池田綱清 いけだ・つなきよ

正保3年(1647年)〜宝永7年(1711年)


池田綱清公の墓



鳥取藩第2代藩主・池田綱清公の墓
(鳥取市(旧国府町)奥谷・鳥取藩主池田家墓所)




(平成16年11月20日)

鳥取藩第2代藩主

1647年(正保4年)江戸藩邸で生れる。
父は池田光仲、母は正室茶々姫。
幼名は新五郎。
1657年(明暦33年)将軍・徳川家綱に拝謁。
1661年(寛文元年)将軍の前で元服を行ない、家綱の一字をもらって綱清と名乗る。
1670年(寛文10年)盛岡藩主・南部重信の娘、式姫と結婚。
1685年(貞享2年)父・光仲の隠居により家督を相続。37歳。
父・光仲の政治は藩主自ら決裁し綱紀が厳正であったが、綱清は病気がちであったこともあり、政治は重臣に委ねられた。
このため、その後数代にわたる藩政の混乱は綱清の代が元になっていると、その人物評は良くない。
綱清には男子がいなかったので、分知家(東館)の池田壱岐守仲澄(綱清の弟)の長男、長吉を養子とした。
隠居後の1711年(正徳元年)に逝去。
歴代藩主の中で綱清の墓石のみが「亀趺円頭」の形式をとっていないのは、有名な『生類憐みの令』に配慮したためだと言われている。

池田家墓所 池田家墓所・山門
(鳥取市)

国指定史跡
鳥取藩主 池田家墓所


昭和56年10月13日指定

鳥取藩主、池田家墓所は、池田家初代光仲以下11代慶栄に至る、歴代藩主と藩主室等の墓所があり、75基の墓碑のほか多数の石灯籠を整然と配している。
藩主の墓碑は、いずれも亀趺円頭型の壮大なもので江戸時代大名墓所の代表的なものの一つである。

財団法人 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会

(説明板より)



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