7.台北の史跡巡り

(旧総督府・旧昭和町・旧台北帝国大学)


平成25年(2013年)3月4日・第4日目

今日は最終日である。
台北市内を観光して、夕方の便で日本に帰る・・・

まずは、お決まりの『旧・総督府』(現:総統府)の見学である。
ここは昨年も見学をしたので、私としては、珍しくもない・・・(笑)
身分証明書(パスポート)を提示しなくてはならないことになっている。
が・・・はい、はい、やってくれました・・・“オバタリアン”・・・(苦笑)
添乗員の説明を全く聞いていなかったのか、「忘れた!」と言う人がいるのだから唖然である。
どうなるのかと気になったが、その後、どうなったのかは知らない・・・(苦笑)

館内の説明員・・・
今回は、ビルマのインパール作戦に参加したことがあるという元・台湾国籍の日本兵・・・88歳の“おじいちゃん”・・・
この方の流暢な日本語には驚いた。
我がツアーの参加者も、この“勇士”にお会いできて大感激していたが、この方も、我々“保守派”のツアーに会えて感激していたご様子である。(笑)
この説明員の“おじいちゃん”・・・・
国民党が嫌いなようで・・・(大笑)
蔣介石や国民党関係の展示物の解説は、あっさりと割愛!
“保守派”の皆さんは、これに大喜び!
蔣介石のものなんて、見たくもない、話を聞きたくもない・・というところなのだろう。
まぁ、私はどうでもいいけど・・・(苦笑)

総統府(旧・総督府)

次に向かったのは『国軍歴史文物館』・・・・
昨年もこのツアーで来た時、訪問予定だったが、展示品の入れ替えということで閉館だった。
で・・・今回、再度予定に入れていたようだ。
しかし、事前の問い合わせでは開館しているとのことだったが、直前になって閉館だと言ってきたらしい。(唖然)
「これは怪しい・・・我々に見せたくない理由があるんじゃないか?」と添乗員さん。(苦笑)
そこで、本当に閉館しているかどうか、念のため確認に行ってみようということになった。(大笑)

国軍歴史文物館の前

現地に行って見たら、やっぱり閉館していた・・・(大笑)
かわいそうなのは“ヨコヤマさん”である。
これまで3回もここに来ているが、毎回、閉館のため見学できなかったと言う。
これで4回目である!(大笑)
「“ヨコヤマさん”の日頃の行ないが悪いからでは?」と言ったら笑われた。
多分、毎年同じ時期に来ているようだから、ちょうど展示品入れ替え時期とぶつかってしまうのではなかろうかと私は思うのだが・・・・
うがった見方をする人は、“保守派”の日本人ツアーには見せたくないものがあるから急遽閉館にしたのだろうと言う。
突然の閉館はおかしいだろうと言うが・・・これは現地旅行社の事前調査の甘さから来るものではなかろうか?
「国民党が政権を取ると、こういうことになる!」と言う人もいるが・・・真相はわからない。
“ヨコヤマさん”には、「別の時期に二人でここに来てみませんか?」ということで・・・話を納める。(大笑)
いつか“ヨコヤマさん”との二人旅を企画してみようかな?

次に向かったのが『青田街(あおたがい)』。
「あおたがい」と聞いて「青田買い」という文字が頭に浮かんだのは私だけではあるまい?(大笑)
ここは、日本統治時代、『昭和町』と呼ばれたところだったそうである。
昔は、農村だったらしいが、昭和初期に台北帝国大学が設立されて、この地域は市街地として開発されたらしい。
で・・・今でも“日本家屋”が残っているのだとか・・・

バスを降りて、見学・・・という時に“ツヅキさん”が「カメラが動かなくなったので見てくれ」と言ってきた。
この“ツヅキさん”は昨年の済州島のツアーの時にご一緒だった方。
あの時は、言葉を交わすことがなかったが・・・・
で・・・カメラを確認してみたら・・・バッテリー切れだった。(汗)
予備のバッテリーはスーツケースの中だとおっしゃる。
そのスーツケースはバスの下部の貨物室の中・・・(涙)
ツアーの方々には先に行ってもらい、私は“ツヅキさん”と一緒に貨物室の中にもぐり込み、スーツケース探しをする。(大汗)
ようやくスーツケースを見つけてバッテリーを交換し、皆さんの後を追いかけた。

“コウノさん”が「あの“ツヅキさん”は写真屋さんだって知ってた?」と言う。
うそぉ~!写真屋さん?(唖然)
「ツヅキさん!写真屋なんだそうですねぇ!」と言ったら、平然と「ウン!」とお答えになった。
「あのぉ~写真屋さんがカメラのバッテリー切れに気がつかなかったんですか?」
「えへへ・・・」と“ツヅキさん”は照れ笑い。
「うまく騙されたねぇ~!」と“コウノさん”が笑う。
貨物室からバッテリーを取り出すために、うまく仕組んだのか?(唖然)
恐るべし・・・90歳の“おじいちゃん”・・・・(大笑)

青田街(旧・昭和町)
「人行道」とは、日本で言うところの「歩道」ということだろう。
このイラスト・・・わかりやすくて良い・・・・
日本でも導入すべきではなかろうか?
瓦屋根の形からして、「日本家屋」っぽい・・・
この家の住人の許可を得て、庭に入れてもらった。
昔の日本家屋を利用した、何かの資料館

ここも「日本家屋」らしいが・・・何かの資料館になっているようである。
残念ながら、内部の見学はしないで、外観だけを見るだけのようである。
建物の門のところに、中国語の説明看板が設置されていたが、中国語の説明文では、私には理解不可能。(涙)
博物館好きとしては、どんなものが展示されているのか気になる。

庭に綺麗な花が咲いていたので・・・パチリ!
花の名前は・・・知らない!(笑)
「埋蔵地底2000年的樟木香」

庭には大木も展示されていた。
説明板もあったが、中国語なので、よくわからない・・・(涙)
「埋蔵地底2000年的樟木香」と書いてある。
自分勝手に翻訳してみると・・・
今から280万年前に地殻変動で台湾が出来て、1万8千年前に最後の氷河期がきて、このあたりに湖が出来て、森林地帯になった・・・というような、地形の成り立ちなどが書かれているようである。
で・・・電力会社が地下に配管を通す工事中に、今から約1820年前の地層から、この大木が出てきた・・・と書いてあるような・・・気がする・・・(苦笑)
「樟木」というのは「楠木(くすのき)」のことではなかろうか?

時刻は午前11時を過ぎた・・・

次に向かったのは、『旧・台北帝国大学』である。

大学構内を歩く
構内には大きなガジュマルの木があった。
この木は・・・台北帝国大学のころからあった木だろうか?(笑)

これから向かうのは、農業試験場のような場所らしい・・・
多分、「農学部」か、そういう学部がある場所ではなかろうか?
なにせ、台湾大学は敷地がかなり広いので、どこに何学部があるのかよくわからない。(苦笑)

途中の花壇で見かけた花を・・・パチリ!
私は花が好きだが、悲しいかな知識は全くない・・・(大涙)
植物図鑑でも買って勉強でもすればいいのだろうが・・・
そこまでの勉強家ではない・・・(大笑)
う~ん・・・とても大学の構内とは思えないところを歩く・・・(笑)
臺大農場

近くに中国語の説明板が設置されていたので、自分なりに翻訳してみると・・・
ここは、1924年(大正13年)の日本統治時代に「高等農林学校」の実習農場だったらしい。
その後、1928年(昭和3年)に「台北帝国大学付属農場」と改称され・・・
1945年(昭和20年)に「臺灣大學付設農場」に再び改称されたそうである。
現在は「國立臺灣大學生物資源曁農學院附設農業試験場」となっているようである。

人工氣候室

何やら寂れた建物に「人工気候室」という看板が・・・
ん?人工気候?
台湾では人工で気候をどうにかしようという研究でもしているのか?(大笑)
いや、いや、多分、室内で色々な気候を作り出して、種が発芽するかどうかとか、生育はどうなるかとか、そういうことをする建物なのだろう。

到着したのは、「磯 永吉(いそ・えいきち)」という日本人博士の研究棟のようである。
この“磯博士”は、大正元年に台湾に渡り、その後、台北帝国大学の教授となり、ジャポニカ米とインディカ米の交配の研究をする。
で・・・苦節10年・・・
昭和10年に「蓬莱米(ほうらいまい)」という台湾の米の開発に成功した。
昭和20年の終戦後も請われて台湾に残り、蓬莱米の普及に努めたという。
そのことから、磯博士は「蓬莱米の父」と呼ばれているそうである。
今では、台湾ではこの蓬莱米が食卓に上っているのだという。
磯博士の良質の米の開発の功績は大きい。

この後は、昼食・・・そして、最後に『桃園神社』に行く予定だったが、時間的に微妙な感じ・・・
万が一、飛行機に乗り遅れたらマズイので、『桃園神社』訪問は断念して空港へ向かうこととなった。
私は昨年のツアーで行っているので、別に行かなくても構わない・・・(笑)

午後3時前に台北(桃園)空港に到着。
相変わらず、団体行動の取れない人がいる。(唖然)
つまり・・・自分勝手な行動をするのである。

今回、ツアーの移動の際には別の某参加者が“殿(しんがり)”を務めることになっていたが、この人は、全く“殿”としての自覚がない様子。
まぁ、団塊の世代の方ですから仕方がないかもしれませんが・・・(苦笑)
結局、私が“殿”をやることにした。
戦友会や遺族会の旅行では、いつもその役目を務めてきたから慣れている。

が・・・さすがに勝手気ままな行動をする人には頭にきた。(怒)
高齢者なら面倒を見るが、それほど歳を取っていない自分勝手な人の面倒など見切れない。
少し、空港内で迷子になるのも本人にはいい勉強になるだろう。
ということで・・・わざと気がつかなかったふりをして置き去りにする。(大笑)
案の定、血相を変えて追いかけてきた。(大笑)

時間があったので、コーヒーショップでコーヒーを飲んで一休み。
そこへ、何人かの参加者が合流してきたので、一緒におしゃべりをして時間を潰す。

で・・・そろそろ搭乗口へ移動する時間となり、席を立って、まもなく・・・
某女性参加者が「さっきの人、この財布を忘れていきましたよ」と私に財布を届けに来た。
確かに、私の目の前に座っていた某参加者がテーブルの上に財布を置いてコーヒーを飲んでいたのは知っていた。
が・・・実は、私はこの方のお名前は知らない・・・(汗)
このツアーは、自己紹介もないし、名札もないので、誰が誰なのか全くわからないのである。
「あなたの目の前に座っていたお年寄りですよ!」と言われても・・・ねぇ~・・・
「一緒におしゃべりしていたでしょ?」と言われても、名前は知らないんだよねぇ~(大汗)
「誰が忘れたの?」って周囲から尋ねられても、名前を知らないから・・・どうしようもない。(笑)
財布を置き忘れたのは、澎湖島でホットコーヒーをストローで飲もうとして大騒ぎした“あの方”である。(大笑)
が・・・本人が今度は見当たらない・・・
財布はあるが、今度は本人がいないのである!(大笑)
どうやらトイレに行っていたようで、まもなくやって来た。
「財布・・・忘れたでしょ?預かっていましたので、謝礼としてこの財布の中身の1割を下さい」(笑)と、散々からかう。

が・・・しかし、これは私のミスである。
つい気が緩んで、席を立ったときに周囲を確認するのを怠ったのである。
相手が高齢者の場合は、必ず私が最後に席を立ち、忘れ物がないかどうかを確認するようにしていたのに・・・
やっちまったぁ~(涙)

旅行初日などは、皆さん、緊張しているし、気も張っているから、滅多なことでは怪我や事故は起こらない。
数日経つと、高齢者は疲れが出るので・・・危ない。(苦笑)
というわけで、バスを降りるときには高齢者には必ず手を貸してやり、足元に注意するよう面倒を見てきた。
で・・・最終日は、疲れと、帰国する安心感で気が緩むはずだから・・・と目を光らせていたのだが・・・
まさか、自分の方が気が緩んでいたとは・・・情けない。(涙)

この方は“ヤマサキさん”という方だと、最終日になってようやく知る。(大笑)
かなりのオッチョコチョイと忘れっぽいところがあるそうだ。
ご本人がそう言うのだから間違いはないだろう。(大笑)
まさか、“要注意人物”が、この方だということが帰国する時にわかるとは、私の勘もかなり鈍ったものだ・・・(大汗)
搭乗口に一旦集合して、一応、自由行動となる。
“ヤマサキさん”が奥様へのお土産を買いに行くと言う。
危ないな・・・(大笑)
搭乗口から免税店がある場所までは、かなり離れているのである。
下手したら、乗り遅れるかもしれない・・・
もしかしたら、また財布を置き忘れるかも・・・(汗)
というわけで・・・
「ヨコヤマ小隊長殿!今からヤマサキさんの当番兵として、ちょっと買い物に付き合ってきます!」と“班長殿”に冗談を言って、買い物に同行する。

免税店で買い物・・・・
店の女の子が「これからどこへ行かれるんですか?」と日本語で尋ねた。
「ん?東京だよぉ~」と“ヤマサキさん”
「東京ですか・・・」
で・・・「ここにサインをお願いします」・・・と何やら用紙を差し出した。
“ヤマサキさん”は、これにサラサラと何かを書いた・・・・
と・・・女の子・・・
「え?あなたのお名前は・・・東京っていうんですか?」
「名前?俺の名前は東京じゃないよぉ~」
「でも、東京って書いてますけど・・・」
「ありゃ!」
周囲の店員さんも集まってきて大笑い。

あ~あ~かなりのオッチョコチョイである。(大笑)
今まで、よく問題を起こさなかったものだと、ある意味感心してしまった。

この“ヤマサキさん”・・・・
陸上自衛隊の空挺部隊出身だそうである。
空挺部隊といえば、エリート中のエリートである。
「そんなに忘れ物が多くて大丈夫だったんですか?」と尋ねたら・・・
「だから、いつも部下が、また忘れてますよぉ~って追いかけてくるんだよね」と言う。(唖然)
「確か、パラシュートって自分で畳む事になってるんですよね?大丈夫だったんですか?」と尋ねたら・・・
「自分で畳むくらいあぶねぇものはないからね。忘れっぽいし、オッチョコチョイだからさ。ミスしたら大変だから、整備中隊に頼んで畳んでもらっていたんだよねぇ~本当は自分で責任持ってやらなくちゃダメなんだけどね。一番信用できないのが自分なんだからさぁ~、仕方がないよね?」と笑う。
この話・・・本当かどうかは知らないけど・・・(大笑)
憎めない面白い方である。

人とは話をしてみないとわからないものである。
“ヤマサキさん”・・・偕行社の会報の編集委員をしているという。
で・・・私は、その偕行社の会員なのである。(大笑)
まさか、そんな・・・・である。
奇遇、奇遇、で更に盛り上がる。
「ねぇ、会報に原稿書いてくれないかなぁ~、あんたの原稿なら即、採用するからさぁ~」とおっしゃる。
私の文章を一度も読んだことがないのに、即、採用とは・・・いくらなんでも・・・(大汗)
やっぱり、かなり筋金入りの「オッチョコチョイ」な方である。(大笑)
さんざん冗談を言い合いながら、無事に搭乗口に“帰還”し、“ヨコヤマ小隊長殿”に報告。(笑)

と・・・・
うちのツアー参加者の方が一人、何やら騒いでいる。
70代の“おじいさん”・・・・
「あ~あ~!もうだめだぁ!あ~あ~!紙くずだ!」
同じツアーの人に何事かと尋ねたら、台湾のお金・・・
このまま日本に持ち帰ったら紙くずになってしまうと騒いでいるとのこと。
周囲から「成田で両替できるんじゃないか?」と言われても、頑として聞かない・・・
あ~あ~こりゃ、ダメだ・・・・
というわけで、私が買い取ることにした。(大笑)
ご本人は、昨晩、日本円ではいくらになるか計算したと言う。
1元を3円として、3千数百円・・・だと言う。
添乗員に確認したら1元は3円とちょっと・・・だと言う。
ならば、端数は切り上げて・・・(笑)
4千円で買い取ってあげることにした。
この方・・・一転して、大喜び・・・
「やったぁ!助かったぁ!いやぁ~紙くずにならなくてよかったぁ~!」を連発する。
“コウノさん”が「あんたは優しいねぇ~」と笑いながらも呆れ顔・・・(大笑)
「いやぁ~また、台湾に来ることもあるでしょうし・・・あの騒ぎ方じゃ、日本に帰ったら本当にゴミ箱に捨てちゃうような騒ぎだったので・・・」と答えたものの・・・
ん?私にまた台湾に来る機会が果たして訪れるだろうか?(汗)
まぁ、いいか・・・(大笑)
旅行中、一度も言葉を交わしたことがなかったが、これがきっかけで、この方と話をしたら・・・
今回が生まれて初めての海外旅行だったのだそうだ。(大笑)
どうりで大騒ぎしたわけだ・・・

最後の最後になって、結構楽しいおしゃべりが出来て、さらに良い旅となった。

が・・・
相変わらず“オバタリアン”には不愉快な思いをさせられた。
帰りの飛行機・・・
座席に座ってまもなく、「あなた・・・窓側じゃ嫌だって言う人じゃないですよね?」と声をかけられた。
どういう言い方なのやら・・・
「別に・・・」
「じゃぁ、席を換わってくれますよね?友達と一緒に座りたいんですけど!」
どういう言い方じゃ!(怒)
言い方が気にいらねぇんだよなぁ~
友達と座りたいなら、私の隣の“友達”に動いてもらえばいいじゃねぇか・・・と思ったが・・・
こういう強引な“オバタリアン”には逆らわないほうがいい・・・
で・・・席を換わって移動したら、隣りは横柄な“オバタリアン”だった・・・(大涙)
両方の肘掛に腕を乗せ、肘を突っ張らせている。
絶対譲らないぞ・・・というのがミエミエである。(唖然)
あのね・・・遠慮というものを知らんのかね?
なんで私が座席の中で縮こまっていなくちゃならないんだ?
とうとう、成田まで、それでなくともエコノミーの座席は狭いのに・・・
さらに窮屈な思いをして・・・帰国する羽目となった!(怒)

“保守派”の女性・・・ねぇ~
横柄で、常識がなくて、遠慮会釈がなくて、強引で・・・(苦笑)
う~ん・・・これは、“保守派”だからじゃなくて団塊の世代だからか?
いずれにせよ、“保守派”のイメージダウンだな・・・
(全ての方がそうだとは言わないですよ。たまたま、そういう人が何人もいただけのことです・・・)

午後9時・・・・成田空港で自然解散・・・・
とりあえず、近くの方々にはお世話になった挨拶をして、喫煙所に向かい・・・一服・・・(笑)

今日は、成田空港近くのホテルに宿泊する。

~終わり~



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