井上靖 いのうえ・やすし

明治40年(1907年)5月6日〜平成3年(1991年)1月29日


北海道旭川市生まれ。
伊豆の湯ヶ島で育つ。
京都大学卒。
学生時代は同人誌に詩を発表し、各種懸賞小説に入選した。
卒業後、毎日新聞社に入社。
昭和24年(1949年)『闘牛』で芥川賞受賞。
昭和26年(1951年)から創作に専念。
文化勲章受章。
代表作『猟銃』『氷壁』『天平の甍いらか』『しろばんば』等
平成3年、急性肺炎で没す。83歳。


文学碑



井上靖文学碑
(静岡県沼津市・千本浜公園)





(平成18年4月15日)

井上靖文学碑

作家井上靖(文化勲章受章者、沼津市名誉市民)は、明治40年(1907)5月6日軍医だった父隼雄の任地旭川で生まれました。
父の転属のため、母やゑとともに父母の故郷天城湯ヶ島に移り、5歳から12歳までは家族と離れて養祖母かのと暮らしました。
名作『しろばんば』は、その頃の天城城ヶ島における、かのとの生活を題材にしたものです。
大正11年(1922)旧制中学2年のとき、浜松中学から沼津中学(現 沼津東高校)に転校し、沼津での中学時代を描いた自伝的小説『夏草冬濤なつぐさふゆなみ』に登場する文学好きの友人、藤井濤雄、岐部豪治、露木豊、金井廣らと交わり、詩を書き、歌を作り、小説を論じて、文学への眼が開かれました。
旧制第四高等学校、京都帝国大学を卒業後、毎日新聞社勤務を経て戦後の文壇に颯爽と登場し、平成3年(1991)1月29日83歳で亡くなるまで、芥川賞など数々の賞に輝く多くの作品を残し、人々から敬愛されています。
井上靖は、「私が小説を書くようになったのは、沼津の町のお陰であり、その頃一緒に遊び惚けていた何人かの友達のお陰である。人生というものがどんなものか、生とは、死とは、文学とは、―そうしたことに関する最初の関心を、私はこの町とこの町の友達から教わったのである」と述べ、中学時代に、文学少年達と香貫山を歩き廻ったり、千本浜で泳いだりして過ごしたすばらしい青春の日々に思いを寄せ、井上文学の原点が沼津中学時代にあったと述懐しています。
この文学碑は、昭和38年3月沼津中学卒業生の岡野喜一郎、斉藤了英、鈴木松夫等が中心となって建立されましたが、潮風による損傷のため、平成4年3月沼津市が改修しました。
設計は建築家菊竹清訓で、彫刻家木村賢太郎制作のシンボルが置かれた御影石の台座には、井上靖の代表的作品名が刻まれています。

沼津市教育委員会

(説明板より)








 文学碑 
 (山形県酒田市・日和山ひよりやま公園)





(平成26年11月23日)

【碑文】 

風が海から吹きつけているので
ひどく寒かった 丘陵には松が多
く 松の幹の海と反対側の面にだ
け雪が白くくっついている 二人
は丘陵の上を斜めにつっ切って 
日枝神社の境内へとはいって行っ
た 公園にも人の姿は見えなかっ
たが 土地の人が山王さんと呼ぶ
この神社の境内にも 人の姿は見
えなかった 境内にはいると地面
には雪が積もっていた
   井上靖「氷壁」より

井上靖 

明治40年(1907)北海道旭川に生まれる。
京都大学哲学科卒業後、毎日新聞社に入り、昭和24年(1949)「闘牛」で芥川賞を受賞。
文壇に登場してからは「憂愁平野」「氷壁」等の叙情性ゆたかな中間小説を次々と発表した。
また「天平の甍」「敦煌」等、大陸ものの歴史小説を手がけ、高い評価を受けている。
日本芸術院会員。
昭和51年文化勲章受賞。

(説明板より)




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