1.台南へ行く

(飛虎将軍廟・南台南駅跡・台南偕行社跡)


平成25年(2013年)3月1日・第1日目

今回のツアー・・・7時40分に成田空港集合・・・である。
ということで、昨晩は、いつものように京成成田駅前のホテルに宿泊。
奇跡的に(笑)早起きして・・・7時前にはチェックアウトして、タクシーで空港へ向かう。

今回のツアーは昨年開催された台湾の日本統治時代の文化遺産を巡る旅の第2弾である。
空港で旅行保険の手続きをして、余裕を持って集合場所に着いたが、添乗員さんは来ていない。
多分、高齢者の参加者が多いだろうから、高齢者は早めに集合しているだろうと思っていたのだが・・・
あれれ?・・・である。(笑)
高齢者のご夫妻がおられたのだが、我がツアーの方かどうかわからないので声をかけるのはやめた。
その他にも、中年の女性陣が集まっていたが、まさかこのマニアックなツアーに女性がたくさん参加するはずはないと思い無視した。(笑)
そのうち、前回のツアーでご一緒させていただいた“ヨコヤマさん”や“ツヅキさん”がやって来た。(喜)
一度でも会った事がある方と再会出来るのはなんとも嬉しい。
集合時間5分前になって、添乗員が到着・・・(唖然)
人員点呼を取ったら、先ほどの高齢者のご夫妻も、中年のオバチャンたちのグループも、みんな我がツアーの参加者だった。(大笑)

今回のツアーは総勢24名・・・現地で2名が合流するので、成田からの出発は22名だそうである。
いやぁ~何でしょう・・・これ・・・
前回は、10名そこそこだったと思うが・・・こんなに大勢の参加者とは・・・

添乗員も一人では人員を把握しきれないとのことで、3つの班に分け、それぞれの班長が人員を掌握することとなった。
私は「常連さんグループ」10名に加わる。
他の2つは、どちらも、いわゆる「保守派」呼ばれる方々がグループで参加しているようなので、それぞれのグループのリーダーが班長となり自分のメンバーの把握をすることになったようである。
「保守派」ねぇ~・・・・(苦笑)
“オバチャン”のグループも、「保守派」の女性の会の方々らしい。(汗)

このツアーで私は2番目に若い参加者だそうだ。
52歳が2番目に若いんだから・・・ちょっと怖ろしいツアーである。(笑)
このくらいの人数のツアーには、必ず一人、おしゃべりばかりしていて周囲に気を配らないという人がいるものである。
不思議なことに一人は必ずいる。
我がツアーにも・・・やっぱり、「いらっしゃった」・・・おしゃべりばかりしているオバチャン・・・
添乗員の説明も、案内も、注意事項も聞いていない・・・
自分のおしゃべりで一生懸命である。
要注意だが・・・私の班ではないので・・・余計なおせっかいはしないこととする。(笑)

9時40分発、台北(桃園空港)行きの中華航空に搭乗する。
早くも、オバチャンから席を交換して欲しいと言われる。
友達と並んで座りたいのだそうだ・・・(笑)
「はい、はい、どうぞどうぞ・・・」
どうせ読書をするか、映画を見ながら乗っているだけですから、どこに座ろうと同じことです。(大笑)

機内食

現地時間、午後1時頃に桃園空港に到着!

ターミナルから移動するのは、やたら音のうるさいモノレール(?)
シャトルって言うのかね?・・・これ・・・
これに乗って別のターミナルに移動して、入国審査を受ける。

空港に迎えに出てくれた現地旅行社のガイドは“チョウさん”。
昨年のツアーの時に初めてお会いしたガイドさんである。
1年ぶりの再会!
いやぁ~懐かしい・・・(喜)
この“チョウさん”・・・実は、今は亡き私の伯父にソックリなのである。(笑)
年齢は、伯父より一回りも若いが、若い時の伯父にソックリなのである。
このことは、本人には教えてはいないが・・・(笑)
今回のツアーも、もしかして“チョウさん”がガイドとしてついてくれるかなと思い楽しみにしていたら、彼が付いてくれた。
久しぶりに伯父に会えたようで何とも嬉しい!

空港からバスで鉄道駅へ行き、新幹線に乗って台南へ向かう。

通称、「台湾新幹線」・・・・
正式名称は「台湾高速鉄道」「THSR(タイワン・ハイスピード・レール)」というらしい。
この台湾高速鉄道の「高鐵桃園站(高鉄桃園駅)」から新幹線に乗る。

高鉄桃園駅

地下の4番ホーム・・・
新幹線が入って来た!
これは日本の新幹線の車両を改造したものらしい。
車両は日本の技術で、その他のシステム等はヨーロッパのものが導入されているらしい。
日欧合作の新幹線である。

午後2時20分頃発車らしい。
車内は、日本と変わらないような気がする。
一列が、2席と3席で構成されている。
乗り心地は悪くはない。(笑)

私が座ったの席の表示・・・・
私は3人がけの真ん中の席・・・
中国語表記も「中間」・・・である。
通路側は「走道」だそうだ・・・・
読めないのが窓側・・・(笑)
見たことのない漢字である。(笑)

私の座った3人がけの両隣は、“コウノさん”と添乗員の“アサダさん”・・・
“コウノさん”とは初対面なので、自己紹介がてら、おしゃべり・・・
私の戦友会や慰霊巡拝、戦跡訪問などの活動などについてお話をしていたら、なんと!
“コウノさん”は、昨年、済州島のツアーの時に案内役をしてくださった写真家の“ヤスジマさん”の後援会会長だそうだ!
いやぁ~・・・人とは話してみないとわからんものである。(驚)
こういう出会いというのは、偶然ではなく必然なんだろうなぁ~

おしゃべりをしていると時間が経つのは、あっという間である・・・
約1時間20分程度で台南駅に到着!
時刻は午後3時45分頃である。

高架のホームから外を見てみたら・・・・何もない!(驚)
ウッ・・・台南って、どんな所なのだろう・・・・(大汗)

昔、台北からプロペラ機に乗って台中に一人で行った事がある。
国内線は英語が通じず・・・
アナウンスも中国語のため、何を言っているのかわからず、わけもわからぬまま心細い思いをして台中に行った。
着陸したら、原っぱのような飛行場・・・
空港のターミナルは掘っ立て小屋に毛が生えた程度のもので驚いた。
この景色を見て、あの時の台中飛行場を思い出した。(苦笑)
それにしても、同じくらいの時間で、今では台南まで新幹線で行けるとは便利になったものである!
いやぁ~新幹線は、凄い!(大笑)

高鉄台南駅の構内
どうも台湾では3月9日から18日まで「台湾国際蘭展」というのが開催されるらしい。
その看板だろう・・・綺麗な蘭の花で飾ってある。
『高鐵親子閲讀趣 還書箱』

高速鉄道に乗って、親子で本を読むという趣味の人へ・・・という意味か?(笑)
「還書箱」・・・
これは本を返す箱・・・という意味だろうか?

高速鉄道では、車内で親子で読むための本を貸し出しているのだろうか?
図書館みたいなことをやっているのだろうか?
面白い・・・
『滅火器』

一目見て、すぐわかる・・・
日本と同じである・・・「消火器」だよね・・・・
と・・・よく見てみたら「滅火器」と書いてある。

日本では「火を消す」のであるが、台湾では「火を滅する」のか?
火を殲滅するってこと?(笑)
かなり過激な・・・という気もするが・・・
こういうところが、日本人と中国人の違いかな?
高速鉄道・台南駅 我々のツアーバス

このバスで、まず、最初の訪問地・・・『飛虎将軍廟』へ向かう。

ここは以前から訪問したかった場所である。
「飛虎」とは戦闘機のことで、「将軍」とは神として祀られる勇士の尊称なのだそうだ。
で・・・この「将軍」とは誰かと言うと、日本海軍の軍人、零戦搭乗員の杉浦茂峰兵曹長(戦死後、少尉に昇進)だという。
つまり、日本の軍人が台湾で神として祀られているのである。

昭和19年10月12日・・・・
早朝に米軍機が台南地区を空襲。
迎撃に零戦が上ったが、撃墜された零戦が、この村に墜落しそうになったらしい。
地上の村人が犠牲になることを避けるためにパイロットは脱出せず、そのまま村を避けるように飛び、空中で爆発・・・・
搭乗員は、地上に落下して戦死した。
それが杉浦兵曹長だという。
戦後、まもなく、墜落現場に白い服を着た亡霊がいるのを見た村人や、夢に出てきたという村人が現れた。
それは多分、村を守るため自己を犠牲にして戦死した杉浦少尉だろうということで、村人が彼を祀ることにしたらしい。
それが現在の『飛虎将軍廟』であり、杉浦少尉の墜落現場に建てられたらしい。

飛虎将軍廟 (鎮安堂「飛虎将軍」)

鎮安堂「飛虎将軍」・台湾で神と祭られた日本軍人
台南市の北西5キロの郊外に、今も日本からの参拝者が絶えない「鎮安堂・飛虎将軍」がある。
祭られているのは、太平洋戦争中台南上空の空中戦で、壮烈な戦死を遂げた大日本帝国海軍航空隊少尉「杉浦茂峰」(当時兵曹長)である。
なぜ日本軍人が神として祭られ、「飛虎将軍」と尊称されているのか。
その「秘話」は・・・・

話は1944年10月12日に遡る。
太平洋戦争も末期に近く、アメリカ軍は、フィリピン攻略作戦の前哨戦として、台湾各地に空襲を行った。
その日の午前7時19分アメリカ軍が台南来襲、日本の「零戦」はこれを迎撃、20分には戦闘開始。
日軍は勇戦に努めたが、数に勝るアメリカ機群に衆寡敵せず、一機又一機と撃墜されていった。
中には体当たりを敢行したのもあった。
この空中戦を目撃した者の話に依れば、一機の零戦も敢闘よく敵を制したが、いつの間にか無念にも敵弾を受けて尾翼より発火し、爆発が寸時に迫る危機に瀕した。
飛行士は部落に目がけて急降下の最中、何気なく地上をみたら、何と下は「海尾寮」という大部落。
ハッと身も凍る思いに襲われた。

今飛び降りたら自分は助かるかもしれない。
けども、何百戸という家屋は焼かれるだろう
竹や木と土で造られた家屋は、一旦火が着くとすぐに焼かれるだろう。

こう判断した飛行士は、すぐ機首を揚げて、上昇の姿勢に移った。
上昇すると、部落の東側(同安路一帯、当時は畑と養殖池)に向かって飛び去った。
戦闘機は空中で爆発したが、飛行士は落下傘で脱出した。
しかし、不幸にもグラマンの機銃掃射を浴び、落下傘は破れ、飛行士は高空から早いスピードで地面に叩き落ち、仰向けの状態で畑の中(飛虎将軍廟附近)に落ちて戦死した。
軍靴には「杉浦」と書かれていた。
其の後、元第201海軍航空隊分隊長・森山敏夫大尉の協力に依り、「杉浦茂峰」と判明した。

終戦(1945年)後何年か経ち、部落の人が白い帽子を被り、白い服を着た人物が常に養殖池附近を徘徊するのを目撃した。
最初は闇夜に紛れ、魚を盗みに来た者と思い、追いかけていくが姿を消し、これは尋常な事ではないと気付いた。
その後、この怪奇現象を見た者が増え、ある者は、夢に出てきたと話し、この様な話が至る所で起こり、人々は恐怖に慄いた。
海尾朝皇宮の神「保生大帝」にお尋ねしたら、戦時中の戦死者の亡霊だと言うことであった。

その後、部落の人たちは、この亡霊は戦時中部落を戦火から救う為に、自分の身命を犠牲にした飛行士ではないかと判断し、部落の恩人に感謝の念を捧げる方式を討論し、台湾人が謝恩の最高な表現で、つまり祠を建てて、永久に海軍航空隊杉浦茂峰少尉の恩を顕彰することに決定した。
1971年、祠が建設された。

祠は小さい乍らも(敷地は4坪程)部落の人々の尊崇を集め、毎日遠近から参拝者が多く、特に日本からの参詣者も年中絶えない。

1993年、朝皇宮管理委員会の提案で、4坪の小さい祠を再建する事になる。
多くの信者の協力によって再建された廟は敷地50坪、台湾風のきらびやかな造り、朱色の屋根瓦、それを支える柱は大理石の豪華な物。
大理石の壁には、有名な歴史物語の絵が彫られている。
床もイタリヤ産の大理石。
これらすべては、信者の奉献でした。
大理石の柱には詩が刻まれ、その中の「正義」「護国」「英雄」「忠義」「大義」は、全て「飛虎将軍」に対する崇敬と壮烈な戦死を讃えている。

廟の正面には「鎮安堂・飛虎将軍」と書かれた額が掲げられてある。
「鎮安」とは、邪気を鎮め民を安心させるの意味で、「飛虎」は戦闘機の意味、「将軍」は神として祭られる勇士の尊称である。
正殿には本尊「杉浦茂峰」の神像、両側には分身二体が奉安されているが、これは無名の像ではなく、信者に請われば、本尊の代理として、短期間その家に迎奉され、お出ましになる。
廟守は朝夕二回、煙草を三本点火して神像に捧げ、朝は日本国家「君が代」、午後は軍歌「海ゆかば」を流す。
供卓の両側には中華民国と日本の国旗が立ててある。

本廟が朝皇宮保生大帝(海尾部落の守り神)に同属した後、管理委員会は廟の管理、及び台日交流、日本学術文化各界と台湾の橋渡しに貢献している。

鎮安堂・飛虎将軍年中行事
1、生誕記念日:陰暦10月16日
2、五営慰労日:陰暦6月20日(賞兵の日)
3、お盆:陰暦7月15日
4、五営慰労日:陰暦12月20日(賞兵の日)
(『鎮安堂・飛虎将軍』 日本語リーフレットより)

鎮安堂・初建時的風貌
(民国60年)1971年
新聞記事
 杉浦茂峰・遺影

この杉浦という零戦搭乗員は茨城県水戸市出身の方である。
しかも、確か、実のお姉さんは私の住む町に住んでいたと思う。
(もうお亡くなりになっているかもしれないが・・・)
ということで、私としては、是非、お参りをせねばと以前から思っていたのである。
願いが叶って大感激である!

飛虎将軍

廟の中には、ご本尊が3体ある。
一説には、この同じ日に戦死した他の2名も合祀されて3体のご本尊があるのだともいうが・・・
ここの“解説員”の話では、中央の1体がご本尊の杉浦少尉で、両脇の2体はその分身なのだそうである。
村人が請えば、この分身がそのお宅にお邪魔するのだそうである。

次に向かったのは・・・『南台南駅跡』(南台南車站)・・・・
この駅は、戦時中は台南飛行場への物資運搬用の駅だったらしい。
が・・・今は何もない・・・

南台南駅跡

向こうに見える茂みあたりが駅の跡ではないかと思うが、現地ガイドは、そこまでは案内してくれる様子はない。
あのあたりに駅舎の土台跡とか何か“遺跡”が残っていないかなぁ~
個人旅行なら一人であそこまで行くのだが・・・ツアーでは諦めるしかない。(涙)
遠くから空き地の写真をパチリ・・・
あとは見るものがない・・・(笑)

台南の町の中

時刻は午後6時・・・かなり暗くなり始めた・・・
次に向かったのは『偕行社跡』・・・・
「偕行社」は、陸軍将校の親睦・互助団体で、学術研究などもやっていた組織である。
「偕行社」は、終戦時に解散したが、戦後、「偕行会」として復活し、その後は「財団法人・偕行社」、現在は「公益法人・偕行社」と名称を変えて存続している。
現在では旧陸軍将校も減り、遺族や家族会員だけでは伝統の継承が難しくなったためではないかと思うが、陸上自衛隊の幹部自衛官OBが多数入会して、将来の組織の維持を図っているようである。
現在の会員数は、約1万人ぐらいいるらしく・・・ちなみに、私もその1万人の中の一人である。(笑)

日本全国に、「偕行社」があったが、ここ台湾にも置かれていたようで、今から訪問するのは『台南偕行社』である。
が・・・完全に日が落ちてしまった・・・
写真を撮るには最悪である。(涙)

行って見たら・・・『台南偕行社』の建物は、他の建物の間に挟まれて、少し奥にあった。
意外にも、予想に反して小さな建物・・・
で・・・どう見ても“廃屋”状態となっていた。(汗)
この建物は、一応、文化財として登録されているそうなのだが・・・
今は何にも使われずに、“放置”されているように見える。

台南偕行社跡
歩道にマンホールかと思ったら、「偕行社」が文化財であることを示すマークがはめ込まれていた。(笑)

今日の歴史探訪は、ここまで・・・
日が暮れてしまったが、何とか今日の予定は全てこなせて良かった。
在来線の台南駅前のホテルにチェックインをして、ホテル内のレストランで夕食会。
その後は自由・・・
とは言うものの、夜の街を探検に行く気力はない。(大笑)
というわけで・・・暇なのでマッサージを呼んでみることにした。(笑)
幸いにもフロントに片言の日本語が話せる女の子がいたので頼んでみたところ、「目の不自由な人ですがいいですか?」と言う。
「全然問題ないよ~」と答えて、部屋でマッサージさんが来るのを待つ。

まもなく白い杖をついた若い女の子のマッサージさんがやって来た!
が・・・ドアを開けるなり、いきなり中国語で何かを言われたが私にはさっぱりわからん・・・・(大汗)
とにかく、手を取って部屋に入れ、ベッドの角を触らせ、「ここがベッドです!」と教える。
で・・・え~と・・・どうすりゃいいんだ?(大汗)
ここで気がついた・・・
私は中国語も台湾語も話せない。
というわけで、口頭での意思の疎通は無理・・・
じゃぁ、英語はどうかと言うと、これは彼女のほうがわからないらしい・・・
こうなると、普通は筆談ということになるのだが、相手は目が見えないから筆談は無理・・・
じゃぁ、ジェスチャーでとなるのだが・・・
あっ・・・相手は目が見えないから私のジェスチャーは・・・見えない・・・よね・・・(大汗)
しまった!
ここにきて、ようやく事の重大さに気がついた!
意思の疎通が・・・できない!(大涙)
道理でフロントの女の子が「大丈夫ですか?」と確認したわけだ・・・
あ~あ~やっちゃった・・・(大笑)

とりあえず、うつ伏せかな?(笑)
勝手にうつぶせになる・・・
彼女は私の肩を触り、中国語で何かをいいながら、「うん、うん」と納得したような声だったので正解のようである。
私を揉みながら彼女は中国語で話をしてくるのだが・・・
俺は中国語はわからないんだってば・・・・(涙)
と・・・英語で答える。
彼女は英語がよくわからないようだから、何も英語じゃなくて日本語で言っても同じなんだよなぁ~(大笑)
どうして無理して英語でしゃべっちゃうんだろう・・・(大笑)

しばらくして、肩を叩かれ、中国語で何か言われた・・・
多分、今度は仰向けかな?
勝手に判断して仰向けに寝る。
と・・・私の体を触って彼女が叫び声に近い声を上げ、中国語でまくしたてた!
「ギャー!」みたいな・・・
私もこれには驚いた!(大汗)
間違えたか!・・・もしかして横向き?

オ~オ~・・・そのようである。
再び肩を叩かれたので、今度は反対向きになれということだろう。
オ~オ~段々要領が飲み込めてきたぞ!(喜)
で・・・まもなくして再び肩を叩かれた・・・
え?・・・今度はどうしたらいいんだ?(大汗)
と・・・彼女が私の肩のところに名刺を差し出したのである!
で・・・相変わらず、中国語で話しかけてくる。
う~ん・・・「また呼んでくださいね」・・・ということなのだろう・・・(笑)
が・・・
私は中国語が話せないから電話なんかできないんですけど・・・
だいたい、名刺をもらっても、貴方の名前の読み方を知らないんですけど・・・(大笑)
これじゃ、指名なんかできるわけないし・・・
だいたい、台南に泊まるのは今晩一泊だけなんですけど・・・
と・・・伝えたいが・・・無理・・・(大笑)

最後には、何となく言葉の意味がわからなくとも、声の調子でお互いに意思の疎通が図れたような気がしないでもない。(大笑)
「おお!」
「オッ?」
「お~お~!」
「おおぉっ!」
「ほっ?」
「ほぉ~」
「へ?」
「おう、おう・・・」
もう、こうなったら“言葉”ではない・・・
人間同士じゃなくて、何か得体の知れない動物同士が唸り声を発している感じである。(大笑)
私は類人猿か?(大笑)
それでも何とかなるもんだね・・・
この調子なら、宇宙人ともコミュニケーションが取れるかも・・・・(大笑)

意外にも貴重な、楽しい経験をさせてもらった。(大笑)



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