井原西鶴像 平成20年6月16日

井原西鶴 いはら・さいかく

寛永19年(1642年)〜元禄6年8月10日(1693年9月9日)

大阪府大阪市天王寺区・生國魂神社でお会いしました。


『見聞談叢』によると、本名は平山藤五ひらやまとうご
大阪生まれ。
貞門派の俳諧師としてはじめ鶴永かくえいと名乗る。
『生玉万句』(1673)を契機に談林派に転じ、西鶴と号す。
オランダ流と評された前衛精神で1日に2万3500句もの独吟(矢数俳諧)を成功させる一方、浮世草子の処女作『好色一代男』(1682)が評判をよんだこともあり、発展途上の大坂の出版ジャーナリズムと並走して二十数編の浮世草子を手掛けた。
好色や金銭という装置を通して巧みに世の人心を汲み上げる才能は抜群で、八文字屋本などの後続作に多大な影響を与えた。
代表作は『好色五人女』『好色一代女』『本朝二十不孝』『日本永代蔵』『世間胸算用』など。


井原西鶴像



井原西鶴像
(大阪市天王寺区・生國魂神社)





(平成20年6月16日)

碑文

井原西鶴は寛永19年(1642)に生まれ元禄6年(1693)大坂錫屋町(現谷町3丁目)で没した
「好色一代男」「好色五人女」「本朝二十不孝」「武家義理物語」「世間胸算用」など多くの名作を残し延宝8年に一昼夜4千句の独吟矢数俳諧の新記録をこの地生国魂神社南坊で樹立した。
西鶴の作品は世界各国で翻訳されその文学的評価は高く1968年ユネスコは世界的偉人の一人として西鶴を選んだ
1992年は西鶴生誕三百五十年の年であり大阪真田山ライオンズクラブC.N.20周年を記念してここに井原西鶴像を建立する

平成4年(1992)6月10日
大阪真田山ライオンズクラブ

生國魂神社



生國魂神社
(大阪市天王寺区生玉町13−9)





(平成20年6月16日)

井原西鶴の墓



井原西鶴の墓
(大阪市中央区・誓願寺)





(平成20年6月16日)

元禄時代の三文豪、西鶴、近松、芭蕉の内、当誓願寺墓地に西鶴の墓が原形のまゝ安置され南区史蹟第1号となっています。
井原西鶴(1642〜1693)は摂津住吉社頭で1日1夜2万3千5百句独吟という超人的記録を樹立し、浮世草子(小説)「好色一代男」「好色五人女」「日本永代蔵」「世間胸算用」等数多くの名作を残して明治以降数々の有名作家に大きい影響を与えました。
墓の傍らに
   鯛ハ花ハ見ぬ里もあり今日の月
と西鶴の直筆の句をしたゝめた文学碑が建っております。
又表門左側に西鶴の流れを汲む武田麟太郎の文学碑があります。

西鶴文学会代表 桝井寿郎
昭和62年11月

西鶴の墓は墓地中央参道奥、正面にあります。
(上本町北町会長 竹村富治献掲)

(説明板より)

誓願寺墓地



誓願寺墓地


正面が井原西鶴の墓




(平成20年6月16日)
誓願寺




誓願寺

(大阪市中央区上本町西4−1−21)




(平成20年6月16日)



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