亥鼻城 いのはなじょう

(別称:千葉城)

千葉市中央区亥鼻1−6−1


亥鼻城 平成16年8月28日

千葉市立郷土資料館

千葉市立郷土資料館は古代から中世にかけて下総国を中心に活躍した千葉氏の居城・千葉城(亥鼻城)跡に建てられた博物館で、千葉氏に関する資料の展示や調査研究を中心的なテーマとして活動している。
また、当館にはプラネタリウムや市史編纂委員会が設けられており、天文普及活動や市史編纂事業も行っている。

利用案内

開館時間:午前9:00〜午後4:30
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合は翌日も休館)・国民の祝日・年末年始
入館料:大人60円・小人30円
交通:都市モノレール「県庁前駅」下車、徒歩13分・JR本千葉駅下車、徒歩15分

(「見学のしおり」より)

郷土博物館建築の概要

設計 (株)桑田建築設計事務所
工事監理 千葉市建設部建築課
施行 大成建設(株)
所在地 千葉市亥鼻1丁目
敷地面積 7,677平方メートル
建物面積 建築面積 569.16平方メートル
延面積 1872.06平方メートル
建物高 32.57メートル
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造4層5階
総工費 1億7千万円

(亥鼻公園内説明板より)

亥鼻城



亥鼻城(千葉城)

天守閣のすぐ近くに駐車場があります。



(平成16年8月28日)

訪問記

亥鼻城(千葉城)は昭和42年に作られたコンクリート造りの天守閣風博物館でした。
1階には近世・近現代のパネル展示。
2階は千葉市の歴史・民俗・天文に関する展示。
佐倉藩天球儀(複製)や仙台藩で使われていた渾天儀(複製)などの天文関係の展示品がありました。
渾天儀とは天体の位置を観測する天文機器だそうです。
3階は千葉氏に関する展示。
ボランティアガイドによる説明を受けることが出来たのですが、私には時間がなく、とにかく大急ぎで見学して次の場所に移動したかったので、ボランティアガイドさんの説明を受けるのを遠慮させていただきました。
折角の機会だったのですが・・・・
4階はプラネタリウム。
家族連れが結構来ていましたが、皆さんまっすぐプラネタリウムへ行かれた様で、各階はガラガラでした。
5階は展望室です。
残念ながら亥鼻城(千葉城)に関する展示・書籍の販売等はありませんでした。
(平成16年8月28日訪問)


亥鼻城跡の碑 『史蹟 亥鼻城趾』の碑

亥鼻城のある亥鼻公園内の神明社境内に建っています。
昭和25年3月建立
神明社 神明社入口

ここは亥鼻城の物見台跡だったそうです。
土塁跡


亥鼻城本丸の土塁跡


亥鼻城模擬天守の目の前にあります。
唯一の遺構です。



(平成16年8月28日)

千葉城土塁跡

千葉城は大治だいじ元年(1126)千葉介常重つねしげによって築城された。
千葉氏は約330年間この城を拠点として勢力を振るったが、城は康正こうしょう元年(1455)一族の内紛で落城した後、廃城となった。

(「見学のしおり」より)


亥鼻公園内の史跡

千葉縣殉難警察官の碑 千葉縣殉難警察官の碑
石器時代の砥石 石器時代の砥石
千葉開府850年記念碑



千葉開府850年記念碑


昭和52年6月1日建之



レリーフ


千葉開府850年記念碑のレリーフ


この人が誰なのか、どこにも書いてありませんでした。
千葉常重なのか?
それとも常胤なのか?


(平成16年8月28日)

亥鼻城に隣接する文化会館近くの史跡

千葉県盲・聾学校発祥の地



『千葉県盲学校・聾学校発祥之地』の碑






(平成16年8月28日)

碑文

千葉県立聾学校は昭和6年4月 当時師範学校の敷地の一部であったこの地に校舎を造営して発足した
ついで昭和8年4月には隣接の地に校舎を造営し 千葉県教育会経営の盲学校を移管して千葉県立盲学校を開設し はじめて盲学校及聾唖学校令による県立両校の設立を見たのである
これはまた同じく本県特殊学校の発祥であってここに碑を建て もって後世に伝えんとするものである


千葉家供養塔



佐倉市指定文化財 海隣寺千葉家供養塔
(千葉県佐倉市・佐倉市役所裏)





(平成18年8月30日)

佐倉市指定文化財 海隣寺千葉家供養塔

千葉山海隣寺はもともと千葉氏の菩提寺として千葉郡馬加(現千葉市幕張)に創建され、千葉氏の移動と共に酒々井、佐倉と移された。
現存する19基のうち6基は千葉氏一族の昌胤・利胤・親胤・胤富・邦胤・重胤のものと伝えられている。

海隣寺



海隣寺
(千葉県佐倉市海隣寺町78)





(平成18年8月30日)

海隣寺

千葉山海隣寺は時宗で、阿弥陀如来を本尊とする千葉氏の菩提寺である。
建立当初、海隣寺は千葉市馬加にあったが千葉氏が本城を千葉市亥鼻から本佐倉に移すにあたり、酒々井町に移した。
その後、千葉親胤が本佐倉から鹿島台に本城を構築するに際し、当寺も現在地に移築された。
境内には、千葉氏歴代(本佐倉城主)の五輪塔や宝篋印塔も移されており、これらは市指定文化財となっている。
なお、本尊については伝説があり
「千葉常胤が家臣をつれ、治承3年7月26日海辺で月を観じていたが、折りしも海上に異光を放つものがあり、網をうってすくわせると、美事な金色の阿弥陀仏を得た。これを『海上月越如来』と名付け、文治3年千葉市馬加の地に一寺を建立し、本尊として安置した。」
といわれている。

(京成佐倉駅約0.8km 徒歩約10分 国鉄佐倉駅約2km 徒歩約24分)

昭和58年3月
佐倉市

(説明板より)


 (関連商品のご紹介)

千葉城  千葉氏



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