆喰彫刻は写実的であるとともに、洗練された気品ある佳作です。
2基の失われた中心飾を復原し、他の創建時からの中心飾りは長い間に16層にもわたってペンキで化粧されていたものを剥がして当初の肌を出し、花鳥などに施されていた朱彩色を発見して復原しました。

シャンデリァ

豊平館のシャンデリァは、当初、ガス灯を導入し、ローソク灯として用いていました。
砲金を材料とする鋳物を主とした製品で、精密な彫刻が施され表面全体に漆を塗るなど日本の伝統的な技術を用いており、工部省赤羽工作分局が製作した国産品です。
しかし、時代とともに取替えられてしまったものもあり、今回の修復ではそれらの補灯具も再用し、明治から昭和に至る灯具の歴史を語るものとなっています。

(説明板より)

椅子




明治44年皇太子殿下(大正天皇)が行啓時にお座りになられた椅子
(説明板より)





(平成22年5月26日)
明治天皇が使用した品々





明治天皇が使用した品々





(平成22年5月26日)

行幸啓

豊平館は、明治・大正・昭和の3代の天皇が行幸啓に際し宿泊された、由緒ある建物です。
明治14年8月、北海道開拓の状況を視察のため、小樽港に上陸された明治天皇は、機関車・義経号のひく開拓使号をお召し列車として、札幌においでになり、以後4日間、豊平館を行在所として市内および近郊の開拓状況を視察されました。
明治44年8月、皇太子殿下(大正天皇)の行啓に際しても、豊平館を宿泊所としました。
6日間にわたり札幌近郊を視察された殿下は、産業奨励のため数多くの産物をお買い上げになりました。
大正11年7月、摂政宮殿下(昭和天皇)の行啓時の際、外遊された経験をお持ちの殿下は、軍服以外にも、モーニングや背広など軽装もお召しになり、市民に親しい印象をあたえられました。
また市民も、旗・提灯行列でお迎えし、豊平館正面のバルコニーから、殿下がこの歓迎にお応えになられました。
昭和15年、札幌市は豊平館内に「聖徳記念館」を設置し、3代にわたる行幸啓にかかわる品々を展示し、市民に開放しました。
ここに展示した品は、明治天皇(明治14年)行幸時に使用された、ゆかりの遺品です。

(説明板より)

芍薬の間






芍薬の間








(平成22年5月26日)
紫の間






紫の間








(平成22年5月26日)

芍薬しゃくやくの間・紫むらさきの間

芍薬の間は、1881(明治14)年の明治天皇行幸ぎょうこう時に、侍従長などの部屋として使われ、部屋の奥には御道具置所がありました。
照明は5灯付きのシャンデリアで釣り元の中心飾り(メダイオン)には芍薬の模様が施され、芍薬の間と呼ばれています。
また、紫の間は、シャンデリアの釣り元の中心飾り(メダイオン)には、紫草の模様が施されていることからこのように呼ばれていますが、創建時には、侍従が天皇への供進を行うための部屋として使われました。

(説明板より)

梅の間




梅の間





(平成22年5月26日)
寝室




寝室






(平成22年5月26日)

梅の間

明治・大正・昭和天皇(大正、昭和天皇は皇太子時代)の三代に渡って御座所ござしょとなった部屋です。
5灯付きのシャンデリアが取り付けられ、釣り元の中心飾り(メダイオン)には梅の模様が施されていることから、梅の間と呼ばれています。
右手の部屋は寝室で寝台・洋服箪笥たんす・洗面台が備え付けられています。
なお、各部屋の壁は漆喰大壁しっくいおおかべで、木部は春慶塗しゅんけいぬりの仕上げになっていました。

(説明板より)

壁構造

豊平館の壁構造は、外側が下見板張り、室内側がブラスター塗りとなっていますが、解体調査の結果、当初はその間に土壁(真壁)があり、室内側の漆喰壁(大壁)と二重壁構造になっていたことが確認できました。
この本格的な土壁は、さらに柱との間に乾燥透き間ができぬよう、ちり漆喰を施しています。
室内側の漆喰壁の仕様は、幅6センチ、厚1.5センチの木摺を1センチ前後の隙間をあけて斜め釘打ちとし、その塗り工程は、生漆喰による下塗り・斑直し・鹿子摺・中塗を重ね、最後に上塗とする5層からできています。
今回の修復では1階ロビィの一部分及び梅ノ間の壁について、この仕様にもとづき完全復原したものです。

木部の春慶塗り

創建当初の木部塗装は、透き漆で仕上げ、木地の木目が見える、いわゆる春慶塗りであったことが確認されており、後世に伝える貴重な資料としてこの室のみ新規復原しました。

家具

当梅の間に展示している家具は、明治初期の洋風ホテルの客室・寝室を再現したものです。
創建時の家具は残っておらず、わずかに明治44年、皇太子行啓の際に使用された椅子1脚のみ残っています。
家具の調査の過程で、豊平館建設中に開拓使本庁の役人と在京の書記官との間で取り交わされた書簡(明治13年、開拓使文移録)から家具の種類及び数が判明し、また、明治10年、開拓使工業局が第1回内国勧業博覧会に出品し褒賞を受けた木製家具の図(円形テーブル、折畳椅子、花台等)が発見され、これらを復原するとともに、その他の家具(洋服箪笥、洗面台等)については図がないため不明ですが、基本的にこれに合せ、かあつ明治初期の一般的な形もデザインし、再現しました。

(説明板より)

館内 館内
館内



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