飯村丈三郎 いいむら・じょうざぶろう

寛永6年5月24日(1853年6月30日)〜昭和2年(1927年)8月13日


【飯村丈三郎】 

飯村丈三郎は嘉永6年(1853年)5月24日、真壁郡上妻村字黒駒(下妻市)の旧家に、父・又五郎、母・縫子の一人息子として誕生した。
丈三郎は幼名を縫三郎といったが、身体は丈夫ではなく、8歳になるまで就学できなかった。
4歳の時、子供のいなかった伯父のところに預けられ、ここで『三国志』、『水滸伝すいこでん』、『源平盛衰記』など戦記物語を読み聞かされ、昔の英雄たちを崇拝する気持ちを強め、彼の人となりに大きな影響を与えた。

文久3年(1863年)、縫三郎は隣村の黒子村(筑西町)の寺に預けられた。
天台宗東叡山千妙寺の住職・亮天僧正からいろいろと人間の生き方について学んだ。
その中で特に年若い縫三郎に感銘を与えたのは「衆生の恩」というもので、「自分は誠心誠意の道を踏んで、そうして社会の皆様の便宜、いわゆる公益を図るというものでなければならん」(『四恩の説』)という教えだった。
この亮天僧正のわかりやすい教えが、のちに縫三郎が到達した「報恩感謝」の精神の基本となる。

縫三郎は半年ほどで生家に戻ったが、間もなく大病を患った。
その後、病気全快を大宝八幡宮に祈願した縁で、八幡宮から「丈」の字をいただいて丈三郎と改名した。
健康を回復した丈三郎は勉学に励むこととなり、明治2年(1869年)下妻藩に仕えた学者、菊池三渓の門下生となった。
そして三渓が下館・笠間藩に招かれたのに伴って、下館・笠間にも住居を移している。
この間に、のちに県西地方で自由民権運動の中心的存在のひとりとなる宗道村(下妻市)出身の森隆介と知り合った。

結婚して家を継いだ丈三郎は、明治10年(1877年)9月、茨城県第6区10小区の戸長職に就任し、社会人としての第一歩を踏み出した。
明治13年ごろ茨城県下でも自由民権運動が盛んとなるが、丈三郎は森隆介らと政治結社・同舟社どうしゅうしゃをつくり、この年に筑波山で国会開設請願の大会を開いた。
これで丈三郎は全国的にもその名が知られるようになる。
翌14年、茨城県会議員に当選して政界に進出。
県会では副議長、議長に就任し地方政治に尽力した。
さらに明治23年、第1回衆議院議員選挙に出馬し、当選して自由党関東組の一員として活躍した。
明治26年の衆議院解散の時には、家族の反対もあって政治家としての道を断念した。

政界を離れた丈三郎は実業界に入る。
すでに県会議員時代に県令の人見寧ねいの頼みで六十二銀行の再建に当たっており、この再建で川崎財閥の川崎八右衛門と強く結びつくことになる。
その第一歩が安田知事と川崎に要請された、明治18年の水戸鉄道株式会社の取締役就任である。
さらに明治24年には経営不振の「いはらき」新聞の創業者・関戸覚蔵に懇願されて社長に就任し、見事に再建させ、大正6年(1917年)には株式会社となり業績は順調に伸びていった。
その後も川崎八右衛門との関係で、多くの会社の役員として活躍した。

大正12年の関東大震災を機に、東京での生活に終止符を打ち、水戸市南町に移住。
新聞社の経営のかたわら教育界にも関係するようになる。
私塾水戸学院の後援や県の育英機関である育才会の充実に尽力する。
このころ県内は中学校(現在の高等学校)への進学ブームであった。
だが水戸では学校が足りない。
そこで丈三郎が私財をなげうって設立したのが、昭和2年4月に開校した茨城中学校(茨城高校)である。

このころ丈三郎は白内障の手術を東京の慶応病院で受けた。
手術は成功し、そのお礼に病院へ行こうとした昭和2年8月13日、東京大手町でタクシーに衝突され、当時としては珍しい交通事故で死去。(74歳)

(参考:水戸市教育委員会発行 『水戸の先人たち』 平成22年3月発行)

(平成29年7月8日 追記)


飯村丈三郎の墓



飯村丈三郎墓
(茨城県水戸市八幡町・祇園寺)





(平成20年6月30日)

先賢 飯村丈三郎翁 を讃える

飯村丈三郎翁は嘉永6年(1853)、真壁郡黒駒村(現下妻市)に生まれ、28歳で県議会議員に当選。
34歳で県議会議長に就任する。
明治23年国会開設にともない、36歳で第1回衆議院議員に当選。
以後2期の国会議員活動を経て実業界に転身した。
この間、銀行再建、鉄道敷設に大きな足跡を残し、さらに、茨城新聞社第2代社長として36年にわたり言論界の育成に尽瘁した。
晩年、文化財庇護、芸術の振興、育英事業、祇園寺の興隆、茨城中学校の設立など、私財を投じて公共に寄与することも多く、その実績は多大である。
昭和2年東京大手町路上で奇禍にあい先塋墓地に埋葬される。
翁の遺徳を偲んで、公私の有志相集い、翁の分骨を乞うて、この地に葬る。
惟時、翁の生誕百五十年を記念して、その偉業を顕彰する。

平成16年3月
水戸市・茨城新聞社・壽昌山祇園寺
学校法人茨城・茨城高等学校同窓会
茨城中学校同窓会

(顕彰碑文)

祇園寺


祇園寺
(茨城県水戸市八幡町11−69)

開山は明の僧・心越禅師
開基は徳川光圀



(平成20年6月30日)


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