5.澎湖島の史跡巡り(2)

(旧馬公警察署・旧澎湖郵便局・旧澎湖病院・旧澎湖貴賓館)


平成25年(2013年)3月3日・第3日目

続いて向かったのは・・・・『澎湖警察文物館』・・・
あれ?昨晩宿泊したホテルの近くである。(苦笑)
行ったり来たり?

澎湖警察文物館
(旧・馬公警察署)

この建物は日本統治時代は『馬公警察署』だった建物らしい。
明治28年に、この地に水上警察所が設置され、昭和3年に、この建物が建てられたそうである。
現在は『文物館』というのだから、資料館か何かになっているのだろう。
内部の見学は無し・・・・(涙)
博物館や記念館、資料館が大好きな私としては残念である。
どんなものが展示されているのか見てみたいんだけど・・・
外観の見学のみで、次に向かう・・・

次は、この『旧・馬公警察署』の斜向かい・・・
直ぐ目の前・・・(笑)

旧・澎湖郵便局

澎湖縣歴史建築
登録日期:中華民國九十二年十二月十一日

この建物は『電報電話局』・・・
日本統治時代は『澎湖郵便局』だった建物である。
大正13年に建てられたそうである。
なかなか面白い形をしている。
今は使われていないのだろうか?・・・閉まっていた・・・
内部がどうなっているか・・・興味が湧くところなのだが・・・・

こういう特徴のある建物って見ていて楽しい。
どうして現在の建築物は、こういうふうに洒落ていないのかね?
遊び心がないというか・・・
みんな同じような形で、下手すりゃ真四角な建物に大きなサッシ窓だけ・・・
何の特徴もない・・・
あ~面白くねぇ~
これは・・・建築デザイナーの質が悪いのか?(笑)
それとも建築士のレベルが低いのか?(汗)
それとも・・・施主さんがケチなのか・・・(大笑)
とにかく、現代建築は・・・面白くない!

こういう面白いデザインの建物・・・いいなぁ~
よくぞ保存してくれた・・・と台湾に感謝、感謝である。

昨晩宿泊したホテルの前を通過して、商店街を歩く。
次に向かったのは・・・病院。

行政院衛生署澎湖醫院
(旧・澎湖病院)

この病院・・・
現在は『行政院衛生署澎湖医院』という名の病院で、日本統治時代も病院だった。(多分『澎湖病院』と呼ばれていたのではないかと思う)
後藤新平が設立した病院だそうだ。
で・・・この日本統治時代の建物の裏手に、近代的な大きな病院の建物がある。
こういう歴史的建造物を残しておいてくれているのは嬉しい限りである。
日本なら、取り壊して・・・その上に・・・となってしまうだろう。
内部は、どうなっているんだろう・・・とついつい思ってしまうのだが、ここも外観だけの見学で終わる。

澎湖病院敷地内の『大病院園区』・・・多分、公園という意味だろう。
後ろに近代化された現在の『澎湖病院』が見える。
この公園に防空壕が残っていた。
防空壕

形からして、日本統治時代のものとは思えない。
多分、中国共産党との戦闘に備えて戦後に作られたものではないかと思う。
参加者の皆さんは気持ち悪がって内部を覗きに行かなかったが・・・
以前、ラバウルやニューギニアで“無謀な”地下要塞探検をした私としては、この程度なら・・・と内部に入ってみる。

防空壕の内部

今回はペンライトも懐中電灯も持参してこなかったので、内部は真っ暗!
何があるか・・・何が出るか・・・全くわからない。(大汗)
ちなみに、私は「お化け屋敷」というのは大嫌いである。(腰が抜ける・・)(笑)
にもかかわらず・・・なぜか、こういう遺跡は好きなのである。
ちょっと、どこか頭がおかしいのかもしれない。(大笑)
カメラのストロボが光って、初めて内部の様子がわかった。
おっ!やっぱり、戦後に造られた感じである。

昨晩一人で歩いた商店街

この後、ホテルの近くに停めているバスに戻るが・・・・
一部の女性参加者がお土産か何かを買いに行きたいと言うので、出発時間が変更となる。
オバタリアンはマイペースである・・・(大笑)
私と一部の参加者は、サッサと商店街を通り抜けバスに戻る。

集合場所は、私が昨晩コーヒーを買ったお店の向かい側・・・
と・・・お店でコーヒーを買っているらしい参加者が見えた。
もしかして、注文で苦労をしているのではあるまいかと、おせっかいなことに“助け”に向かう。(笑)
声をかけたら・・・(この方は後に“ヤマサキさん”ということを知ったのだが・・・)無事に注文を済ませていたらしい。
う~ん・・・高齢者・・・恐るべし!(笑)
私が苦労したコーヒーの注文をたやすくこなしたようである!(唖然)

「大丈夫ですか?無事に頼めました?」
「あ~・・・頼めたような気がする」
「何を頼んだんですか?」
「う~ん・・・何だか良くわからんが・・・コーヒーだろ?」
「はぁ?・・・」
本人が何を注文したか判らないというのは、どういうことだろう?(唖然)
適当に、ウン、ウンって頷いたら注文できちゃった・・・っていう様子である。(苦笑)

で・・・出てきたコーヒーにはストローが挿してある。
「アイスコーヒーですかぁ~」
「いや、こんなに寒いのにアイスコーヒーは飲めないよぉ~」
「え?じゃ、ホットコーヒー?」
「多分、そうだと思うよ」
「多分?」
う~ん・・・わからん・・・このストロー・・・(大笑)

で・・・“お会計”・・・・
これが全く通じない・・・(大笑)
「ねぇ、いくら払えばいいのかね?」と私に聞いてくる始末・・・
「もし、コーヒーなら・・・」と昨晩の経験から料金を教えてあげる。

で・・・お年寄り特有の行動・・・
何だかわからないから、有り金全部をカウンターに出すという行動・・・(大笑)

とにかく、無事に購入できたので、店の前のテーブルに座ってコーヒーを飲むこととなった。
私はコーヒー大好きなのだが、今朝はまだ飲んでいない・・・
私も買おうかなと思ったが、まもなく集合時間である。
時間に追われてコーヒーを飲むというのは好きじゃない。
コーヒーはゆっくりと落ち着いて飲みたい性分なので、時間の関係で我慢し、この方に付き合ってタバコを吹かす。

と・・・問題は、このストローである!(笑)
ストローでホットコーヒーを飲むというのは止めたほうがいいと忠告したのだが・・・
「大丈夫!」と一気にストローを使って啜ったから堪らない!
「アチチッ!」と言いながらコーヒーが口から零れる。(笑)
「だから、ストローはやめたほうがいいですよ。やけどしますよ」と言っても聞かない。(大汗)
また、ストローで啜って・・・
「アチッ!アチッ!アジィ~!」と大騒ぎ・・・・(大笑)

さすがに見かねたのだろう・・・
別のテーブルに座っていた現地の中年男性が、カウンターの女の子に中国語で何か言ってくれた。
女の子が、「あらぁ!いやだぁ~!」と言わんばかりの笑顔で、コーヒーをこっちに持ってくるよう手招きをした。
で・・・コーヒーのカップの蓋を交換してくれたのである。
おお、この蓋じゃないとねぇ~(笑)
それにしても、どうしてホットコーヒーにストローなんか挿したんだ?
そもそも、それがおかしいのである。(汗)

「いやぁ~ご親切にどうもぉ~。あんたはいい人だねぇ~美人だし・・・」と日本語でベタ褒め・・・
いやぁ~高齢者は恐るべし・・・である。
四苦八苦して無理して英語で何とか伝えようなんていう、私のようなことはしない・・・
で・・・この日本語が何となく相手に通じているようなのだから・・・驚いた!
これじゃ私は馬鹿みたいである。(大笑)

「折角の機会ですから・・・お店の女の子と写真を一緒に撮ってはどうでしょうか?記念になるんじゃないでしょうか?」と余計な一言を私は言ってしまった・・・
すると・・・
「おお!そうだね!写真を撮ろう!」とカメラを持ち出して、彼女を撮ろうとする。
いや・・・私はツーショットを・・・という意味で言ったんですけど・・・(大汗)

一応、彼女に英語で写真撮影の許可を求める。
幸いにも彼女は英語が話せる子だったので、照れながらも応じてくれたので助かった。
で・・・どういうわけか、彼女の「撮影会」になってしまった・・・(唖然)
まぁ・・・いいかぁ・・・と、私も便乗して撮影する。(大笑)

写真の右側の女の子が英語が通じた子である。
店の奥から、何の騒ぎだと、チラリとこちらを覗いている女の子も写っている。(笑)

我々二人は、コーヒーを飲みに来たのか、女の子の写真を撮りに来たのか、よくわからない、怪しげな日本人観光客に成り下がってしまった!(大笑)
いやぁ~・・・恥かしい・・・
私の余計な一言が元凶である。(大汗)

“撮影会”を終え(笑)、先ほど助け舟を出してくれた、隣のテーブルのお客さんにお礼を言ってバスに戻る。

続いて向かったのは、『第一賓館』という場所・・・
日本統治時代は『貴賓館』と呼ばれていたそうである。
澎湖庁により、昭和15年から建築が始まり、昭和18年に落成したという。
戦後、蔣介石が澎湖島に来たときに蔣介石の宿舎となり、名称を『蔣公行館』とされ、その後『第一賓館』と改称されたらしい。

第一賓館の入り口

敷地内に、蔣介石の銅像を発見!(大喜)
もう、ガイドの説明など、どうでもいい・・・(大笑)
何とかして、間隙をぬって銅像の写真を撮りに行かねば!
私は“銅像大好き中年”なのである!(大笑)


「民族救星」

総統蒋公披風銅像(蒋介石像)

ガイドさんが見学の受付に手間取っている間にササッと皆さんから離れて銅像のところへ行き、写真をパチリ!
私以外は誰も来ない・・・
皆さんは、どうも蔣介石が嫌いなようで・・・散々けなしている。(大汗)
中国大陸から台湾へ逃れてきて、その後、台湾人を弾圧した“極悪人”との認識のようである。
一方から見れば、確かにその認識は間違っていないとは思うけど・・・
他方から見れば、終戦時に日本兵の復員にかなり便宜を図ってくれたり、連合軍による日本に対する分割統治や天皇制廃止の考えに反対したりと、必ずしも何でもかんでも悪いことをしたというわけでもないと思うが・・・
いずれにせよ、私には、そういうことは関係ない・・・(笑)
単純に「銅像」が好きなだけである。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」・・・という考えはないのである。

第一賓館
(旧・澎湖貴賓館)
澎湖縣定古蹟 第一賓館

【歴史と沿革】

「第一賓館」は日本統治時代には「貴賓館」と呼ばれ、看板には「軍人休憩所房舎」と書かれてありました。
第二次大戦後に国民党政府に接収され、「第一賓館」と改称されました。

日本統治時代の1940(昭和15)年、澎湖庁が「貴賓館」(第一賓館)を建設しました。
澎湖庁の建築技師末安猛による設計で、澎湖庁の職員黄得永が工事監督を務め、宏志土木請負組合の許令咸が建設を担当しました。
時はおりしも日中戦争のさなかで、建築材料の購入や輸送は困難を極めましたが、1942(昭和17)年10月26日、大田政作長官が
上棟式を執り行い、1943(昭和18)年2月に落成を迎えました。

1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏により、台湾と澎湖の日本統治は幕を閉じました。
1949(民国38)年5月17日、すでに辞任していた蒋介石総統が初めて澎湖に降り立ち、貴賓館に宿泊して5月26日に馬公から高雄
へ向かいました。
それ以来貴賓館は長く「蒋公行館」とされ、「第一賓館」と改称されました。

1956(民国45)年、第一賓館を総統専用の行館とするため、第一賓館内部の和風空間が一部取り壊され、西洋風の居住空間に
改築されました。
さらに書斎、食堂、蒋経国氏の専用個室を増築し、第一賓館の南側に戦時に備えた地下指揮室を設けました。

1958(民国47)年の金門823砲撃戦の際は、蒋介石総統が第一賓館に戦時指揮室を設立し、「閃電」、「鴻運」、「轟雷」計画を実行
しました。
金門砲撃戦が終ると、蒋介石総統は澎湖を巡視に訪れるたびに第一賓館を宿としました。
その後を継いだ蒋経国総統も第一賓館に何度も宿泊しました。

(日本語リーフレットより)

和室
第一賓館の模型
蒋介石の寝室 蒋介石の軍服
蒋中正前総統の寝室
ここは蒋介石総統とその夫人宋美齢女史の寝室です。
室内は木造の内装がなされており、シングルベッドが2つ、
デスク、椅子、机、ソファー、茶机、ベッドフレーム、収納型
ヘッドボード等を含む家具の多くは当時から残されている
ものです。
また、家具には「壽」の文字模様がはっきりと刻まれています。

(日本語解説パネルより)
蒋介石の書斎
蒋介石前総統の書斎
ここは蒋介石前総統の書斎です。
ここでは事務や文書処理も行われていました。
木造の内装がなされ、室内は清掃と整理整頓が行き届いています。
窓の外には草花や木々が生い茂り、静かな雰囲気に満ちています。

(日本語解説パネルより)
蒋経国の寝室
蒋経国前総統の寝室
ここは蒋経国前総統の寝室です。
1958(民国47)年の第2次台湾海峡危機(八二三砲戦)中に建設されました。
小さめで簡素な内装は蒋経国前総統の素朴な性格を表しています。

(日本語解説パネルより)
食堂 料理の模型
食堂
ここは食事をしたり、パーティーを催す場所です。
1958(民国47)年の第2次台湾海峡危機(八二三砲戦)中に建設されました。
テーブルには蒋経国前総統が訪問した民間の友人、呂九屏氏の清心小吃店
の前総裁が愛した、ヒラケンサキイカのサラダ、ウニのオムレツ、蒸しアサヒガニ、
ノコギリガザミの粥、海鮮焼きそば、ハタのスープなど、澎湖料理の模型が並べ
られています。

(日本語解説パネルより)
澎湖縣定古蹟 第一賓館

【建築の特色】


第一賓館は和洋折衷の建築様式となっています。
内部の空間は「洋風空間」と「和風邸宅」の二つの部分に分かれています。
洋風空間には「表玄関(正面玄関、広間)」、「応接室(洋風の客間)」、寝室があります。
和風邸宅は「内玄関(側面玄関)」、二組の「座敷(和風の居間)と次の間(座敷の隣の部屋)」からなっています。
入り口の玄関は当時流行していた「入母屋造」の屋根と洋風門扉の構造になっており、家屋の外壁は主に烏石で
造られた耐力壁構造になっています。
内壁の間仕切り壁は当時最先端だった洋風の「木摺漆漆喰(板に漆喰を塗って仕上げた壁)」と伝統的な和風の
「竹木舞造壁(竹を組んで漆喰を塗った壁)」による工法が用いられています。
座敷と次の間を仕切る引き戸の上の欄間にはヒノキの板に富士山の景色を透かし彫りした特殊な工法が用いら
れています。
入口玄関の地面と壁面には澎湖特産の「洗砂頭」、「洗石子」、「レンガ造漆喰壁」の工法と材料が使用されています。
屋根は切妻屋根となっており、セメント製の理想瓦(上瓏瓦)が張られています。
1956(民国45)年に澎湖が修築した際、内部の間仕切り壁を一部改築しました。
また板張りだった廊下にじゅうたんを敷き、寝室の畳を外してフローリングに改造しました。

第一賓館はその建築の特色と歴史的な意義により、1998年12月10日に県指定の史跡となりました。
2000年には頼峰偉県知事が軍の協力を得て第一賓館を県の管理に置きました。
県では2002年に調査研究および修復計画をまとめ、2006年に改修工事に着手しました。
そして2008年7月30日、王乾発県知事が上棟式を主催して新たな看板が掲げられました。
2009年に改修工事が完了し、2011年5月18日に開館を迎えました。

(日本語リーフレットより)

館内の見学をサッサと終えて外に出る。
当然・・・タバコが吸える場所を探すためである。(大笑)
と・・・他の参加者からトイレに行きたいのだが・・・と声をかけられる。
係員の“お兄ちゃん”にトイレの場所を英語で尋ねたら、この建物が建っている丘の下を指さす。
この下に?
「建物の中にはトイレはないのか?」と尋ねたら、首を横に振る。
この丘の下に公衆便所でもあるのか?
キョロキョロしていたら、この“お兄ちゃん”が案内してくれた。

不思議な入口・・・

「ここです!」と“お兄ちゃん”が指さす。
どう見ても、不思議な形の入り口なんですけど・・・(汗)
公衆便所には見えないんですけど・・・
「ここ?」(苦笑)
彼はウン、ウンと頷き、「どうぞ、どうぞ」と手で合図・・・
そう親切に案内されたのでは、入らないわけには行くまい・・・

階段がズッと下に続いている・・・
ここがトイレ?
ようやく、入り口に辿り着いたが・・・
「これ、どう見ても防空壕ですよね?」
トイレに行きたがっている某参加者も「こりゃ、おかしいねぇ~」と答える。
・・・・が、どことなく声は上の空のような感じ・・・(大笑)

内部に入り、覗き込んだら、トイレがあった!
が・・・ドアはない・・・(汗)
便器が丸見えである。
それも広い部屋に便器が1個・・・
おかしい・・・

私は、もう少し先のほうを探検に行く。

ありゃ!
ここは・・・作戦室?
それとも蔣介石の執務室?
いずれにせよ、地下の戦闘指揮所であろう。

ということは・・・(大汗)
慌ててトイレに戻ったが、時既に遅し・・・
トイレに行きたがっていた某参加者は既に“用”を足していた・・・(愕然)
「あのトイレ、水が出ねぇんだよなぁ~」と言う。
出るわけがない・・・あの便器は展示品である・・・(苦笑)
まぁ・・・やっちゃったものは仕方がない・・・

地下指揮所の出入口

この“地下基地”の奥に別の出口があったので、そこから外に出る。
ちょうど建物の真後ろに出た。
そこでまたトイレに行きたがっている参加者たちに声をかけられた。
私は「トイレ案内人」か?(涙)

ガイドの“張さん”を見つけて、先ほどの“お兄ちゃん”に通訳してもらったら・・・
トイレはあっちだ・・・と遠くを指さす。(唖然)
おい、おい、じゃぁ、さっきの案内は何だったんだ?
この『第一賓館』に隣接する海岸にトイレがあるらしい。
敷地内の裏木戸を通り抜けて海岸へ皆さんを案内する。
海岸は砂浜で、海水浴場のような感じ、そこに立派な公衆便所が建っていた。(笑)
海水浴場のトイレ・・・である。
ここまで来なくちゃならないのか?(唖然)

皆さんを案内した後、戻って、先ほどの“お兄ちゃん”に文句を言う。
日本語で・・・(大笑)
すまなそうな顔をして苦笑いしていたから、もしかしたら通じちゃったかも・・・(笑)
「ここと、あそこと、あっちに、“トイレはこちらです”っていう看板を立てろよぉ~」とジェスチャーを交えて話したら、どうやらわかったようである。
「うん、うん、そうですねぇ~看板をここに・・・ネッ!」と“お兄ちゃん”がジェスチャーで答える。
「そうそう、ここに看板!こういうやつ!トイレット!あっち!って・・・ナッ!」と私・・・
おお!おお!と二人して大笑い。
なかなかの好青年である。

言葉が通じないのがなんとも残念・・・
う~ん・・・私が中国語(北京語)か台湾語を覚えればいいのか?
いや、そりゃ無理だな・・・
日本語も危なっかしいのに・・・(苦笑)
茨城弁のイントネーションが抜けないから、全部、尻上がりになっちゃうんだよねぇ~(大笑)
それに最近、若年性痴呆症の症状も出ているし・・・(大笑)
(友人の“シミズくん”には「どこが若年ですか?」と突っ込まれるが・・・)
いずれにせよ記憶力が更に悪くなっているから、今から新たな語学は無理である。(大笑)
あ~・・・残念だ・・・

時刻は11時半・・・・
昼食会場のレストランに向かう。
場所は・・・
『澎湖開拓館』のすぐ近くだった・・・(大汗)
小さな町なので同じところをグルグル回っている。(大笑)

で・・・興味は味付け・・・(大笑)
昨晩の食堂ほどではなかったが、やっぱり・・・甘口だった・・・(大笑)
ということは、澎湖島の料理の味付けは、全般に甘いということか・・・
いつか、この島に再訪問する機会があったら、塩と醤油を持参しなければなるまいな・・・(大笑)


   


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