天明7年(1788年)〜文政12年(1830年)
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鳥取藩第8代藩主・池田斉稷公の墓 (鳥取市(旧国府町)奥谷・鳥取藩主池田家墓所) (平成16年11月20日) |
鳥取藩第8代藩主
第7代藩主・池田斉邦の弟。
父は第6代藩主・池田治道、生母は側室・浦の方。
1807年(文化4年)、将軍・徳川家斉の前において元服式を行い、家斉の一字を賜わり、名を斉稷と改める。
斉稷の代には大きな継嗣問題が起っている。
将軍・家斉には男女合わせて55人の子があり、これを御三家、御三卿、各大名家に押し付けた。
これにより鳥取藩池田家でも将軍家斉の十二男・乙五郎を斉稷の婿養子にした。
世子・乙五郎は1824年(文政7年)将軍家斉の前で元服式を行い、名を斉衆と改めた。
しかし、2年後の1826年(文政9年)疱瘡にかかり、鳥取藩主の座に就くことなく世を去った。
徳川将軍の子を養子に迎えたことは、池田家の従来の継嗣原則(池田家の血縁者から選ぶ)が崩れたわけで、後に慶栄、慶徳の両藩主が他家から迎えられる道を作ってしまったといわれる。
斉稷は、1830年(天保元年)43歳で逝去。
江戸弘福寺に埋葬され、遺髪のみ鳥取に送られたが、昭和5年に遺骨も改葬された。
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池田家墓所・山門 (鳥取市) |
国指定史跡
鳥取藩主 池田家墓所
昭和56年10月13日指定
鳥取藩主、池田家墓所は、池田家初代光仲以下11代慶栄に至る、歴代藩主と藩主室等の墓所があり、75基の墓碑のほか多数の石灯籠を整然と配している。
藩主の墓碑は、いずれも亀趺円頭型の壮大なもので江戸時代大名墓所の代表的なものの一つである。
財団法人 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会
(説明板より)
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