池田慶栄 いけだ・よしたか

天保3年(1833年)〜嘉永2年(1850年)


池田慶栄公の墓



鳥取藩第11代藩主・池田慶栄公の墓
(鳥取市(旧国府町)奥谷・鳥取藩主池田家墓所)




(平成16年11月20日)

鳥取藩第11代藩主

わずか17歳で逝去した第10代藩主・池田慶行にはまだ男子がいなかったため、藩では、分知家(東館)の池田仲津の子で慶行の弟・祐之進を仮養子として幕府に申し出た。
ところが幕府はこれを退け、加賀の前田斉泰の二男・喬心丸を藩主とし、これに仲津の娘・延子を嫁にするよう指示した。
鳥取池田家では、はじめて他家から藩主を迎えることになり、国表の藩士にとっては寝耳に水の驚きであった。
1849年(嘉永2年)喬心丸は将軍・徳川家慶の前で元服式を行い、将軍の一字を賜って慶栄と改名した。
1850年(嘉永3年)藩主になって、初めてのお国入りが許され帰国の途についたが、京都の伏見藩邸で病にかかり、逝去してしまった。時に僅か17歳。
このことについては、加賀前田家の奥向きから、鳥取藩士が慶栄の養子を喜ばず帰国の途中で毒殺したという噂が出て、江戸から鳥取に伝わっている。
慶栄の母である前田家の溶姫(将軍・徳川家斉の娘)は、この噂を信じていたといわれている。

池田家墓所 池田家墓所・山門
(鳥取市)

国指定史跡
鳥取藩主 池田家墓所


昭和56年10月13日指定

鳥取藩主、池田家墓所は、池田家初代光仲以下11代慶栄に至る、歴代藩主と藩主室等の墓所があり、75基の墓碑のほか多数の石灯籠を整然と配している。
藩主の墓碑は、いずれも亀趺円頭型の壮大なもので江戸時代大名墓所の代表的なものの一つである。

財団法人 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会

(説明板より)



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